ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

茨城県筑西市、市野辺「市野辺大柳」(市指定)です!!

2023-01-08 18:33:27 | 巨樹・大木
 市野辺地区は、筑西市役所の北東約1.5kmのところ

 JR水戸線下館駅前から県道305号線を北へ、旧国道50号・県道7号線田町信号を右(東)へ

 五行川を渡った市野辺信号を左(北)へ入ります、細い結城街道です

 鍵の手になっているカーブミラーの先を右へ直ぐ左へと進むと、

 道路左手に柳の木が見えて来ます

 手前の道路脇に車を止めさせて頂きました


 祠ですが、御祭神が何かわかりませんでしたが、案内版に有る二十三夜尊かもしれませんね~

 南側から

 スズメバチ用のトラップには、ハチの骸が入ったままです、この時期には、すでにスズメバチは春を待って女王バチが冬眠している時期です

 南東側から

 東側から、二股に分れた大枝です


 天然記念物標柱です

 案内板です
  現状・由来
 幹廻り約4.4m、樹高約9.7mの大樹である。
 茨城県内で柳の木に指定は他になく、国内でも三件が指定されているのみであり、極めて貴重である。
 下館郷土史によれば、寛永16年(1639年)松平頼重(水戸光圀の兄)が下館藩に就封したときに町名の改正が行われ、このとき市ノ辺村も柳の大樹があったことから柳町と称するようになったとある。
 又、水戸の柳町にあった二十三夜尊を市ノ辺村に勧進した際この町名をもらい柳町と称したとの言い伝えもある。
    平成11年10月1日
      筑西市教育委員会

 北東側から

 北側から

 西側から

 南東側から見上げました

 では、次へ行きましょう
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茨城県筑西市、玉戸「八幡台大榎」(市指定)ですが・・・!?

2023-01-08 06:32:40 | 巨樹・大木
 玉戸地区は、筑西市役所の西南西約4kmのところ

 JR水戸線下館駅前から、県道306号線を北西へ、県道が北を向いた信号を左(西)へ、まだ県道306号結城街道です

 旧国道249号線の荒町信号を右(北)へ、次は旧国道50号・県道7号線の泉町信号を左(西)へ進みます

 南西に向いてJR水戸線の跨線橋を越えて直ぐを左(南)へ、次の十字路を左(南東)へ

 左からの径と合わさって、間も無く南への道路を進むと、資材倉庫?の先にエノキの幹が残っています

 目的のエノキの幹です

 エノキの前に車を止めさせて頂きました

 北東側から

 根元からは、綺麗な水が湧いています

 石仏が祀られています


 南側から

 残念ながら、この時期では、エノキが生きているのか、枯れてしまっているのか判断が出来ませんでしたので、また春になったら再度訪れたいと思います
 
 では、次へ行きましょう
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茨城県結城市、小森「大桑神社の欅」(市指定)です!!

