11月16-18日は山梨県清里で開催された日本環境教育フォーラム(JEEF)の清里ミーティングに参加しました。毎年開催される環境教育をキーワードにした全国大会なのですが、もう32回目の開催なのだそうです。初期の頃には生まれていなかった若者も大勢参加していました。 私が参加したのは、4.5回目の大会からでしょうか・・・。 北海道自然体験学校NEOSと称して活動をしていたころでした。 最初は、環境教育という言葉すら知りませんでした。
NEOSを立ち上げた頃とほぼ同時に、札幌で丸山博子さんも独立して活動を始めていて、彼女のオフィスにご挨拶に伺ったおりに、「今、名刺を印刷するわ」とプリンターからトォッ・トォッ・トォッ・トォッとプリントされて出てきた名刺(カレンダーの裏紙を使用したもので、それまでサラリーマンだった私は、そのこともビックリした)の綴りを,目の前でハサミで切って渡してくれたのが、「丸山環境教育事務所」でした。「この名前、カタイかしらぁ!」なんて聞かれて、戸惑った覚えがあります。これが、環境教育という言葉にまともに出合った初めてじゃあないかなあ・・。
札幌の中高年齢者を対象に自然散策し山岳ガイドをしていて4,5年・・、今後の展開に悩んでいた頃に、環境教育をテーマにした大きな全国大会があるということを(たぶん丸山さんから)知り、清里へでかけてゆきました。 清里の初期は、自然保護や日本野鳥の会をはじめとする自然観察系の参加者が多く、初日のオープニングの全大会に足を踏み入れた瞬間のアウェイ感はハンパなく、「くるべき場所でなかった」と思い、ひるんで会場内に一歩踏み出せなかった思い出があります。
その時、会場の遠くから・・、 「あっ、来た!来た! 北海道の高木さん でしょ!?」と大声で前方から声をかけてくれた人物がいました。 それが国際自然大学校NOTSを創設した佐藤初男さんでした。 嬉しかったなあ・・、初対面でしたが、野外・自然教育を生業として一歩先にあったNOTSのことは知っていたので、ホっとしました。 この大会でのスペシャルゲストは、アメリカのヨセミテ公園でインタープリター(当時はその名称も役割も知らなかった)を職業としているアン・ロベッタさんでした。彼女の物語を演じるストーリーテーリングという手法には驚きました。 環境教育といういかめしい名前の活動には様々な手法があるのだ!!!
3日間の大会でさまざまな刺激を受けました。 そして、自然への旅、子どもの野外活動も環境教育活動であり、多くの人々が参加体験しやすい活動なのだと確信するにいたりました。それから、私たちのやっているネイチャーツアーや子どもの自然体験活動を「自然体験型環境教育」と自称し、それは、啓発性がたかい大きな環境教育活動の領域なのだと胸をはって標榜するようになりました。
あれから30年もたったんだなあ。 さまざまな手法で自然体験型環境教育に傾注し、自然学校という活動ジャンルを作り出し、私もJEEFの理事の仲間入りもしました。それが、時代をへて、当時からの仲間達は還暦を越えるようになってきました。 若手より経営者側にいるような年寄りが増えてきたJEEFの清里ミーティングにちょっと違和感を覚えるようにもなり、55歳になったら清里にはゆかないという自己目標??を立てて、しばらくご無沙汰もしました。 そして、JEEFが公益財団に変身する際には利害関係があるような自然学校の経営者は理事も去ることになりました。
3年前でしょうか、JEEF設立30周年を機会に清里ミーティングに「過去の人々」にお呼びがかかり、再登場をしました。 まだまだ年寄りも多くて、参加者からは「常連の集まりのようだ」という若い人が入りにくいというような感想もでたりしていました。
そして、ESD持続可能な社会への教育が時代のキーワードになり、そのゴール目標をまとめたSDGsが大きなテーマになり、ミーティングの雰囲気がここ2、3年で変わって来たように今年は感じました。 60歳になって再登場した3年前は、音楽好きの理事のバンド演奏があったりで、わざわざと山梨まで来ての、ワクワク感が得られませんでした。まあ、歳をとって感性が鈍くなったせいもあるでしょうが、「ここから何かが変わる」という期待が持てなかった・・・。
ところが・・・、今年は Transformationがキーワードと、初回から3回目くらいの参加者、若い人が増え、何かが変わってゆきつつあるという確かな期待感が持てました。 30代の若手が話す内容にSDGsを咀嚼して、環境教育に取り込んでゆく姿が見えました。正直言って、私にはついてゆきない分かりにくいこともありましたが、新しい胎動が始まっている感が持てました。
爺婦(JEEF)と自嘲していますが、同窓会的古株参加も少なくなってきたなあ・・・。
新しい取り組み事例を聞いてワクワク期待感も持てましたが、一方では、なにかSDGsがうわっ滑りしている感も否めなかった。 幸せに暮らすとは? いのちとは? コミュニケーションとは? といった泥臭い部分が希薄になっている感じもありました。
「年寄りの冷や水」なんて言われない程度に、この泥臭い部分はやってゆかねばならいない、それが ジジババの役割だろう??とも思った三日間でした・・・。