▲40年前のワタクシ。おそらく「特急とき」の車内です(なんか違う気もしてきた)。私がカメラを持っているってことは、父はもう一台カメラを持っていたのだろうか…
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今朝の新潟ニッポーでこんな記事が出ていた。
動物園設立に協力呼び掛け
なんと、新潟県には動物園がないそうな…。水族館は3つもあるのに…(ちょっと調べてみたら「錦鯉の里」も水族館扱いされていて笑った。アレが水族館なら、山の中の鯉屋さんも水族館だよ、多分)。
私が子供のころは小千谷の船岡山にはミニ動物園があって、サルに手を引っかかれたり、鹿に勝手にスギナをやっていたりしたなぁ。確か孔雀もいたような…。
あれ、でも長岡の悠久山に動物園なかったっけ!?
→調べてみると、こちらもミニ動物園の延長線上なのね(「小動物園」の名称)。ちょっと変わったところでは、トキの分散飼育があったり、ツキノワグマがいたりとか…。
ツキノワグマ、小千谷の山にもフツーにいるし、サルもカモシカもイノシシ出るようになっちゃったもんなぁ。元々ウサギやタヌキ、キツネ、イタチ、テンなどはいるし…。
あ、そうか、動物園に行かなくても野生動物が普通にいるから動物園がないのか~。
そういえばキリンとか象とかをはじめてみたのは、4歳か5歳のときの冬に父に連れて行かれた上野動物園だったと思う。シロクマがだらーんとしていてガッカリしたことだけ覚えている。
最初で最後の食堂車経験の場でもあったんだけれどなぁ。 そして初めての食堂車に興奮してか、電車に酔ったのか、アイスクリームを食べた後に盛大に戻した記憶というか父からの繰言の刷り込み。なんでも、「あ、カラスがスケートしている!」って叫んですぐ戻したらしい。確かに雪原を見た記憶はあるのだが(小千谷の周りはすべてそんなもの)、大惨事の状況は全く覚えていない。
あの時、何でわざわざ「特急とき」に乗って、冬場(と言っても梅と一緒に映っている写真もあるから2月中旬~3月ぐらいかな)に動物園に連れて行ってくれたのだろう?
亡父は私が生まれた後に胃潰瘍で胃を全摘し(おそらく20代)、その時の輸血が原因で肝臓病になってしまった(当時の輸血ではよくある話らしい)。そして、その後2~3年は入退院を繰り返していた。
私の記憶の最初には母と祖母しかいないのは父が家にいなかったというのが原因だろう。かといって私が病院に見舞いに行った記憶もない。
で、4歳から保育園に行くようになって、その頃から父とのお出かけが増えたように思う。
でも、これが一番大きなお出かけだったな。
この後妹や弟が生まれると、大規模お出かけというのはなくなったように思う。
せいぜい、海水浴や親せきの家めぐり(親戚の9割9分は中越にいる)ぐらいだった。
動物園ネタから、懐かしいことを思い出したものである。
そして写真まで引っ張り出してみた。
この写真、私の記憶の中のよりもっと色あせてしまっている。また何年後にか見るともっと色あせているのだろう。