「蟷螂の臂を怒らして以って車軼に当たるが如し」
一般的には「蟷螂の斧」と言う言葉で皆さんご存知。
猶螳螂之怒臂以当車軼ー 荘子 外篇 の中に収められています
(荘子:三十三篇。戦国中期の道家荘周とその一門の思想を記したもの。
原文
猶螳螂之怒臂、以当車軼。则必不適任矣。
{書き下し文}
螳螂の臂を怒らして以って車軼に当たるが如し。则ち必ず不適任矣。螳螂の臂を怒らして以って車軼に当たるが如し
意解
螳螂が鎌を振り上げて 車の車輪に立ち向かっていくことで、無謀なことのたとえとして引かれている。
「風車に立ち向かうドン・キホーテ」 「像に挑む蟻」 も同意に使われている。
「猶お蟷螂の臂を怒らして、 以て車轍に当るがごとき、
即ち必ず任に勝えざるなり。」蟷螂が獲物を狙うときに前の両足を頭上にかざす姿が、斧を振るうのに似ている。虫の世界ではその斧は大きな脅威ともなろうが、いくら蟷螂の向う気が強くとも、これしきの斧では、 小虫以外の、大きな相手に対してはまったく威力はない。
即ち、「蟷螂の斧」とは、弱者が自分の分や力をわきまえないで、ただ意気がって大敵に当ったり、 猪突猛進したりすることをいうのである。三国志、曹操軍の劣弱な様を諷して「蟷螂の斧を以て隆車(大車)の隧(轍)を禦がんと欲す。」自分の力量をわきまえる
一、相手の力を知る
「彼を知り己を知れば、百戦して百戦、殆うからず」(孫子)を忘れるべきではない。私たちは、日々、何をするにしても大なり小なり、身贔屓、過信によって決断(選択)をしている。その折々に思い出し、より善い選択(決断)ができるよう、在りたいですね。
蟷螂と言えば、蟷螂拳が有名ね。蟷螂拳の伝承者に広く知られる伝説に拠れば蟷螂拳は、清代初期に山東省出身の「王朗」という人物によって創始されたとされている。別説によれば古代より伝わるとしており、古代の兵法書「六韜」に「蟷螂武士」の名があることから、蟷螂拳のルーツと関係があると見る説もある。
蟷螂拳の創始伝説によると、蟷螂拳を創始する以前の王朗は、数多くの門派(流派)の拳を学んで中国全土を巡り、武者修行の途上、各地の優れた武術家と立ち合ってこれをことごとく撃破した。しかし、ついに武術の総本山ともいえる嵩山少林寺に立ち寄った際に、どうしてもある一人の技量の優れた僧侶に勝てず、悶々として悩んだという。王朗がその少林僧を打ち破るべく修行を重ねていたある日、カマキリが蝉を捕らえる瞬間を目撃し、王朗はこれに強いインスピレーションを得て、蟷螂拳を編み出した。
王朗は再び少林寺を訪れたが、かつて王朗を打ち破った僧侶も彼に敵わなかった。少林寺を離れた王朗はその後、故郷の山東省に帰り、螳螂拳を澇山の道士に伝えたとされています。
と言う訳で、皆様におかれまして、今年一年、針外しの拙いブログにお付き合い頂きまして感謝に耐えません。年明けは酔っぱらって「グダグダ」していなければ、また早々に立ち上げたいと思っています。また来年も暇ならお立ち寄りくださいませ。それでは皆様良いお年をお迎えくださいますよう。
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