晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

じょんのび逸品集(2) 11/10

2008-11-11 | 日記・エッセイ・コラム

2008.11.10(月)曇り、雨

 じょんのび逸品集(2) 一輪車

上林移住の準備をしているとき、一輪車は必ず必要だなあと思っていた。京都のホームセンターで値段を調べると4,000円~5,000円、ちょっとつらいなあという値段だ。なんであんな単純なものがそんなにするんだ。というわけで買わずにいたら、岡村さんの倉庫に放ってあるのが見つかった。「これ貰って良いですか」「いいですよ。でも壊れてますよ」てんで貰ってきたが、フレームのパイプは折れ、タイヤはパンク、荷台部分は穴が空き、そこら中錆びだらけ。パンク修理はできるかと思ったが、タイヤ、チューブが裂けており修理不能。やむなく車輪毎新品を買う、700円程度だったろうか。あとはなんとか使用に耐え、今でも大活躍である。Img_1485 Img_1486
 ある時は土運び、ある時はセメント運び、道具や資材を運び、週に二度はゴミを収集場所まで運ぶ、何百回と使っている。じょんのび村の道具の中で最も使用頻度の高いものである。散歩の時にかみさんは「よその一輪車はきれいやなあ」と眺めている。確かにこんなぼろぼろの一輪車は他にない。それだけに愛着も湧こうというものだ。普段は飾りとして、倉庫にしまうことなく庭に鎮座している。
 こちらに来て、一輪車が安いのに驚くが、2,000円代で買うことができる。先日ジュンテンドーで1900円代で安売りしていた。さすがにすぐに売り切れていたが、2000円を切るのは始めて見た。
 まだまだ活躍させて、寿命を全うさせてやりたい。名前が無いので付けてやるか。「ボロ輪号」

今日のじょん:おねだりモード
 第1段階 食べ物をじーっと見つめるのはおねだりモードである。Img_1470


 第二段階 無視していると、フェンスから伸び出してくる。この状態を背後霊じょんという。

Img_1472



 第三段階 それでも無視していると、フェンスに足をかけて立ち上がる。こうなると座っている私の頭を見下ろす状態となり、恐怖を感じる。
Img_1473
ワカッタワカッタ、ナンデモヤルワ。と根負けする。



 

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建田の金刀比羅講 11/9

2008-11-11 | 日記・エッセイ・コラム

2008.11.9(日)曇り

 建田三町はほぼ一直線に流れている上林川が南に大きく迂回している部分にある三つの町で、じょんのび村の隣町である。なぜ建田三町というのかいつか調べてみたい、藩政時代の名残でもあるのかなと思っているが、武吉、佃、忠の頭文字を並べると「た、つ、た」となるので実はそれだけなのかも知れない。府道から離れているので不便かも知れないが、それだけに村の団結力が強くて、自然が残り郷愁をそそる村であるように感じる。じょんのびの常連さんもいらして、ハナやサチーも常連犬である。
 さてこの建田三町に受け継がれる金刀比羅講は今年300年の大祭を迎え、記念すべき祭りなのでお参りに行くことにした。といっても家から2.3Kmなので自転車で10分ぐらいのところである。社があるわけでなく、講元の温井貞夫さん宅でとりおこなわれ、来年はまた他の講元さんに移ることとなっている。300年前といえば宝永年間で、富士山南面の宝永火口に見られるように自然災害が多く、政治面では生類令などの時代で、農民の生活は大変苦しい時代のようだ。年表によると1708年宝永5年、丹波何鹿郡三ヶ村強訴とある、これが金刀比羅講大祭の起源である。当時一揆や強訴が成就することは困難を極めたが、この強訴は金刀比羅さんの加護があって成功したそうである。そのお礼として以降1000年間金刀比羅さんをお祭りすると約束したそうで、あと700年はこのお祭りが続くことになる。ただ、実行者三名は村に帰還することも出来ず、村人は国境のいなば堺で慰労の宴を開いたそうである。その時の肴が大根、柚子、唐辛子ということだから大祭の期日、本来は11月10日が丁度その慰労宴のあたりなのだろう。Img_1481 Img_1482 Img_1480

大根、柚子、唐辛子

 屋台が出て賑やかな坂道を登ると講元の温井さん宅があり、沢山の方が参拝しておられる。見知った方が多いので挨拶も大変だ。お札を頂き、御神酒もよばれて気持ちよく帰じょんする。Img_1475 Img_1476




 金刀比羅さんのいわれから自転車旅行中の三閉伊一揆を思い出した。田野畑村に資料館があり多くの文献や資料が残っている。盛岡藩相手に起こした一揆で、これも珍しく成功した例である。一揆の資料は事後の迫害、首謀者の追求を逃れるためほとんど処分されるが、よくぞ残ったものだ。建田の強訴についても文書は一切残らず、総てが口伝ということだ。成功といっても義民三人は村に帰ることは出来なかったし、村人の生活がそう一転することもなかっただろう。それでもやむにやまれず行動を起こす農民の苦しさ、辛さは私たちの想像を超えるものである。この地域でこのお祭りがあと700年営々と続けられることを願う。

今日のじょん:じょん語録(18)勝手にドッグラン
 じょんのび村は巾が約100mあるのでドッグランにはもってこいだ。まだ柵が出来ていないので放せる犬はごくわずかである。じょんは勝手に走っているが、他にはモモとドゥンガぐらいである。早くドッグランを完成し、走らせてあげたい。
 




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