2023-01-07 18:34:19 | 巨樹・大木
 ここからは、2023年1月4日、今年最初の茨城取材分です

 小森地区は、結城市役所の東約3kmのところ

 駅南中央通りを南へ、文化センター南信号を左(東)へ、国道50号線結城バイパスです

 結城市街地を貫けた健田信号を右(南)へ、約300mの十字路を左(東)へ

 県道15号線との交差点に「ここは小森」の文字が有ります、右(南)へ出ると

県道左側に大桑神社が南向き参道で鎮座します

 大桑神社です

 神社前には駐車スペースが無いので、「ここは小森」の案内板のそばに車を止めさせて頂きました

 結城百景です

 手水舎です

 説明版です
 結城市指定文化財
  有形文化財〈建造物〉大桑神社本殿
     (平成4年3月31日指定)
  天然記念物 大桑神社の欅
     (昭和51年2月5日指定)
 流造、銅板葺、三面を彫刻で荘厳化した本殿は、1722年(享保7)に建てられ、当初は檜皮葺で、数回の葺かえの後、1848年(嘉永元年)銅板葺になったことが、棟札により確認されています。
 彫刻は、東西二面が中国の故事(東・虎渓三笑、西・光子甕割)、北面は日本神話(天の岩戸)を題材にしています。
 また、棟札には、建造にあたった小森村の彫物大工や番匠、この地方の棟梁の名等が記されています。
 大桑神社の成立については、古代、東国養蚕・織物を伝えたとされる阿波斎部が、養蚕・農業の神、稚産霊尊を祭神として、北方の大氷河原に創建、この辺り一帯を大桑郷と名付けたことに始まり、その後、洪水により流失、1479年(文明11)今の地に移ったと伝わります。
 そして、南北朝時代には、結城家7代直朝が、関城攻略に際し、戦勝を祈願した結城七社の一つに数えられています。
 小森という地名は、阿波斎部の伝えた蚕種を守り、養蚕・織物が盛んであったことから、いつとはなしに、この辺には「蚕守(このり)」と称され、中世結城氏の時代には、合戦に備えてこの地に兵を篭らせたことから。「篭(こもり)」と称されたことに由来すると伝わります。
 また、境内の欅群は、大きいものは、目通り直径1.7m、根回り8mを超え、樹齢350年以上と推定される、市内でも最大級の欅で、天然記念物に指定されています。
    (結城市教育委員会)


 参道左手にケヤキが並びます

 一番手前のケヤキの大木です

 目的のケヤキを南側から

 南東側から、目通り幹囲5.1mの巨木です

 北東側から

 西側から

 南西側から見上げました

 拝殿です


 本殿です

では、次へ行きましょう
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茨城県下妻市、黒駒「黒駒のケヤキとハゼノキ(下妻の木々)」です!!

2023-01-07 06:37:03 | 巨樹・大木
 下妻市は、真壁郡下妻町が1954年(昭和29年)に 真壁郡騰波ノ江村、大宝村、上妻村、結城郡総上村、豊加美村、筑波郡高道祖村を編入、市制施行し、2006年(平成18年)には 結城郡千代川村を編入して現在の市域となりました。
 
 黒駒地区は、下妻市役所の北北西約5kmのところ

 下妻市役所から県道357号線を北へ道成りに進み、関東鉄道常総線の踏切を越え約1kmの信号を左(西)へ

 突き当りの信号を右(北西)へ、約1.4kmで左からの県道15号線に合流します

 約1,7kmの上妻郵便局先の信号を左(西)へ

 間も無く右手に長屋門を背に目的のケヤキです

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 南東側から長屋門です

 東側から

 南東側から

 南側から、目通り幹囲6.1mの巨木です

 南西側から

 長屋門を南西側から

 南西側道路南から


 ケヤキの東側にハゼノキの大木です

 南西側から

 南側から

 案内板です
  ふるさと下妻の木々巨木・名木
 樹種名 /ハゼノキ〈ハゼノキ科〉
 胸高幹周/322(cm)(市内 第1位)
 樹高  /約16.0(m)
 所在地 /黒駒1036
 所有者(管理者)/飯村太一
 調査年度/1995年調査
   下妻の木調査会 下妻市教育委員会
   (下妻市史編さん事業関連)


 枝先にハゼの実が沢山付いていました

 では、今日はこの辺で埼玉に帰ります
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茨城県桜川市、真壁町東矢貝「東矢貝のケヤキ」です!!

2023-01-06 18:29:07 | 巨樹・大木
 真壁町東矢貝地区は、桜川市役所の南西約4kmのところ

 市役所南側の県道343号線を西へ、約1.2kmで丁字路を左(南西)へ、県道148号線です

 ここから約3.3kmの上谷貝信号を左(東)へ約400mで

 目的のケヤキが道路左に見えて来ます

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 南側から

 南東側から

 屋敷神様の社です

 歩道から、根元を見る事が出来ました、目通り幹囲5.5mの巨木です

 西側から塀越に見上げました、道路に掛かった枝は伐られています


 道路南側には道標と説明石碑です
   原矢貝村の正徳道標
 この道標は、もと現在地の直ぐ北側にあって、東矢貝地区本街道と旧西街道を往還する旅人に利用されていた。
 銘文によれば、今から281年前の正徳4年(1714)に建立されたが、これは年号を刻む真壁町道標中、最も古く、東西南北ごとの行先を時代性のある書体で案内し、旅人の無事を願う村の先人たちが、善意を込めて建立したという貴重な道標である。
 よってこの度道路拡幅のため現在地に移したことを機会に、拡幅工事完成記念に併せ、改めて道標の由緒を刻して後世に伝える次第である。
    平成7年3月吉日  大字東矢貝

*平成7年は西暦1995年です、道標の建立は石碑の通り現在より308年前に当たりますね、正徳年間は1711年から1716年までの期間で、この時代の天皇は中御門天皇、江戸幕府将軍は徳川家宣、正徳4年は7代将軍徳川家継の時代です。

 北東側から

 北西側から

 南西側から見ました

 では、次へ行きましょう 
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茨城県笠間市、泉 「山根池のムクノキ」(市指定)です!!

