晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

奥上林村誌 7/8

2009-07-08 | 日記・エッセイ・コラム

2009.7.8(水)雨、曇

 綾部温泉を経営している緑土さんが10周年記念ということでいろんなイベントをやっている。先日6日は温泉の無料開放されていて、夕方に行ったが思ったより空いていて大変満足する。お得なのは木曜日の次回入浴券進呈で、いつも木曜日に行っている私たちのためにやってくれているのかななんて思っている。7月いっぱいの催しだから5回は貰えるわけだ。その他ポイントのたまる会員カードとか色々得点もあるのでこの機会に是非綾部温泉を利用していただきたい。
 さて先日奥上林村誌を貸していただく話をしていたが、余部があったと言うことで進呈していただいた。府立資料館にも無いような大変貴重な本で、ありがたく頂きじょんのびにも置いておくこととする。同時に三和町史(下巻)も安価で手に入れたので合わせて当分雨読のネタには苦労しないようだ。
 奥上林村誌も今日でちょうど半分ほど読了し、多分に統計資料的な要素があり、資料を見て推測するという高等な読書術が必要のようだ。読み物として見るとしたら、綾部市史の方が読みやすいと思う。村誌は昭和31年の発行で非売品、発行所は元奥上林村役場となっている。昭和28年に未曾有の大洪水で壊滅的な状況にありながら、31年に発行されているのだから、この村誌の編集というのは役場にとっても編集に携わる方々にとっても大変な事業であったと思う。また、当時の編集者は学校の先生とかがやっておられ、その後の郷土史のように決して専門的な方がしておられるとは考えにくい。従って地質にしても考古についても一般的な記述が多く、教科書を読んでいるような気持である。これはその土地固有の遺跡などの研究も進んでいないし、専門的な人材が希少な時代であったことを考慮すればやむを得ないことだろう。Img_2611_2

三和町史と奥上林村誌


 上林の地名については大変興味深い感がしていた。睦寄、老富、故屋岡という奥上林の町名は一件意味深い感がする。ところが明治7年の行政区画改正によって付けられた村名がこれで、老富は大唐内、市茅野、栃、光野(現光野町)の頭文字をとったもの、故屋岡は小和木、八代、小仲、川原の頭文字をとったもの、睦寄は六つの村が寄ったものとすこぶる単純明快で、分かりやすい地名なのである。つまり元奥上林村の大字に関しては地名考証上の深い意味は無いのである。これは奥上林に限らず中上林でも睦合、五津合、八津合は推して知るべし、五泉町(いいずみちょう)も市志、市之瀬、辻、水梨(い、い、つ、み)のようだ。口上林の金比羅講で有名な忠、佃、武吉も建田(た、つ、た)であったことなど同様の命名である。単純とか安易とか思われがちだが、新しく合併して村とか町とかする際にはその命名としては常套の手段であろう。私の生まれた町も川合、細見、菟原の三村が合併して三和町となった。この方がもっと単純でこれが嘉保町(か、ほ、う)なら一体どういう町なのかと想像をたくましくすることもあるだろう。
 というわけで当時の大字は地名考証するにおいてはあまり意味がない。ところが小字は深い歴史的な意味がある。ここで興味ある記事があった。明治の中期まで上林では一般的にくれ屋根が主流であったという事だ。くれ屋根とは栗板の薄いものを釘で打ちとめる手法で、くれ材の主産地は小和木でくれは小和木の名産品であったそうだ。これで察しの良い方は気付いておられるだろうが、小和木(こわぎ)の語源は強木(こわぎ)ではないだろうか。同様に老富の栃はそのまんまじゃないだろうか。このように小字の村名は考証の意味が出てくる。
Img_1557
右手の橋が念道橋、中央奥が奥上林の山々(2008年秋)


【作業日誌 7/8】
赤紫蘇用畝造り

今日のじょん:念道橋の上でうんPするようになって持ち帰りようの袋の用意やうんP拾いの手間など面倒になってきた。ところがいいことはうんPの様子をしっかり観察できることだ。特にうんPの後の肛門腺液の出る様子などしっかり確認できて安心だ。最初に病院でしぼってもらって以来、しっかり出ているようだ。

コメント
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