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とちお祭りは尺玉82連発!!

2021-08-28 23:19:00 | 花火

▲初弾。山の上から打ち上がり、花火の灯が市街を照らす

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 長岡花火だけではなく、長岡市及び近隣の花火は基本中止となっている。そんな中、一部では規模を縮小するなど、何らかの対策を持って花火を打ち上げる所もないわけでもない。
 現在は長岡市の一部となっている旧栃尾市が、祭りは開催しないが花火だけは打ち上げるという企画を出してきた。しかも尺玉だけ82発。通常よりは数は少ないが、十分なボリューム。
 翌日の予定で元々長岡に行く予定があった自分。急遽前乗りをしてそちらに行くことにした。


 栃尾、今まで行ったことなかったんだよね。上杉謙信が若き頃に過ごした地である。諸橋酒造の「越乃景虎」は何度も飲んことはある。だけど、ほだれ祭りにもあぶらげ食べにも行ったことない。さすがに守門岳浅草岳に入るにも栃尾口ではなく、魚沼口の方が近いし…。
 栃尾の夏の祭りは、行きはよいよい帰りはバスがないという状況で(ひょっとしたら臨時バスがあるのかもしれないが)、車を持たぬ者にはなかなかハードルが高い地であった。
 だが、今回は花火だけの打ち上げで、しかも通常より発数も少なく、打ち上げ終了時間も19:50と早い。越後交通栃尾車庫からの最終バスは20:00であり、花火を見る場所は、栃尾車庫からほど近い広場であった。
 これは、今回行かないと見に行く機会が無くなる…。ということで、予定より1日早く新潟へ行くことにした。

 長岡駅の東口からも西口からも栃尾行きのバスが出ている(ルートは異なる)。夕方、そのバスに乗り、いざ栃尾へ。長岡の田んぼの真ん中を走って行くバスはおもむろに坂道に入る。くねくねとした割と急な坂を力強くバスは登って行く。
 やがて栃尾の町中に…(道の駅方面には行かない)。そこは民家の庇が長く道に張り出した懐かしの「雁木の町」が残っていた。
 自分が子どもの頃は、小千谷でも街中は雁木が連なっていた。今はほとんどアーケードと化している。栃尾は懐かしさがある雁木の町並みが残っている。
 その雁木の町並みを過ぎて、終点の栃尾車庫へ到着。

 そこから徒歩3分ぐらいで花火が見える公園だ。まだ観客は10人ぐらいしかいない(まぁ、基本お家で花火スタイルだったし)。 
 花火は、小学校から上がると思っていたが、皆が山の方を向いているので自分も山の方へカメラを向けてスタンバイ。
 やがて、徐々に公園に人々がやってくる。それでも公園に来たのは100人には届かなかっただろう。



▲今回の花火は尺玉のみ82発。スターマインや仕掛けはなく、1発1発アナウンスも何もなく淡々と花火が打ち上がるのみである。特に玉名が掲示されていないので(番付はあったらしい)、淡々とアップ

 19:30になり、何の案内もなく、目の前の山の上からするすると花火が昇って行く。

 栃尾って小千谷煙火さんが入っている認識はあったのだが、打ち上がっている花火を見ているうちに、阿部煙火さんも入っているらしいことを知る(自力で行き来できないところだったので、そこまで詳しく調べてなかった)。
 淡々と山の上から尺玉がゆったりと上がって行く。公園の人々も特に騒ぐこともなく、淡々と花火を見ている。


▲これは小千谷玉と分かる


▲染め分け×染め分け


▲千輪の小割も大ぶり


▲とにかく全部が尺玉なのだ。大玉大国越後の面目躍如(え、尺って全国的にデフォルトじゃないんですか!?)

 山の上は西風が少し強めに吹いているらしく、花火は軒並み右手に流れて開く感じ。
 単色牡丹や冠菊のほかに、芯入割物やスライド変化、八方モノ、千輪などの尺玉がゆったりと栃尾の空に咲いていった。
 とても良い。自分的にとても良い。



▲スライド変化玉も所々入ってくる


▲さっきのと同じ八方は阿部玉かな


▲フェニックス系


▲これは阿部ちゃんだっけ


▲小千谷産の染め分け


▲これも小千谷産


 気が付けば、時計は19:50近くになっていた。あぁ、もうちょっとで花火が終わってしまう…。いったい今何発まで上げたんだろうと思っていると、そこから尺玉の連打が始まる。ちょっと待て、もう19:50なんですが…。



▲クライマックスは錦冠が新潟デフォルト


▲フィナーレのちょっと前

 ということで、カメラを片付けつつ、スマホ動画に切り替える
 
 花火は19:50が終了予定だったのだが、2~3分押していて、20時ちょうどの長岡行きのバスに乗らねばならぬ自分は、取るモノもとりあえず、必死に越後交通栃尾営業所に走ったのであった。


 帰りのバスは、行きとは異なるルート。見附市経由で長岡に戻った。かつては見附から栃尾への鉄路があったらしい。

 コロナ禍だからこそ、自力で見ることができた、栃尾の花火であった。