2023-01-06 06:34:40 | 巨樹・大木
 泉地区は、笠間市役所の南南西約8kmのところ

 市役所北側の道路を南西に進んで、JR常磐線の踏切手前を線路に沿う様に南へ

 県道281号線に出たところで右(西)へ、常磐線の踏切を渡り、橋爪はなさか信号を斜め左へ、まだ県道281号線です

 左にカーブして県道16号線との交差点を過ぎると国道355号線(旧道)です、涸沼川を渡り北関東自動車道の下を潜り

 道成りに進み、国道355号線の岩間バイパスに繋がり南へ、下郷信号を斜め右へ国道355号線(旧道)です

 岩間駅入口の上町信号の直ぐ南側交差点を斜め右(南西)へ、道成りに進んで丁字路を右(西)へ

 左にカーブすると、右手に山根池が見えて来ます、池の南側を右(西)へ入ります


 山根公民館前に車を止めさせて頂きました

 健康笠間、岩間泉コースの案内板です

 山根池です



 池の水面にはカモが羽を休めていました

 公民館前の北側に目的のムクノキです

 南側から

 文化財標柱です「山根池のムクノキ」平成26年3月26日指定です

 南東側から、目通り幹囲5.9mの巨木です

 北東側から

 北側には石碑(文明真言供養塔)と石祠が並びます

 北側から

 西側から

 南西側から見上げました

 では、次へ行きましょう
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茨城県小美玉市、小岩戸「石船神社の杉の切株」再訪です!!

2023-01-05 20:46:00 | 文化財・樹木
 小岩戸地区は、小美玉市役所のの北東約2kmのところ

 国道6号線堅倉信号を斜め左(北東)へ入りると県道59号線です

 巴川を渡って間も無く右(東)へ入ると、左手に石船神社が鎮座します

 鳥居西側に車を止めることが出来ました

*2019年3月11日のこのブログで一度紹介させて頂いております
 

 参道入口鳥居です

 村社指定石船神社です

 参道石段を登ります

 手水舎です


 説明石碑です
   小岩戸石船神社由来の碑
 当神社の御祭神は、建国に貢献のあった「島石楠船命」(別名天島船命)を奉斎している。また交通運輸を司る船神であると言う。
 記録によれば、頃は永正元年(1504年)10月のあかつき、この地に白刃の御矢立給うとあり、御矢とは、常陸の国は岩船神社に祀り奉る大神なり。
 この御神の放つ矢立ち給う所鎮守無き故、村内18戸協議の上、栗原茂座衛門、久保田喜右衛門が世話人となり、岩船村(城里町岩船)の岩船神社に願入り候て、鎮守写しと御分霊を授かり小岩戸村に祀り奉るとある。
 年来て、明和2年(1765年)御宮建替・鳥居の建立等ありて、以来長い歳月を経て幾度かの建替修繕えを行なう。
 近年では、昭和52年(1977年)本堂覆殿の新築と拝殿一部改修を、また昭和56年(1981年)鳥居の建立を行った。私達は、神を敬い鎮守を守り毎年祭礼を催し、今日まで継承してきた。
 また、境内には樹齢約500年幹廻り6,5m、根回り約18mの欅の巨木があった。県内外でも数少ない銘木として知られ、自慢の大木でもあった。しかし、ここ数年来より樹勢が衰え、枯死まで数年ととの状況となり、対応策について各常会の意向と、代表者会議を設け協議検討した結果、止むを得ず総意により伐採売り払いと決した。
 入札を実施し最高額を提示した土浦市(株)木田と契約を結び、平成24年10月伐採した。その等価をもって、ここに拝殿新築工事を施工し、平成25年10月完成し竣工祭を執り行った。加えて付帯工事に手水舎の建替・拝殿石張り、記念碑の建設を行った。
 境内社には八坂神社 (素戔嗚命・別名牛頭天王)
      八幡宮  (八幡神)
      日吉神社 (大山咋神)の三社を合祀する。
 祭礼日  天王様  7月 日(海の日)
      石船神社11月3日(文化の日)
 ここに後世の為、石船神社由来の一端を記し、併せて氏子各位の繁栄を願い記念碑を建立する。
   平成25年10月吉日

