▲昇ドローンスタンバイOK_orz
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
会津のことを知ったのは、夏ごろだっただろうか。宿を手配した時期から見るとそうだろう。
カメラマン席の申し込みをしたら、ポスター2回にカラーコピーパンフ1回が送られてきて、熱意はつたわったが、正直そんなところで金を使わんで~って心配になった。花火大会とは目には見えないところにお金がかかるものである。1回の郵便代×チケットの数で計算すると、わずかでも無駄にしないでいいのになぁ…。
開催日直前にチケットが届き、さらに席配置が明らかになり、むむむむっと思うところはあったが、とりあえず当日の天気は良さそうなので心晴れやかに出発。この日は冷え込みが強く、さまざまの山で初冠雪となったようだ。新幹線の窓の向こうにも遠くの山が白く輝いているのが見えた。
郡山で新幹線を下りて、都市間バスで移動。磐越西線より便利だし安い。そうやって会津若松駅に着いたのは10:30頃。
駅に降り立って改めて思ったのが、あれ、ここの来るのって小学6年生以来じゃないか!?という事実。修学旅行が会津若松だったのである。
この件は長ーくなるので文末に移す。
友達の到着を待って、会津観光へ。まぁ、お城へ行ったぐらいである。小学校の頃にも確か上ったはず。紅葉も美しかった。なお、この時ホテルのロビーに充電中のスマホを置いてくるという粗相をやらかしたため、画像はないw
その後、田季野でわっぱ飯を食べ会場へ。
カメラマン席は事前に行列を作って、順番に入場してもらうということだった。
まずここで、すでに情報が二転三転。対応も二転三転。まぁ、初めての開催だし、みなボランティアでやっているんだしとは思うが…。
メイン観覧場所となる田んぼの真ん中の一本道は、ものすごく交通量が多い。そこを16:30に止めて、17時入場とのこと。事前にプログラムやライトを渡されて、入り口のゲートでリストバンドを渡される(つけてはくれない)。そして入場。
なお、カメラマン席は道の最後方に設置されているが、域内自由なので自分の行きたい場所は早い者勝ちなのである。なので結局走る。走るなというのが土台無理なのである。
あれ、確かカメラマンは重い機材を持っているので走らないで済むようにしますよって事前に言っていたような気がしたが…。
えっと日ごろの不摂生がたたって、後続に続続々と抜き去られる体たらく。それでも友達が先に走って場所を確保してくれた。多謝!
さて、カメラマン席であるが、道の最後方に設置されている。前方にはSS席が設置され、その着座席とカメラマン席の間が通路になるという構造。えっと、三脚の前を人が通るわけですね。
おそらく開催者側としては、花火が始まれば人の通りが収まるから撮影に影響は少ないと考えたのだと思うが、我々は知っている。一般観客というのは、花火が始まっても結構アクティブであるということを…。
なので、比較的高くできる三脚を持っていき、さらに踏み台を持参して自分の背も高くした。それでも頭ラインで190㎝未満、カメラの高さで180㎝未満だから、大きな男性が通ればやはり画角には入ってくる感じだ。
たぶん、ここが会場となったのは緊急車両が通れるかどうかのその1点だけだったんだと思う。道の半分を桟敷席にし、カメラマン席を側溝の上にすれば、一応1車線分を緊急車両が通行できる。それが消防側の許可条件だったのではないか!? それは分かるが、この配置はやはりおかしいと思うよ…。
そして開始直前に呼び物だった400mワイドスタマが200m×2であることと、公式ドローンが飛ぶことを知る(その節はありがとうございました)
スタンバイ完了! ということで始まるかと思ったら、なんか音楽が…。
https://youtu.be/yZZ-zwS4HG8
花火開始前にYOSAKOI団体「郷人」が目の前を練り踊っていった(プログラムに書いてあります)。農道には照明がなく、照明器具ごと動いていくという斬新な披露であった。
そして、ついに打ち上げ開始でございます!
