晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

丹波の話 7/12

2009-07-13 | 日記・エッセイ・コラム

2009.7.12(日)曇

 「丹波の話」をネットで見つけて購入した。おふくろが言ってた本かなあと思ったが、そうではなかった。(2007、12、18参照)
 2年前に2,100円で見つけたが既に売り切れていて手に入らず、アマゾンで探したら9千円もするので手が出なかったのだ。もう諦めたころに再度検索すると3冊ほど出ていた。値段は1,000円から2,500円、相場だと思う。アマゾンの値段は高すぎる。相場というものを調査せず適当に値段を付けているのではないか。寡占化して古本の値段がそこいらで落ち着くようになったら、古本文化は崩壊してしまう。ガンバレ良心的な古本屋さん。
 てなわけで1,000円の本を手にする。「丹波の話」は昭和31年に発行された本で著者は磯貝勇、333ページの単行本である。綾部、福知山その周辺の民俗学的な内容の本だが、教科書的な内容ではなく、大変読みやすい本である。著者の磯貝氏は民俗学者だと思っていたのだが、実は綾部の工業学校の校長さんで、科学者なのである。昭和18年ごろ赴任されて10年ほど在綾されていたそうだが、その間よくぞここまで調べられたかと思うほどの内容である。特に当時の交通事情を鑑みると相当のご苦労があったかと思われる。綾部、何鹿郡、福知山、天田郡あたりが中心的に調査されているが、上林各村、川合村の記述も多い。それは古いしきたりや習慣が消えつつある時代に僻地故にそれらが残されていたという側面があるのだろう。Img_2618
本文中にある川合村上川合上地は私の生まれ故郷である。いろんな箇所でこの地域がよく登場する。これはこの地域が民俗学的に特段重要であったというより、この地域に磯貝氏に協力的な人物がいたのではないかと想像する。それは丹波の燈火の項で登場する小原四郎氏である。四郎氏は教育者で綾高の校長先生などされていたようで、磯貝氏と交友があってもおかしくない方である。私の生家と同じ株内で、兄や姉が綾高に進むについてなにかとお世話になったそうである。国鉄の線路脇に住んでおられた時にお伺いした記憶があるが、今回綾部に来て神宮寺町に先生の表札を見つけて感激した思いがある。先生は他界されており、その家も空き家となっていたのだが、、、。丁度「遠野物語」の佐々木氏のような関係であったのではないだろうか。
 まだ半分も読んでいないのだが、私が生まれた頃の村の様子や言葉など、分からないことが沢山あって、電話で母親に確認しながら読み進んでいるところである。

【作業日誌 7/12】
杉丸太防腐剤塗り

今日のじょん:夏野菜の季節となった。ゴーヤはまだ早いがキュウリやナス、トマトが出来てきた。昨夏よく食べていたキュウリやゴーヤを食べなくなってしまった。キャベツやニンジンは常に食べているので大丈夫だが、食の好みが変わってきたのだろうか。キュウリは嫌々でも食べているようだが、ゴーヤは全然駄目、モロッコ豆もまるきり食べない。もっともモロッコ豆は私も苦手だが、、、、。

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破風のマーク 7/11

2009-07-13 | 日記・エッセイ・コラム

2009.7.11(土)曇

 奥上林村誌に民家のことが書いてあり、板の破風に「井」の字の家が多いこと、ひさしを出してない家が多いことが奥上林村の特徴とされている。自転車旅行中保存展示されている各地の民家を見てきたが、構造や間取りなどに注目し、屋根を注視していなかった。「井」の字とは何だろうと思って近所の屋根の破風を見るとすぐに分かる。木でいわゆる井筒屋のマークが作ってあるのだ。
Img_0055
井筒屋は近江高島が発祥の地だ。


奥上林でなくともこのマークの破風は圧倒的に多い。口上林は綾部はと道路沿いに見てもやはり多い。綾部市街にはもう茅葺き屋根の家は少ない、車で走っている道中では下矢田、有岡あたりに少し見えるが、やはり「井」の字の破風でひさしを出していない。要するにそれはこの地方の特色であって、奥上林独特のものでないことは確かだ。
 なぜ「井」の字なのか、村誌には書いてないがこれは推して知るべしである。京の北山の民家には「水」の字が多い。西原町で一軒「水」の字の家を見つけた、なんとなく懐かしい感がする、かつて北山の山々を自転車で彷徨っているときベンガラの朱色と破風の「水」の字はその地の民家の特徴であった。後日、本で読んだのだが、これは消防設備も貧弱で、日夜火を使うかつての民家の防火のおまじないということであった。同じくお城の天守閣にある鯱も防火のおまじないということである。井戸の意味をなす「井」の字マークも同様の意味だろう。それだけ火事の確率も高かったし、消火の設備も貧弱、もしくは皆無であったのかも知れない。大切な家を守りたいという切なる願いが破風の文字や印に現れている。
 ただ一つ気になるのは、こうやってみてきた屋根はすべてトタンで覆われていることである。茅葺き時代の破風のマークがそのままカバーにも描かれているのか、カバーを掛ける時点で変わっているのではないかという疑問である。こればかりはトタンの下の様子を見るか、過去の写真などを見るかしか確認のしようがない。もし、屋根やさんに聞く機会があればその辺のところを聞いてみたい。
 いずれにしても屋根の形状、破風の状態、鬼瓦の部分などは地方によって差異がありそうである。いづれこの辺のところを統計的に調べてみたいという気がする。
 今日は恒例のバーベQ大会を催す。今回7名の参加であったが、もっと多くても快適に開催できるよう施設造りも考えよう。

【作業日誌 7/11】
杉丸太の腰掛け造り

今日のじょん:「じょんちゃんは元気かい」と言って心配をしてくださるお客さまが増えてきた。先日から調子の悪いことを書きすぎたので皆さんが心配してくれたようである。おかげさまで元気にしているが、まあどこさんの犬も同じと思うが、暑さがこたえていることは確かである。あの毛皮をまとい、汗が出ないのだから致し方ないか。もう3ヶ月我慢せえよ。 

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