 拝殿です


 本殿です

 本殿西側の境内社には、立派な御神体が祀られています

 拝殿東側に目的の切株です、切り株内に植られた若木も3年半で倍以上に成長しています

 南側から

 東側から

 北側から

 本殿北東側に、御神木の若いスギです

 境内社です


 境内東側の小岩戸農村集落センターです

 では、次へ行きましょう
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茨城県鉾田市、上太田「国都神神社の椎(スダジイ)」(市指定)です!!

2023-01-05 06:28:00 | 巨樹・大木
 上太田地区は、鉾田市役所の北約11kmのところ

 県道2号線を北東へ、鉾田土木前信号を左(北西)へ県道114号線です

 約9.3kmを道成りに進み鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の高架を潜ります

 約500m先のS字カーブのところを右(東)へ入り、鹿島臨海鉄道の高架を潜りなおすと

 正面に国都神神社の樹叢が見えて来ます、国都神神社は西向きに鎮座します

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 国都神神社入口です

 村社 国都神神社社號標です

 鳥居です

 説明版です
  鉾田市指定文化財(天然記念物)
    昭和48年1月17日指定
  「椎」(国都神神社御神木)
    所在地 鉾田市上太田681番地
 この椎は和同3年4月(710)国都神神社の創建者大碓時度(大碓命の24世の孫)が植えたと伝えられる。
 幹廻り(目通り)6.52m、
 樹高 14m
   昭和60年3月
     鉾田市教育委員会
 *かつての旭村から鉾田市に修整されていますね

 鳥居を潜って参道を進みましょう

 
 石段の上に社殿が見えて来ました、社殿前右手に目的の「椎」のようです

 水盤です

 社殿です、社殿の中、北側の外板が外れていて荒れてしまっています・・・残念な状態です

 本殿です

 目的の椎です

 北側から

 西側から

 南側から

 東側から


 本殿東側一段高い境内から見ました

 注連縄を巡らせた中に大きな切り株と二回りほど細いスギが立ちます

 本殿の東側境内端に石祠が並びます

 大きな石碑は、国都神神社由緒の石碑ですが、文字が小さくて読むことが出来ませんでした

 では、次へ行きましょう

 
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茨城県鉾田市、鳥栖「無量寿寺の斑入り銀杏と焼榧」(市指定)です!!

2023-01-04 18:28:00 | 巨樹・大木
 鳥栖地区は、鉾田市役所の北西約6kmのところ

 県道2号線を南西へ、新町信号を右(西)へ県道8号線本町通りを西へ進みます

 当間信号で斜め右(北西)へ、県道18号線です、当間集落の西端の八龍神社前を右(北)へまだまだ県道18号線です

 約2.4km道成りに進むと、正面に無量寿寺入口が見えて来ます

 では、「無量寿寺のボダイジュ」(県指定)からの続きです・・・


 文化財案内板です
  国指定重要文化財(国宝)
  1,絹本着色拾遺古徳傳
     絵 土佐光信
     筆 本願寺覚如上人
  県指定重要文化財(建造物)  
  1,無量寿寺本堂
  1,仝   大門
  1,仝   鐘楼
  1,有形文化財御文章
     本願寺実如上人筆
  1,天然記念物菩提樹
     親鸞聖人御手植え
  鉾田市指定文化財
  1,無量寿寺樹叢
  1,女人成佛御経石塚
     その他法宝物傳耒
    茨城県
    鉾田市
*境内の樹木すべてが鉾田市指定天然記念物ですね



 ボダイジュの北側の墓地通路を東へ直ぐにイチョウが見えて来ます

 目的の「斑入り銀杏」です

 西側から

 東側から

 南側から見ました、大きな傷が幹に伸びています、雷の痕なのかもしれません

 次は、「焼榧」へ行きます

 「斑入り銀杏」の脇から墓地の先にカヤの木が見えます


 墓地の北側駐車場沿いを東に向かうと


 目的の「焼榧」です

 西側から

 南西側から

 南側から

 南東側から

 東側から

 北東側から

 北側から

 北側駐車場から見ました

 *もうカヤの実を見られる時期が過ぎてしまっていますので、説明版に有った「半分黒くこげたような実」はみられませんでしたので、また来たいと思いました

 では、次へ行きましょう
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茨城県鉾田市、鳥栖「無量寿寺のボダイジュ」(県指定)です!!