▲オープニング花火(菅野煙火店)
▲オープニング花火(菅野煙火店)
▲オープニング花火(菅野煙火店)
向かって右側で上がったオープニング花火。このころはまだ余裕だったのだよ、このころは…。
そして日本煙火芸術協会提供により芸協玉7号の10発打ち上げ。
ここで、何とドローンが暴挙に出た!! 花火の中心に向かって突進していきやがったのである。ドローンは夜間飛行の際に緑や赤に明滅するランプがついている。その明るさは花火に類するほどだ。つまり、目障り。トリミング等で外せるものは極力外しているが、それでも幾つかは写り込んでいる。公式といっても背後から遠景で撮るのだろうと思っていただけに、この行動にはみな口が開いたままであった。
▲芸協:7号銀芯ステン牡丹(田畑煙火)
▲芸協:7号丁子菊先変化さざ波(静玉屋)
アホ毛じゃないよ、ドローンだよ。公式ドローンとはいえこれは酷い。
▲芸協:7号昇小花芯入り時計草(信州煙火)
▲芸協:7号昇曲付パステルカラー芯入りストロボ牡丹(イケブン)
▲芸協:7号昇り朴付輪菊千輪(丸玉屋小勝煙火店)
▲芸協:7号昇りフラッシュ芯入フラッシュ割輝光千輪(大曲花火化工)
▲芸協:7号昇り小花八重芯変化牡丹先点滅(根岸火工)
ここにもドローン接近中~
▲芸協:7号昇り分火八重芯銀彩の華(篠原煙火店)
▲芸協:7号昇り朴付銀閃冠菊小割浮模様(阿部煙火工業)
▲芸協:7号昇り銀朴八重芯錦冠菊(森煙火)
いやいやいやいや、無いでしょドローン…。
この件に関しては何のアナウンスもなく、淡々と進行していく。
▲ミュージックワイドスターマイン(赤城煙火)
スマホの画面が青く光る…。
▲ミュージックワイドスターマイン(赤城煙火)
なんか、前で立っている人増えたぞ
そして、8号玉による割物自由玉競技会。
そういえば、審査員の紹介がなかったが、誰がこの順位を決めたのだろう? 花火の専門家が1人でもいたのかいなかったのか。それすら謎である。
▲【自由玉競技会 優勝】光の宝石(磯谷煙火店)
端正で、乱打もいいけれど、1発でも映える玉である。
▲【自由玉競技会準優勝】昇り分砲付八重芯朧菊伊那火工堀内煙火店 (伊那火工堀内煙火店)
最近こだわっている炭火の花火。
▲【自由玉競技会3位】昇り曲導付新黄金点滅芯時差式往復反牡丹(糸井火工)
反牡丹とは?
▲【自由玉競技会3位】昇り曲付八重芯三度変化牡丹(山崎煙火製造所)
▲【自由玉競技会】幻想イルミネーション(野村花火工業)
入賞はしていないけれど、この玉は出しておく
▲【自由玉競技会】虹色のグラデーション(齊木煙火本店)
これ昇り替わったね。
▲【自由玉競技会】モノクロームの華(菊屋小幡花火店)
相変わらず盆の大きなのびやかな花火
▲クラウドファウンディングリターン花火だったっけか
▲これもそうやね。あ、本店だ!
▲本店なので3枚上げました
そして市民花火は本店さーん!!
ところで、「会津の地にふさわしい、強いこだわりを持った煙火師」(プログラム記載)って、会津の地に合った強いこだわりを見せる何かがあったの、それとも強いこだわりを持つこと自体が会津の地にふさわしいのか、ちょっと読解力が不足しているので教えてください。
▲市民花火・ワイドミュージックスターマイン(齊木煙火本店)
▲市民花火・ワイドミュージックスターマイン(齊木煙火本店)
▲市民花火・ワイドミュージックスターマイン(齊木煙火本店)
▲市民花火・ワイドミュージックスターマイン(齊木煙火本店)
あぁぁ。右側から上がると聞いていたけれど、そんなに離れちゃ一緒にならないでしょ~
▲市民花火・ワイドミュージックスターマイン(齊木煙火本店)
あぁぁ。上もはみはみだぁぁぁ
この辺り、全然ファインダー見ていません。もう入りきらないって分かっていたし、それをカメラ操作をしてごちゃごちゃやっているうちに良玉を見逃すのも、唇かみ切るほどに悔しいし、ただ感覚だけでシャッターを切っていたから、これだけ写っていれば、儲けもんである。
