鶏の解体プログラムは選択エントリー制です。決行は明後日ですが、プログラムはすでに昨日から始まっています。
昨日は、担当ディレクターの巽が、なぜやるか、プログラムの流れの大よそを子どもたちに話しました。 そして、本日は当日、翌日の選択プログラムの登録(エントリー)を子どもたち自身が決める日です。 一日の間に4人の子どもと担当以外に2人のボランティアが参加表明しました。 そして、その子達と改めて、事前ミーティングをしました。 具体的な作業手順、「殺したからには必ず食べて欲しい。」 さらに、巽と私からも「思い」を話しました。
私たちは養鶏肉を専門で職業として出荷しているわけではありません。 なのになぜ殺して食わねばならぬのか・・・。
「命を頂くことを考える」 とてもよい勉強の機会になると考えていること。
「殺す鶏は決まっているのか?」の質問。 →今の鶏小屋が手狭で鶏が過密な環境であること、他の鶏に悪さをして傷つけてしまう固体がいるのでそれを排除したいこと・・・。それは雄鳥であり、朝に鶏の世話をしている子ども達には、それが誰だかすぐにわかりました。
どのように殺すのか? → 頭を殴って気絶させたあとに、首をはねること。そしてぶら下げて血抜きをする。
そのあとはどうするのか? → 湯につけて、毛穴を広げてから、羽根をすべて抜き取ること。その後、体を開いてない内蔵を取り出すが、「君たちには少なくとも羽根を抜くところまでは関わってほしい」こと。
「殺すところを見ていなければならないか」 → 直接、見ていなくてもいいが、他のプログラムに参加したり、その場からは離れて欲しくない。ちょっと離れていても、その現場にはいて欲しい。
スタッフの過去の体験も話しました。
魚釣りが好きなので、魚は殺して食べてきた。いずれ、鶏も自分で近い将来はしなければならない、やるだろうと思っていた。そして今年、実際に体験した。 解体作業をしていると、生き物が食材に見えてくる瞬間がある。
私自身の話もした。「私も解体現場には何度も立ち会っているが、実は、私自身は首をはねて殺したことはないし、できれば自分自身ではこれかもしたくない。このプログラムを実施したいスタッフが、今回の巽のようにしっかりと進めてくれるのであればOKだ。 でもね、本当に首をはねて殺さなければいけない状況になったら、「アタシはできる自信はある。それでいいと思っている」。俺たち人間は野菜も食べれば肉も食べる肉食だ。その身体能力はちゃんと使うべきで、野菜しか食べないベジタリアンは私の主義でない」 はじめて見た身体の中に収まっていた内蔵を見たときは、「色合いがあり美しい」と感じたこと。
質問をしながら、聞いた子どもたちは、「どうすべきか」、再び、真剣に考え始めました。 このプログラムは、この事前の時間が大切です。
夜には、参加を希望しているお子さんの親御さんに相談の電話をいれます。「やめさせて欲しい」と意見が異なった場合は、直接、親子で話して、「すべきか、やめるか」ひとつの判断を出してもらいます。