10月22日
隣町の寿都で開催されている「寿都お宝学習会」なる市民サークルに参加させてもらっています。10数人のメンバーがいて寿都教育委員会の学芸員参加事務局を勤めてくださっています。 寿都弁、寿都鉄道、金唐紙、角十佐藤家などいくつかの調査グループがありフィールドワークをしています。 私はかつてのニシン漁の場所請負人だった佐藤家の倉の片づけチームに入っているのですが、他のチームのワークにも参加してもいいので、「寿都の石」チームのフィールドワークに参加してきました。
寿都はニシン漁盛んな頃の大金持ちの家が今も残っており、それらの土台やら墓石などに本州から北前船で運ばれてきた本州産の建築石が各所で使われています。 それらは灰色から肌色の火山性の溶結岩なのですが、どうもそれと違う黄色みがかったものでありました。調べてゆくと、港の岸壁にも使われていたりすることが発見されています。 海岸にも崩れて波に揉まれて丸みを帯びた石も数多く見つかります。
今回は、詳しく歩き回ったこの地区(美谷・びや)のTTYさんの案内で巡検。すると、海岸にある稲荷神社の地面がこの黄色みがかった地層が露頭していることがわかりました。さらには、切り出し場であったであろうかと思われる地形が大きくくぼみ同様の地層が露出し、タテヨコに切り込みがはいっている崖もみつかりました・・。
寿都弁慶岬。 美しいなあ・・。
こんな美しい海がある寿都町で、今、高レベル放射性廃棄物の最終処分場(地下地層処分地)の立地文献調査への応募が決まった。それも、町の協議会(議会ではない、法的根拠はない)で通したこととは言え、町長独断の形で・・。 町長が独自独善で応募しても法律上はなんの問題がない町長専決事項でもあるのだ。寿都町には住民投票の規定すらない・・・。(なので、今、条例制定への請願を出している) このこと自体が法律の建て付けとして、核リサイクル国策事業の焦りを現している。
しかし、この問題に対して賛成する人と反対する人がどうして現れてしまうのだろう・・・。 放射能のことだけを考えれば、そんなものを近くに置きたくない、危険であると、ちょっとだけ知識があれば生理的にも受け付け難いことだと思うのだが・・・。
問題の本質は、やはり「お金」「経済の成長」への信奉があるかなしなのだろう。
自然体験型環境教育を自分の仕事としてきた私だが、その教育的大きな目標に、「空間的視野の拡大」と「時間的視野の拡大」というお題目・ベースコンセプトがある。 この視野の拡大がなされていない人々がイコール推進派なのだろうと感じること多大である。
空間的視野とは、そもそも環境とはいち限定されているものではなく、つながりがあるものである。今ここに、目の前にある事象はその隣にも繋がっているという視野・感覚だ。 地下には水脈もある、地質断層もある・・、放射能は管理が行き届かなければ拡散するものである・・・・・、目に見えない微生物もプランクトンも存在している・・、何万Kmも離れた地域で紛争が起こっている・・、障がいのある人には使えない場所である・・・、アパートの中に引きこもっている老人も若者がいる・・・。 森と海はつながっている・・。 これらが感覚的に理解できることが空間的視野の拡大だ。
時間的視野とは、何百年、何千年、何万年、何千万年前から命は脈々と繋がってきたかけがえのない存在である。ここがわずか100年前は森であった、湿原であったことを想像できるか、人口減社会を想像できるか・・、これらが感覚的に理解できるようになるためには時間的視野の拡大が必要だ。
これらが備わっていないと、とうてい、「世代間の公平性」など理解はできない。
寿都町長は、最終処分場建設を前提とした概要調査終了の段階で、町民の皆さんに、その先に進むか否かを判断していただくと説明する。 それは20年後らしい・・。今の子どもが働き盛りな頃だ・・。そんな重大な問題を先送りする神経が理解できない。。。