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高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

札幌ドーム展望台

2010-08-24 16:41:29 | 日記

7月上旬に札幌に仕事に行った以来、ずっと黒松内におりました。 久しぶりの都会です。

南の方へ行く用事があったので、遠望しかしたことがない、まだ入ったことがない札幌ドームに、お上りさんのようになって寄ってきました。 案内板がわかりにくいですね。 車椅子駐車場も正面入り口から随分と遠く、ぐるぐると歩きまわてしまいました。

展望台へゆくエスカレーターが車椅子用ステップとして階段3つ分が平らになる機能に感心しました。

ともかく、緑の中にずっといたので、車と人とビルの札幌は疲れる・・・。  
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小池清二郎氏

2010-08-23 00:07:06 | 黒松内・寿都

 自然学校がある作開地区の鎮守様である熊野神社には、小池清次郎さん(神社では清二郎)が熊野神社の祭神と一緒に祭られています。そもそも、なぜ熊野信仰なのか不明な点があるのですが、清次郎さんが祭られているのは、現在の神社の土地を寄進したからと言われています。

 この清次郎さんは会津藩士であったと聞いていましたが、その詳細が分からなかったのですが、先日のお祭りの際に、会津藩士の流れをくむKさんが持ってきた「会津医魂」(小池明著、戊辰戦争と小池毅の生涯、歴史春秋社)の本で判明しました。

 清次郎さんの父親は、幕末の会津藩主松平容保(かたもり)のお側付きの医者、小池求真でした。会津藩は混乱する幕末期の京都の守護職に容保が就任したが故に・・滅びゆく幕府軍となり、薩長連合から明治維新と続く倒幕時代・戊辰戦争、そして維新後に辛酸を味わいました。

 戦烈な白虎隊で有名な会津での維新軍との戦いで会津城の落城。(夏の初めの東北の旅ではことも知らずに再現中に会津城を見てきたばかり)なんと、この戦火の中、清次郎さんは父親とともに城内に籠城し父親を手伝い傷兵を看護していたのです。

 敗戦後、維新軍に捕えられ謹慎所(捕虜収容所?)に収容されました。

明治に入り、松平家は家名再興の恩赦を受けましたが、青森県北部に新たに斗南藩として領地を与えられました。ほとんど人が住んでいいない下北の地は与えられたといっても流刑に等しいものだったのです。明治3年、謹慎を解かれた小池一家も下北半島の田辺に移住をさせられました。(開墾は困難を極めて様子がいくつかの歴史書に残っているらしい。)

 その頃寿都や朱太川下流域は、米沢藩が支配権を持っていたのですが、その一部を斗南藩に新政府は委譲する決定をしました。しかし、それもつかの間、廃藩置県により藩の領地制度は打ち切られ、明治政府による北海道開拓使が行政支配権を行使することになり、新政府は明治4年1871年、さらに斗南藩士を歌棄(うたすつ)郡作開村へ再移住の命を下し、28余戸135人を下北から再移住したのでした。

その中に小池一族が含まれ、小池清次郎もいたのです。父と長男精一氏は寿都湾に面した有戸に診療所を構え、二男清次郎は、作開の開拓に入ったのでした。清次郎氏が入植した場所は、熊野神社建立に土地を寄進したとされているので、神社や学校がある私が住むこの地付近だったのでしょう。

 会津で破れ、流刑のように追いやられた会津藩士達の過酷な開墾の歴史がこの地にはあるのです。

 また、この本を貸してくださったK氏やF氏の一族は、ご祖先は斗南藩とのことですので、会津藩士をご先祖にもつ方々で、この時に一緒に作開に入植したと思われます。

 父求真氏はこの地の医師として、この地で亡くなったようですが、お墓は不明です。
精一氏はその後函館で医師として過ごしたとのことです。 また、求真氏が再婚をし生まれた三男毅氏もその後医学を目指し、かの北里柴三郎に師事し、ペスト菌発見の偉業を支え、自らもペスト菌に罹患し若くして命を落としています。

