2008.7.10(木)曇り
いくみちゃんがじょんのび村に来る。6月の30日に来たばっかしだから十日で再訪と言うことになる。涼しいからか、じょんがいるからか、のんびりできるからか知らないけれど、じょんのび村に行くことが楽しみになるらしい。京都珈琲屋ご一家もじょんのび中毒で、もう5回の来じょんである。しかも車を手放して、レンタカーでの来じょんである。じょんのび中毒の方が増えるのは大変嬉しいのだが、上林の地にも同じようなことが言える。例えば別荘を持っている人、古民家を買った人、上林を出て都会暮らしをしている人などが毎週嬉々として上林に足を運んでおられる。特段変わったものがある訳じゃない、ただの田舎なんだけど、なにか引きつけるものがあるようだ。それが何なのかは解らない。私にも解らない。これは中毒症状である。上林生きたい中毒。そういえば昨日も中毒患者のご夫婦が来られていた。会社勤めの合間を縫って、上林に家を探してそしてその整備に通っておられる様子だ。「間伐材でも使って、住めるようにしますわ」と楽しそうに話しておられた。こんな方々が毎日のように顔を見せてくれる。息抜きの息抜きに、情報の収集にじょんのび村を使っていただければこれほど嬉しいことはない。
今日のじょん ハーネス事件その3:ハーネスを着けての散歩3日目、そろそろ慣れたかと思うのだが、全然駄目。哀しい目をして動かない。どうしてここまで変わるのか。かつて奴隷制度がある時に反抗的で抵抗する奴隷が首輪、足輪をしたとたん人が変わったようにおとなしくなると言うことがあったそうだ。それは単に拘束をするというだけでなく、精神的に人間であることを放棄させるという意味があったのではないか。
琥珀の斑
なる毛皮をきて 曠野の如くに寂しむもの。虎なり! ああすべて汝の残像 虚空のむなしき全景たり 朔太郎の「虎」の一文である。
じょんはすっかり人間社会の中に生きているのに、実は最後に守りたい野生の部分があって、それを守るために抵抗を続けているのではないかと思わせるのである。
ハーネスは行動しにくいのかと首輪にするが、効果無し。
左のように腰が砕けて動かない。ようよう芝生広場まで行っても、座ったまま動かない。目が死んでいる。