▲市民花火・ワイドミュージックスターマイン(齊木煙火本店)
もう何をどうしてどうやったらいいのか…orz
カメ席放棄して後ろに行った人々の正しさを知る。だが、初めての花火なんだから、とりあえずは正攻法で行き、失敗して絶望するまではお約束のようなものである(開き直り)。
もう今日はこれが見られたから帰ってもいいよぉぉぉ! こんなへっぽこ写真でもそんなことを思ってしまうのだから、うっかり完全に撮れてしまうことがあるのなら、虹の橋を渡って軽く旅立ってしまうかもしれない。
ちゃんと写真を撮る人って、どんな精神状態なのであろうか…。でも興奮しまくって叫ぶ人も知っているしなぁ…。むしろ、自分叫ばないし静かだしだけど血液は間違いなく波立っている。
ということで、興奮と感動と失望と絶望と上昇する心拍数と紅潮する頬のほてりを全部抱えたまま、プログラムは進行していく。
そして、ひそかに楽しみにしていた千輪の競技大会が始まる。
通常の競技花火において、特に取り決めがなければどこでも上げられるのだが、例えば大曲においては10号割物の部(三重芯以上)と10号自由玉があり、千輪は自由玉の部にはめ込まれる。花火の構造的に千輪は小割物・半割物と呼ばれるためだ。
現状、日本の花火における最高技術は多重芯にあるとされ、今は五重芯まで完成形となり、六重芯へと進化する過程にある。当然これはこれでとてつもない技術が必要で、例えば星を詰める作業においても1ミリの違いが致命的な欠陥となりうるようになっている。
千輪というのは、割物と同じサイズの玉の中に、小さい花火がいくつも仕込まれている、昨今のサ卜ウの鏡餅みたいなものである(鏡餅のパッケージを開けると、中に切り餅やら丸餅やらが入っている)。で、小さい花火は当然細工も細かくなるわけで、そこに各社の工夫が凝らされるわけである。模型もミニチュアになればなるほど作るのが難しくなるのと一緒だ(大きいのも大変だが)。
この千輪というのは大正時代に大流行になったらしく、その後も今に至るまで様々な形のものが出回っており、千輪を好む人も少なくない。
で、千輪だけの花火は今まではなかった。
それが今回初めて開催されるのだ。実は、会津に行くことを決めたのは、この千輪の大会が開催されるということを知ったのが最大の引き金であった。そうです、単なる千輪好きです。
ということで、何かと物議をかもした競技結果でございます。
▲【千輪玉全国花火競技大会 優勝】昇り彗星 銀河群(太陽堂田村煙火店)
これ見た瞬間、花火マニアのほとんどは「あれ、写輪丸だよね」って思ったと思う。ところが煙火店名が発表されたら、その煙火店さんじゃない。えぇぇぇ!!って驚いたと思う。結局今まで公式でで変更されることはないから、これで正しいのだろうけれど、今まで田村さんでは見たことのない花火だったから、びっくりしたよ。
▲【千輪玉全国花火競技大会 準優勝】カラフルリボン(和火屋)
そして、これを見た時には「群蝶?」って思ったんだ。そうすると、長野の煙火店さんが浮かぶのだが、よくよく記録をたどると、秋田でもシンプルな「群蝶」って上がっているんだよね
▲【千輪玉全国花火競技大会 3位】昇り曲付ミラクル芯五彩煌めきの雫(ホソヤエンタープライズ)
最初、大きな芯がスライド変化して、あれ、千輪は?って思ったころようやく小割が出てきたという。あのゆったりしたスピードは少し吊っていたわけでもなさそうよね。
アレ?こっちは3位は二つ無いの?
▲【千輪玉全国花火競技大会】かたつむりに紫陽花の詩(北日本花火興行)
競技初弾。色変化からしててっきりと思いましたw
▲【千輪玉全国花火競技大会】昇り曲導付松島の夜景(新潟煙火工業)
千輪の名玉として必ず名をあげられる「松島」。だけど、入賞したのを個人的には見たことがない。見方分からない人が多すぎるんじゃない?