 清次郎氏はこの地でなくなり、お墓が地区の墓地にあります。

***

清次郎氏が入植した明治4年のこの地の様子は定かではありませんが、未開墾の山野は相当に広がっていたことでしょう。一方、寿都は明治から栄えたのではなく、江戸時代には松前藩の前身の蠣崎氏などの和人の支配下にある時代が古くからありました。寿都の郷土資料館は米沢藩が請負であった時代の様子の展示もあります。 ここ作開地区は、耕作地が少ない寿都沿岸から考えると、魚場の労働者の食糧生産地として農地開墾はかなり古くから行われていたことでしょう。 また、藩士とは子孫が異なる開拓移民5代目という農家もいます。
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洗った

2010-08-22 15:02:15 | 日記
 真黒な毛皮をまとったグラッチェにとっても今年の北海道の暑さはこたえていることでしょう。 今日は、外の水道で洗ってやりました。

 最初はいやがりますが、やはり気持ちがいいのでしょう。その後はご機嫌でした。
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タープ移動

2010-08-22 12:49:33 | 日記

 夏の長期村期間にキャンプ場に張っていたテープとテントを撤収しました。

 が・・・、あまりに毎日暑いので、避暑場が欲しいのでタープは移動しました。ちょっとあずましくないですが、家の前の校庭に張りました。

 今晩も暑いです・・・どうするかな。今夜の寝床は・・・。
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好評ですロードマップ

2010-08-21 13:55:31 | 公開業務連絡。忘備録
 
のびぃの研修課題で作った「森と海を結ぶロードマップ」黒×寿(クロス)ロードマップ。 好評です。 あるようでなかったマップ。 黒松内の道の駅と寿都の道の駅を結び、両町の商店街も紹介しています。

 行政域を超えて民間が民間の視点で作っているので、帰って特徴が出せまました。

 マップを片手にお寿司屋さんに訪れる観光客も来ていると、飲食店に喜ばれました。よかったよかった。 のびぃ ごくろうさん!! 合格点!!

 このマップは二つの上記二つの駅で無料で手に入れることができます。

 道の地域活性化資金を製作費の一部に利用させてもらいました。
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世代間協働

2010-08-21 10:26:59 | コラム風味

研修5日目。それぞれの企画は趣意から概要、具体的提案に移っています。

企画書の導入・キャッチ部分としての趣意を読んで、うん?どういうこと、で、その具体的内容は? と読み手に興味を持ってもらわなければなりません。そのためには、誰に向けた、誰に読んでもらいたい企画書なのか? それもはっきりさせる必要があります。

資金を出してほしい人、組織の上司・決裁者、家族など身近な人、地域や行政・・・

****
20代の研修生3人が、自分達の世代と私達から団塊の世代(5~60代)との接点を求め、協働を創り出したいと企画をしています。今回の研修では、若い研修生に「世代間の交流」がテーマとして現れていることに、新鮮さを感じています。

ところが、我が世代は、それを受け止める準備ができていない。そもそも受け止める気がないのかもしれない・・。と気づかされました。

50も超えると・・大方、現役の行く末が分かるわけです。サラリーマンであれば退職金や肩書が。そして、後半の人生をどうやって行こうかと悩み始めます・・特に男は。
会社・組織社会からの卒業、新たに地域社会、市民社会への入学の時期・・・。どうやって過ごしてゆこうと・・モラトリアム期に入ってしまう人も多いです。あるいは、自分ごと、自分ごとの趣味興味ごとへ突入。

全国を歩く、キャンピングカーで回る。 大型バイクはヘルメットを脱ぐとオッサンばかり、週間組み立て系冊子の隆盛・・・

この人達に社会活動・地域活動・市民活動に参画してもらう、興味を持ってもらうためにはどうしたらいいんだろう・・と考え始めた若者が少なからずも現れていると実感しています。

俺たちの世代以上は、若者の話を「受け止める」ことがとても下手くそです。 何か言いたくなってしまう、批評、評論,裁定してしまいたくなる・・・。 でも、その基準はもはや古くなっていることが多い・・・。

