晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

冬の準備 11/23

2008-11-24 | 日記・エッセイ・コラム

2008.11.23(日)曇り

 今年最後の連休だというのに通行は少なく、物寂しい感が漂っている。午前中は店も暇なので坂の舗装準備をする。コメリに走って砂とセメントを買ってくる。ワイヤメッシュ10枚で足りると思っていたのがやはり12枚要る。あと5枚だ。経費も時間もかかってくるが致し方ない。コンクリートを打てるようにしておいて、薪割りを始める。チエンソーを使うのは余り長時間出来ない。緊張のためか妙に疲れるのだ、それで毎日少しずつ玉切りと薪割りを繰り返す。
 その後はストーブの焚き付け入れを作製、ストーブ周りが埃だらけになるのでこういうものが必要となる。総て端材でこしらえるので費用はかからないけど、出来は余りよろしくない。材を真っ直ぐに切るというのは難しいものだ。薪入れも今はオイル缶を使っているので、おしゃれなものを作りたいが時間がない。Img_1583

もらい物の端材で何でもできるのがありがたい。


 冬の準備は薪小屋つくりや薪づくりなど燃料関係と坂の舗装や凍結防止の中水道など雪対策だが、暗渠排水もやりたいし、ドッグラン作製も始めたい。「やらんなんことファイル」をつくって、管理しているが、作業中が10項目、手つかずが15項目、まったくスローライフは忙しい。
 夕刻生コン会社にお勤めの方が来じょんされ、生コンや砂など余るからあげるでという話が出た。受け入れの準備もあるのでどうなるか解らないが、もしもらえるとしたら今までの苦労は一体何だったんだということになる。いやいやためにならない苦労は無いはずだ。

今日のじょん:侵入犬の被害に閉口して、犬猫防止装置を使うことにする。じょんには芝生ではうんP、オシッコをさせないように叱っているのに、よその犬が芝生の一番気持いところでやられると頭に来る。それよりも例の芝の病気だ。大事にしている芝生がそんなことで病気になったんじゃ堪らない。Img_1567 Img_1580

連日やられた。


装置はセンサーが作動するとライトがフラッシュし、超音波が出るというもので、ホームセンターでは3,4千円する高価なものだ。新築の時にマルゼンさんが動物よけにと下さったもので、効果の程は少し怪しい。じょんには悪いが実験的にやってみると最初のフラッシュは首をかしげてみていたが超音波が出ると、すっ飛んで逃げてしまった。うーむこれはなかなか優れものかも知れない。Img_1568

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初ストーブ 11/22

2008-11-24 | 日記・エッセイ・コラム

2008.11.22(土)曇り

 初霜、初雪、初氷と来て、今日は初ストーブとなった。天気予報では暖かい一日となるということなのでどうかなと思ったが、薄ら寒い一日でストーブの暖かさが嬉しい思いであった。炎の色というのは単に赤外線が放出されているというだけでなく、心まで温かくするものがある。来年Img_1581の春までじょんのび村で燃え続けるので是非味わいに来て欲しいが、問題は燃料である。この冬までに集める予定であったのだが、なかなか思うようにいかなかった。色んな人の好意で、燃料の木を集めて貰ったり、山の木をあげるでといって貰ったりしているのだが、とにかく時間が無くてその作業ができないのだ。
 本来は広葉樹の生木を切り倒し、1,2年乾燥させて使うのが理想的なんだがそんな悠長なこと言ってられない。この冬については、森林組合で貰える杉の端材と山に有るだろう枯れ木でも探して間に合わそう。とりあえずは澤田さんの山で切ってきた栗の大木を薪割りする。じょんのび村の作業の中で一番楽しいのは薪割りである。
 薪割りは田舎育ちの私にしてもそう体験したことではなかった。自転車旅行中、萌叡生活塾でチエンソーの使い方と薪割りを教えて貰って自信がついたものである。薪割りの極意は集中力である。無心で斧を振り下ろす、決して力ではない、斧の重さだけで真っ直ぐに落とすと意外なほど簡単に割れるものだ。特に栗は堅い木なので割れるかなあと不安だったのだが、径が4,5十センチもある大木が真っ二つに割れるときは素晴らしい爽快感がある。それでも刃が食い込むだけでびくともしないのもある。この時はFe工房で斧の刃を加工して貰った楔を刃の跡に打ち込み、ハンマーで打ってゆく。さしもの大木も打ち込むごとに割れ目が広がり、最後には二つに割れる。これも爽快だ。Img_1582
野菜作りもDIYも人様に教えるような技術は何もないが、薪割りだけはちょっと自慢のテクニックである。
もう一つ自慢の出来ることは、薪づくりに対してお金を掛けていないこと、ストーブやさんなどで薪割りを買うと何万円とする、私のは薪割り2本と楔で3,800円(2008,1,22参照)、チエンソーはもらい物、木はもらい物や山からとってきたものである。いかに安くあげるかが私の自慢なんだが、世間には如何に高くついたかを自慢する人もいる。きっと「この斧はなあ、なんとか国製で何万円もしたんやで」と自慢する人もいるだろう。趣味の道具については特にその傾向が強い。高いことを自慢する人と安いことを自慢する人の両極端があるが、これはその人達の裕福さ度合いとは関係がないようで、根源的には同一のものではないだろうか。私は安価の側に立つものだが、決して安物買いではない。価値あるものをその価値以下の額で手に入れることに無上の喜びを感じるのである。

 今日のじょん:じょん語録(23)まっくろくろこ
 おしっことうんPのために朝6時頃起こされる、ところが周りはまだ真っ暗である。「まっくろくろこやで」といいながらベランダに出るのだが、なぜか暗闇が怖くて出てこない。一緒について行ってやると出られるが、時には小屋にすっこんでしまって出ないときがある。出られないなら起こすなよなあ。

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