黒松内の図書館へ行って、アイヌ関係の書籍を探していたところ、「痛みのペンリウク~囚われのアイヌ人骨」という本を見つけました。
日高平取コタンの首長だったペンリウクの遺骨が学者達にそれが北大の研究室の倉庫に他のアイヌ遺骨1000体と共にあることがわかり、子孫が遺骨返還を求めてゆくことが書かれた本でした。 その記述の中で平取にも入ったイギリス宣教師のバッチラー塞いのことを改めて知り、バッチラー夫婦は伊達にも関わりがあったことがわかりました。
そして、バッチラーさんが建てた教会が伊達にあるということも知り、27日に室蘭の通院の帰りに探してきました。 ナビがうまく導いてくれなくてちょっと右往左往しましたが、伊達善光寺の近くでみつけました。 有珠山の凝結集塊岩のブロックで建てられた趣ある建物でした。記念館になっていますが、中は一般公開されていませんでしたが、時代を経て会うべきものに出会えた感がありました・・。
そして、バッチラーさんの養女になったアイヌ民族の歌人でもある八重子さんのことも知りました。
作秋に台湾の国立先史博物館のフォーラムに平取のアイヌ文化伝承を仕事とされているYさんやアイヌ協会の副理事長のAYさんと招かれ訪問をしたことをきっかけに、平取のアイヌ文化の森づくりプロジェクトに関わりを持つような流れのなかに今年はありそうです。
紐解くように、アイヌ文化に関わりのあることが、つながってゆくことに心地よさを感じています。 バッチラー夫妻については、次をご参照くださいな。