相手の考えを受容する姿勢を私達の世代は養わなければならないだろうな。 若い人たちと一緒になって知恵を出しあうためには。

世代間協働
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世代間協働へ・・・

2010-08-21 10:00:19 | コラム風味
と、考えているうちに 次のようなことがアイディアとして浮かびました・・・。

 受講者は20代から30代の8名ですが、そのうち複数の人が 5,60代へのアプローチ
をテーマとしているのです。 それは、社会市民活動の支援者としての期待であったり、
提供する社会サービスそのものの対象者として想定しています。
 
私は彼らが対象とする世代の只中にいるわけですが、彼らの思いを受け止められるNPO側の
キーパーソンは、ここのところ出尽くし感があります。彼らの思いを受け止めるためにはニュー
キーパソンが必要なのだと思えました。 

一方、50から60代は相当数存在しており、社会の人口を大いにしめるようになっていますが・・・
過去の価値観の持ち主の最終世代で、社会変革を求めていた割には、結局 現在の資本主義社会
をつくりあげたが、時代の変化に対応できるシステムを作れぬままに置き去りにし、社会の一線から
退き、自分の趣味ごとで生きてゆこうとする世代でもあります。 

しかし、大勢います。 この中から 若者と世代協働ができる 人材を新たにあぶり出したらどうだろうか・・・。 若者側の「思い」を受け止めることができる、若者が主導し実現したいこと
を支援する、サポーターとなるオッサン、オ○サンを探し出す必要性を感じた次第です。

そこで・・、そのあぶりだしの方法として、学生の弁論大会のような NPO若手スタッフが未来に向けてやってゆきたいことを発表、訴えるフォーラムをし、興味を示してくる聴衆から 新たなキーパーソン候補を見つけられないか・・と思った次第です。

ぼやっとした アイディアですが、ご興味のある方ご連絡ください。
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四日目

2010-08-20 09:41:57 | プログラム

 研修4日目。ゲストファシリテーター、アドバイザーを菊池氏にお願いしています。氏はいろいろなサービス業にも関わって来たので、事例もなかなかおもしろく、あっという間に2時間が終わってしまいました。

 研修生がそれぞれ追いかけているテーマも趣意が深まり、計画作りも具体案へ・・・。ここでは、内容を公開するわけにはいきませんが・・・、

 田舎のコミュニティカフェ、農場型コミュニティカフェ、移動型カフェ、日ロ交流事業、朝市の社会事業化などアイディアを深めています。
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岡本一家帰郷

2010-08-20 08:38:49 | 来訪者

7月、子ども長期村がスタートした頃からひと月の間、自然学校に長期滞在し、給食や移動時の運転のボランティアをして頂いた、おかばぁ、おかじぃ、かっちゃんの 岡本さん一家が東京への帰路につきました。

長い間、本当にお疲れさまでした!! ありがとうございましたぁ!!
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氏神様お祭り

2010-08-19 19:31:39 | 日記
私が住む北海道寿都郡黒松内町の作開地区の鎮守様のお祭り、宵宮祭。

作開地区は北、中、南の3(地域の人はと呼ぶ人も多いです)、各20世帯前後、合計60世帯が住んでいます。鎮守様は熊野神社。町内には地区(集落)ごとに神社がありますが、熊野神社はお盆過ぎから始まる各神社のお祭りのトップバッターです。

地域住民が集まる行事はいくつかありますが、お祭りは子どもからお年寄りまでが集まる催事ごとです。とは言え、元々人口が少ない地区ですから、夜店が並ぶというわけではなく、女性達が出店する焼き鳥とビールを販売するテントがひとつ建つだけです。

森の中に社殿が照らし出された一角・・・まるで宮澤賢治のポラーノ広場の夜みたい・・・

これまで社殿の天井に十字にしめ縄を張り、後神する儀式、本祭には締め切りをして、神様に帰ってもらう儀式があったのですが、今年はできなくなりました。仕切る神官のTさんが体調をくずして来れなくなったからです。代行の神主さんは、代行ゆえに「できない」というのです・・・。祭事取り仕切りの資格みたいなものか・・・、

伝統的な行事だったので残念でした・・・。

研修中もあり、2年続けて社殿にひとりで泊まっていたのですが、今年はやめました・・・。
代わりに のびぃとほっしぃが 泊まったようです。
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