2023-01-04 06:34:32 | 巨樹・大木
 鳥栖地区は、鉾田市役所の北西約6kmのところ

 県道2号線を南西へ、新町信号を右(西)へ県道8号線本町通りを西へ進みます

 当間信号で斜め右(北西)へ、県道18号線です、当間集落の西端の八龍神社前を右(北)へまだまだ県道18号線です

 約2.4km道成りに進むと

 正面に無量寿寺入口が見えて来ます

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 鳥栖 無量寿寺です

 親鸞聖人遺蹟です

 茨城百景の石碑です

 説明版です
   無量寿寺
 寺号 光明山 無碍光院 無量寿寺
 宗旨 浄土真宗本願寺派
 本尊 阿弥陀如来
 由緒 光明山無碍光院無量寿寺は、大同元年(806)平城天皇の勅願所として建立された。その後、親鸞聖人が承久3年(1221)から3年間この寺に住み、阿弥陀仏を自ら刻んで本尊として、浄土真宗の教えを広めたことから親鸞聖人ゆかりの寺といわれている。
 親鸞聖人が3年間の布教を終えてこの地を去るに至って、無量寿寺を弟子の順信房に託した。順信房は無量寿寺を拠点ににして鹿島、行方地方にも広く布教活動を行い、民衆を教導して浄土真宗が発展する基を築いた。
 境内には、樹齢7、800年を超える菩提樹、かや、けやき、杉、まきなど多数くの大木が覆いかぶさるように生い茂り、親鸞聖人御手植えという菩提樹、かやの木が現在も生育している。
 菩提樹はお釈迦さまがこの木の下で悟りをひらいたと伝えられる木である。無量寿寺の菩提樹は、親鸞聖人がつかわれていた念珠が切れて、その実を蒔たものが芽を吹いたもので、県指定天然記念物である。
 かやの木は親鸞聖人が焼いたかやの実を蒔いたところ、半分黒くこげたような実をつけることから、別名「焼かや」とよばれる木である。
 また当寺は「拾遺古徳伝」や「幽霊の図」など数々の寺宝を所蔵し、なかでも「拾遺古徳伝」は14世紀初め鎌倉時代後期に作られ、国の重要文化財に指定されている。
 国指定重要文化財 「拾遺古徳伝」
 県指定重要文化財 「御文章」 建物「本堂」「鐘楼」「山門」
     鉾田市・鉾田市観光協会



 参道石段を登って行きましょう

 山門です

 山門を潜ると左手に鐘楼です

 鐘楼の北側にカヤの大木ですが説明版の「焼かや」ではありません

 手水舎です

 親鸞聖人様です
 正面にあった茅葺きの本堂は、令和3年(2021年)1月21日午後、「本堂の屋根が燃えている」と消防に通報があり。火は4時間半後に鎮火したものの、本堂(県指定文化財)は全焼。住職の住まいなど2棟も延焼しました。

*Googleマップから、かつての本の堂画像を見る事が出来ます

 かつての本堂の東側に新しい本堂の建築工事が進んでいます


 参道右手(東)に大銀杏です

 北側から


 東側から


 建築中の本堂の東側墓地に目的のボダイジュの樹冠が見えました

 北側の塀の柱に「天然記念物菩提樹」の文字です

 逆光になってしまいました

 説明版です
   菩提樹
 天然記念物指定
  昭和36年3月30日
  樹齢約800年
 桑科植物にて原産地は東印度、佛教では一切諸佛の菩提を成就したる道場の樹として、釈迦牟尼世尊も其の樹下に座して、成佛大悟されたりと云う。
 此の木は、親鸞聖人、無量寿寺在住の際、念珠を播かれたものと伝えられる。
  覚如上人の歌
    皆人に 菩提のこころ おこせよと 植えたまえたる 木こそふとき
     茨城県

 東側から

 南東側から

 南西側から

 北西側から

 では、長くなりましたので続きとします<(_ _)>

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茨城県鉾田市、秋山「三渡神社の御神木(スギ)」(市指定)です!!

