針外し/爺さんの独り言。役にたたない情報ばかり。

自作のスピナーベイトで今日もバスを釣るぞ!。人はそれを「G」と呼ぶ。爺さんの「G(ジー)」の意味だった。ガクン!。

蟷螂臂を怒らせて以って車轍に当たる。

2021-12-29 09:21:44 | 武道・拳法の話

「蟷螂のひじいからしてって車軼しゃてつたるがごとし」

一般的には「蟷螂の斧」と言う言葉で皆さんご存知。


   

猶螳螂之怒臂以当車軼ー   荘子 外篇 の中に収められています
(荘子:三十三篇。戦国中期の道家荘周とその一門の思想を記したもの。
原文
猶螳螂之怒臂、以当車軼则必不適任矣。

{書き下し文}
螳螂とうろうひじいからしてって車軼しゃてつたるがごとし。すなわかなら不適任ふてきにんなり。螳螂の臂を怒らして以って車軼に当たるが如し

意解
螳螂かまきりかまを振り上げて 車の車輪に立ち向かっていくことで、無謀むぼうなことのたとえとして引かれている。

風車ふうしゃに立ち向かうドン・キホーテ」 ぞういどあり も同意に使われている。
「猶お蟷螂の臂を怒らして、 以て車轍に当るがごとき、
即ち必ずにんしょうえざるなり。」蟷螂かまきり獲物えものねらうときに前の両足を頭上にかざす姿が、おのるうのにている。虫の世界ではその斧は大きな脅威きょういともなろうが、いくら蟷螂かまきりの向う気が強くとも、これしきの斧では、 小虫以外の、大きな相手に対してはまったく威力いりょくはない。

 即ち、「蟷螂とうろうおの」とは、弱者が自分の分や力をわきまえないで、ただ意気がって大敵に当ったり、 猪突猛進ととつもうしんしたりすることをいうのである。三国志、曹操軍そうそうぐん劣弱れつじゃくさまふうして「蟷螂とうろうおのもっ隆車りゅうしゃ(大車)のすい(轍)をふせがんとほつす。」自分の力量をわきまえる
一、相手の力を知る
彼を知り己を知れば、百戦して百戦、殆うからず」(孫子)を忘れるべきではない。私たちは、日々、何をするにしても大なり小なり、身贔屓、過信によって決断(選択)をしている。その折々に思い出し、より善い選択(決断)ができるよう、在りたいですね。

蟷螂と言えば、蟷螂拳が有名ね。蟷螂拳の伝承者に広く知られる伝説に拠れば蟷螂拳は、清代初期に山東省出身の「王朗」という人物によって創始されたとされている。別説によれば古代より伝わるとしており、古代の兵法書「六韜」に「蟷螂武士」の名があることから、蟷螂拳のルーツと関係があると見る説もある。

蟷螂拳の創始伝説によると、蟷螂拳を創始する以前の王朗は、数多くの門派(流派)の拳を学んで中国全土を巡り、武者修行の途上、各地の優れた武術家と立ち合ってこれをことごとく撃破した。しかし、ついに武術の総本山ともいえる嵩山少林寺に立ち寄った際に、どうしてもある一人の技量の優れた僧侶に勝てず、悶々として悩んだという。王朗がその少林僧を打ち破るべく修行を重ねていたある日、カマキリが蝉を捕らえる瞬間を目撃し、王朗はこれに強いインスピレーションを得て、蟷螂拳を編み出した。

           

王朗は再び少林寺を訪れたが、かつて王朗を打ち破った僧侶も彼に敵わなかった。少林寺を離れた王朗はその後、故郷の山東省に帰り、螳螂拳を澇山の道士に伝えたとされています。

と言う訳で、皆様におかれまして、今年一年、針外しの拙いブログにお付き合い頂きまして感謝に耐えません。年明けは酔っぱらって「グダグダ」していなければ、また早々に立ち上げたいと思っています。また来年も暇ならお立ち寄りくださいませ。それでは皆様良いお年をお迎えくださいますよう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 女性は聞きたくない話。 | トップ | やっと少し良くなりました。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