Spring has come!(春がやって来た! 現在完了形) この言葉が妙に好きだ。
子ども時代は、千葉や大阪で過ごした。本州の春は、いつのまにか日が長くなり「春がやって来た!」との実感がないまま桜が咲いて、気がつけば春だったような気がする。
北海道で山登りを始めたころの三月上旬、吹雪の山中で道産子の先輩が、「風が暖かくなってきたなあ」と、のんびりと言った。その側で、「この冷たさのいったいどこがあ!」と、さっぱり感じることができない自分がいたのを思いだす。あれからもう四十数回も冬を越した。北海道が好きだから、ずっーと、この地で暮らしてきた。
ところが、残念なことがある。それは、どんなに北海道が好きでも道産子になれないということ。いや、正確に言うと、認めてもらえない。なぜなら、この地で生まれていないからだと、妻子すら「父さんは違う」とのけ者にする。いつぞやは、「冬は嫌いではない。雪がたくさん降ると自分の本能のどこかが喜んでいる」というと、「それこそ、もっとも道産子らしからぬ発言だ」と、証拠にされてしまった。どうも、道産子は春を心待ちにするものらしい。
とはいえ、いつの頃からは、心の底から春を待っている自分を見つけることができるようになった。春は、三月になると風の中から、少しずつ確実にやってくる。風は、南の陽光からわずかな暖かさや花の香りを運んでくる。白組の雪の領地が減って土が見えてきて、雪溶けの土の上にフクジュソウの鮮やかな黄色の花を見つけると、たいそう嬉しい。
そんなことが体感できるようになるのに、二十年はかかったような気がする。山々はいまだ残雪多く木々の芽吹きもこれからだけれども……今年も確実に春がやって来た。うれしい!