高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

大田堯先生

2013-05-30 13:04:37 | 主義・主張
なかなか含蓄があるお言葉。 大田尭氏(都留文学長・教育学者)

・学校は社会への人材配分機構である。これは非常に固いシステムで人間の計画養成という形です。しかも細かい計画養成で、1時間ごとに違う計画、国語、体育、数学と組まれていて、まるで細切れのような形で人間が教わってゆく状態です。

・しかし、生き物というものは、およそ計画には馴染まない。

・遊びというものは非常に本質的なものです。

・人間が人間になるために必要な本質的な要素はどこにあるかというと、内発性にあるわけです。

・人は人の命令によって遊ぶのではなく、自ら内発するということです。 これが遊びの本質です。

・内発性は生命の原点です。

・子どもが内発的にいろいろな企てをする、実験する、そういう環境づくりを大人がする。広い意味での演出活動は大人の義務であり、責任です。

・教育とは、人と人が響き合うような環境を演出する、同化環境を要求するのではなくて、響き合えるような感情レベルから、共に喜ぶ、共に悲しむ、共に正しいと考えるという共感、響き合うという中で教育は成り立つと考えます。 教育とは同化でない。

・大人に言いたいことは、「子ども心に帰れ」ということです。

・子どもと響き合うには、大人は努力しないとできない。

・子ども持っている、歪められていない感性に響き合うことが大事です。 子どもと響き合うという能力が 大人には必要です。

・しかし、放任とは区別した方がいい。大人がプロデュースするのが必要な部分が出てくる。

・自然を返せという運動をやらなければならない。

・内発とは・・・「その気になること」

・現在はモノと金が支配しています。圧倒的にモノと金が命を犠牲にしてまで支配している時代だと私には見えます。そうではなく、モノと金を、命を豊かにするために使いなさい。命のためにモノと金を逆転させる。モノと金に従わされるのではなく、逆にモノと金を命に従わせる転換です。

・何かが変わらなければならにという気風は必ずあります。

・社会も生き物ですから、ある極端にな状態になると、復元力が働きます。 

・私はその復元力に期待をかけたい。夢です。夢は失っていはいけない。 ささやかながらの実践をやってゆきたい。

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みなさんが、やっていることも復元ではないですか。

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モチベーションと勇気がもらえます。
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今日の目標

2013-05-30 09:37:58 | 日記

 朝は小雨が降っていましたが、晴れてきました。

 遥かなる空は 涙を ぬぐい
   今日は 美しく 良く 晴れた・・・・  だな。

 昨日のJTの交付決定式を持って、足元をスタート位置につけるためのシゴトはやっと終えた・・・終えたというよりも、スタートラインを引くことができた。  ねおすは新しい機構改革に向かって、ぶなの森自然学校は若手女性陣四人を中心にして、ファンドNPOも設立申請へ・・・。 やらねばならぬことは山積みであるが、気持ちが整ったというところでしょうか。

 6月はあまり出張をせずに、地元に落ち着いて、黒松内ぶなの森自然学校の周辺整備(施設周りも人間関係も含めて)をしたゆきたい。

まずは、私の机周りの山積みの書類を取り崩すようにかたずけるぞ。
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