2023-01-03 18:40:22 | 巨樹・大木
 秋山地区は、鉾田市役所の北西約3kmのところ

 県道2号線を北東へ、中根信号を左(北西)へ西に緩く曲がるように進み、飯名信号を右(北)へ

 約1.7kmの県道110号線との交差点を左(南西)へ入って道成りに県道110号線を進みます

 約900mでイセファーム(株)飯田工場の塀が切れたところを右に農道へ入ります

 泥だらけに道を道成りに北へ、ビニールハウスの立ち並ぶ中を進んで

 秋山地区の墓地から先はコンクリート舗装の道路になります

 間も無く左前方に鳥居が見えて来ます、三渡神社は東向き参道で鎮座します

 鳥居前参道に車を止めることが出来ました(この先、秋山集落内へは道が細く普通車では無理でした)

 鳥居です

 村社 三渡神社の社號標です

 説明版です




 スギの大木の並ぶ参道です

 社殿が見えて来ます

 拝殿です、屋根の上にスギの太い幹が見えます

 拝殿の新築記念碑です

 左側(南側)から本殿です


 本殿直ぐ後ろ(西)の玉垣の中に目的のスギです

 南側から

 西側から

 北側から

 北東側から

 本殿です

 境内社です、外にも小さな石祠が本殿の回りに多数あります

 令和5年の正月を迎える準備が済んでいるようです

 では、次へ行きましょう 
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茨城県鉾田市、野友「香取神社のスダジイ」です!!

2023-01-03 06:31:07 | 巨樹・大木
 野友地区は、鉾田市役所の南西約3kmのところ

 県道2号水戸鉾田佐原線を南西へ、約900mの新町信号を右(西)へまだ県道2号線ですが

 すぐに県道8号線に変わります、道成りに約1.5km進んで塔ケ崎信号を左(南)へ

 約400mで斜め右(南西)へ入り、約500mを左(南)の坂道を登ります

 道成りに進むと、T字路の左手前に鳥居が有ります、香取神社は南西向きに鎮座します

 鳥居前の道路脇に車を止めさせて頂きました


 参道入口鳥居です

 カヤの大木です

 ケヤキの大木です

 社殿前に目的のスダジイが見えて来ます

 南西側から

 根元に手水舎です

 北西側から

 北側から

 北東側から

 拝殿です

 本殿です

 植樹記念碑です


 拝殿前からスダジイを見ました




 境内社が並びます

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茨城県鉾田市、中居「氏神さまのタブノキ」です!!

2023-01-02 18:51:44 | 巨樹・大木
 中居地区は、鉾田市役所の南南東約11km、鉾田市役所大洋総合支所の南南西約3kmのところ

 鉾田市役所大洋総合支所の北側の市道を東へ約500mの信号を右(南東)へ県道242号線です

 約1.4km信号を右(西南西)へ中居通りです、道成りに2.2km進んで、左(南)へ

 杉林の中の暗い道を出た所を右へ、間も無く道路左手に照明院のお葉付イチョウが見えて来ます

 更に南へ進んで、大光寺手前を右(西)へ、直ぐの十字路を右(北)へ

 右手ビニールハウスの先にタブノキが並んでいます

 道路脇に車を止めさせて頂きました


 西側から入りました


 一番手前の木が目的のタブノキです

 南東側から、目通り幹囲6.1mの巨木です、赤い屋根が氏神さまです

 東側の二本です

 南東側から見ました

 では、次へ行きましょう
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茨城県鹿嶋市、和「塙稲荷神社の木々」です!!

2023-01-02 06:30:39 | 巨樹・大木
 和地区は、鹿嶋市役所のほくほく西約10kmのところ

 国道124号線鹿島バイパスを北へ、鹿嶋消防署南信号を過ぎると県道242号線大野街道です

 更に北へ、約6kmで標識の「鹿嶋斎苑」方向左(西)へ一本松通りです

 北浦に向かって下り切ると、田圃の中の県道18号線の手前を右(北)へ田圃と丘の間の道路を進みます

 北側の丘が近付いてきた所で左へ、また直ぐを斜め右へ進んで丘に登る細い道へ入ります

 廃屋の直ぐ先に塙稲荷神社の参道が在りますので、道路脇に車を置いて行きましょう


 塙稲荷神社入口です

 社號標です

 南に向かって参道を進みます

 北浦に向けて舌状に突き出した岡の南端に鳥居が見えて来ました

 右手に白い木肌のタブノキです

 鳥居です

 水盤と鹿島神宮の御札の入った石祠です


 境内に一本だけ注連縄のまかれた木が在ります

 西側から

 拝殿側から

 拝殿です

 本殿覆い屋です

 本殿の南東側にカシの大木です

 西側から

 鹿嶋市指定の「マキ」が在る様なのですが見つかりませんでした、和地区にはここ塙稲荷神社だけしかグーグルマップ・国土地理院地図でも載っていませんでした、槙元稲荷は別のところなのでしょうか

 では、次へ行きましょう
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茨城県鹿嶋市、棚木「大福寺の高野槇(市指定)とスダジイ」です!!