▲【千輪玉全国花火競技大会】松茸大豊作(紅屋青木煙火店)
これなら青木さんのきのこ千輪の方がマシだなって口走ってしまったうっかり者は私です。青木さんじゃないかw
▲【千輪玉全国花火競技大会】幻想百花園(山内煙火店)
やたらと暗い花火だったのだけど、山内さんと聞いて納得。だけど、この変化が一番印象に残ったのだよなぁ。
そしてエンディングのワイドミュージックスターマインへ…
気が付けば、ずいぶん前に人が立っているのだが、この人たちはどこからきてどこへ行くのか…。自分の位置はかなりセンターだったから、帰る途中で立ち止まっているとは考えにくいのだが…。そして、ラスト前に帰ろうと焦る一般観客の多さよ…。いや、一番のクライマックス見ずに帰るんですかい!? おっさんおばさんに分かりやすく言うと、紅白のトリを見ずに終わることになるんですぜ、それ。
本当にどこの花火大会でも、フィナーレ前に帰る人が多くて、辟易する。混雑回避のため、少し前に会場を出発すればいいっておすすめするまとめサイトの影響もあるのだろうし、それを真に受けてしまう人が少なくないのだろうし…。でも本当にそれでいいのでしょうかねぇ…。
▲エンディング・ワイドミュージックスターマイン(紅屋青木煙火店)
▲エンディング・ワイドミュージックスターマイン(紅屋青木煙火店)
▲エンディング・ワイドミュージックスターマイン(紅屋青木煙火店)
▲エンディング・ワイドミュージックスターマイン(紅屋青木煙火店)
青木さんは大玉入らなかったので、私のへっぽこカメラでも納まりましたw
そして終了。
カメラマン席は最後に退出していただくことになりますって言っていたけれど、特にそんなアナウンスはなく、なんとなく帰りの流れができていた。
本日のプログラムのうち、自由玉競技と千輪競技は出場煙火店さんは明記されていたものの、競技のためにブラインドで打ち上げるというものだった(尤も玉名が明らかになれば、マニアは見当つくものらしいが)。ただし、花火終了後、カメラマンの皆さんには玉名をお渡しできるよう努力するとネットに書かれていたので本部席に問い合わせてみる。
が、話が通っていないかった。
結局は、本部とは別の所にある事務局で玉名は管理しており、玉名は配布するのではなく、ネットで公開するということになったらしい。
うーん。まぁ、初めて開催する花火大会で、しかも運営のほとんどがボランティアによって成り立っているからねぇ(あれ、何回目!?)
来年に向けての寄付金集めも始まっていたし、第2回開催の時には今回の問題をしっかり分析して生かしてもらいたいものである。
気が付けば顔見知りが集まっていたので、いったんホテルに荷物を置いた後、食事がてら近くの居酒屋に行く。大手チェーン店ながら、こづゆやらニシンの山椒漬やら馬刺しやらと会津郷土料理がメニューにあってよかった。
【以下余録】
小千谷は北越戦争(戊辰戦争)の舞台であり、幕末に小千谷の代官所を管理していたのは会津藩であった。隣の長岡藩は実は中立派であったが、小千谷で西軍の軍監岩村と長岡藩家老河合継之助による慈眼寺談判が物別れに終わり、激突することになった。その際、長岡藩に与力すべく、会津からも軍が来ていた(このとき岩村ではなく山縣有朋か黒田清隆辺りが来てくれれば戦いは回避されたともいわれる)。
小千谷の川東は会津側に徴用され、川西側(代官所があった小千谷の町の中心)は西軍に徴用されと、それぞれに大変な目にあったらしい。信濃川を挟んで睨み合っていたが、西軍が渡捗をして進軍。榎峠(地震で崩れたあのがけの奥)で激戦となる。結果、西軍が勝利をおさめ、峠やその周囲には会津や長岡藩の兵の死骸が捨て置かれたという。西軍は、それらを葬ることを許さず、長く野ざらしとなっていた。20年以上たった後年、ようやく埋葬することを許されたという。その墓が今も小千谷にある。なお、そのうちの1体は白虎隊の兵士だったらしく、さらに後年会津から遺族が弔いに来たという。
なお、川西の船岡山には西軍の兵士の墓が残っている。
戊辰戦争は、そののち長岡城が落とされ、主戦場を会津へと移していくのである。
会津の鶴ヶ城は、明治政府によって天守閣が壊された(現在のは復元)。それは長岡城も同じで、さらに長岡の場合は鉄道敷設の際に、その城跡に鉄道を引かせるという、念の入れようであったことを付記しておく。
今はどうかわからないが、小学校の社会の授業で小千谷史を習うにあたり、この辺りはちゃんと教えてもらった。そして、小学6年の修学旅行時は、小千谷発会津若松行きという修学旅行団臨を仕立てて、市内の全小学6年生が全員が会津に向かったのである。なお、会津での行動は各学校で異なっていた。
だから、会場で戊辰150年といわれると、普通の人は何のことだろうって思うのだろうが、個人的にはその辺りのことが思い出されるのである。