2023-01-01 18:29:19 | 巨樹・大木
 棚木地区は、鹿嶋市役所の北北西約9kmのところ

 国道124号線鹿島バイパスを北へ、鹿嶋消防署南信号を過ぎると県道242号線大野街道です

 更に北へ、約6kmで標識の「鹿嶋斎苑」方向左(西)へ一本松通りです

 約1.2kmで斜め左の道へ入ります、道成りに南に進んで約500mを右(西)へ

 北浦に向かって下りになって来た所の交差点から右道路奥に

 大福寺山門が見えます

 山門前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 山門前の文化財標柱です

 山門を入ると左手にお寺さんなのに境内社が在ります

 参道左手には鐘楼のようですが鐘は有りません

 正面に観音堂です

 説明版です
  彫刻 十一面観世音菩薩座像
 補陀落山庫蔵院大福寺の本尊である十一面観世音菩薩は、縁起によると、平景清の娘人丸(後、妙庫比丘尼)が源平合戦の死者の霊を弔うため、父景清の守り本尊を背負って常陸国へと下向し、父縁のこの地に、堂宇を建立して安置したものという。
 境内には人丸の墓「妙庫塚」がある。
  昭和52年5月2日  茨城県指定文化財
    茨城県・鹿嶋市教育委員会

 もう一枚古い物も在ります
  県指定文化財
   十一面観世音菩薩座像 1軀
 大福寺(真言宗豊山派)は、源平合戦の後、平景清の娘、人丸がこの地に来て、池のはとりに木の枝で棚を作り観世音菩薩を安置し、日夜戦死者の霊を弔った。その後、剃髪して妙庫比丘尼となり、文治5年(1189年)に創建した寺である。
 この観世音菩薩座像(像高90cm)は、頭に慈悲面、忿怒面、・牙面、笑相面、仏首の十一面を持ち、大慈悲の諸相が示され、室町時代の作風が表れている。
 記録によると、永享と元禄年間に二回補修されている。
    昭和57年3月
      大野村教育委員会
*文治5年は鎌倉時代初期になります、室町時代の作風となると、人丸が所持してきたものとは別に、150年の後以降に作られたものでしょうか
*大野村は、1995年(平成7年)9月1日 に 鹿島郡鹿島町が大野村を編入し、同日に鹿嶋市となりました。


 大野古今かるたの「の」に当たります
  「子育ての 十一面観音 大福寺」
*十一面観世音菩薩座像は、下の説明に大福寺創建から50年後に造られたとなっていますが、まだまだ鎌倉時代ですね~
 

 右手奥に本堂です

 本堂正面の築山に目的の高野槇(西側から)です

 北側から

 説明版です
  市指定天然記念物
    高野槇
     鹿嶋市大字棚木371
     昭和50年7月1日指定
 高野槇は常緑高木で、スギ科・コウヤマキ科に属し、紀伊半島以西の山地に自生し、葉は厚く二葉が融合して、表面は濃緑色で中央に浅い溝があり輪生している。材は建築や船材などに用いられる。
 この地では、珍しい樹種で鹿嶋市内には槇の大木は数本あるが、大福寺にあるこの高野槇は和地区にある槇元稲荷の犬槇に次ぐ大きさで、幹周り2.9m、樹高約18mを測る。
 木は直幹で姿もよく、落雷の傷跡が生々しいが樹勢は旺盛で、樹齢約450年と推定されている。
    平成19年11月  鹿嶋市教育委員会

 南東側から見上げました

 南側から

 直ぐ東側にスダジイが在ります

 南西側から、実測すると5.2mの巨木です

 南側から

 南東側から

 スダジイの立つのは棚木農村集落センターの前です

 では、次へ行きましょう
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