晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

念道のこと(1) 7/9

2009-07-11 | 歴史・民俗

2009.7.9(木)曇

 じょんのびのあるところは古川(こがわ)という地名だ。ところが上林の人には念道(ねんどう)の喫茶店でとおっている。念道にはバス停もあり、人家も多くて誰でもが知っているところである。上林の地名で念道と大唐内(おがらち)が気になっている。奥上林村誌を頂いたDさんは大唐内は唐の国と関係があるのではないかという意見で、そのあたりを調べてくれいということであった。地名考の研究誌や地名辞典などを見ればすぐに判明することだろうが、自らの思考と観察で仮説を立てたいと思っている。なぜならばそのことがその地域を知り、理解することになるからだ。そして後日文献や古地図などで検証することとなる。自分の説が当たっていることもあるが、的はずれの時もある。昨日書いた古和木も五泉も仮説である、検証されていないからだ。
 大唐内はさておいて、念道についてはある人から面白い話を聞いた、「この辺は粘土質やろ、そやから念道っていうのを子供の時に聞いたんや」というものだ。上林谷全体が粘土質で、川の屈曲によりその土が堆積しているこのあたりは確かに粘土質である。古いものは粘板岩となり「味噌岩」と呼ばれている。この説は念道という字にこだわらず、その地の地形や地質から地名考をしているあたりもっともらしく思われる。しかし、私はこの説には懐疑的である。この地名がいつごろ付いたか分からないのだが、古い時代に粘土のことを粘土と呼んだとは思われない。粘土って何か新しい言葉のように思えるのだ。味噌土ならまだわかるが。
 念道なら念ずる道、念仏でも唱えて歩く道、宗教的な地域と考えればもっともらしいが、これはおそらく無いだろう。大体地名はその発祥のころには口語で伝えられ、後に文献や地図を作製する際に漢字が当てられたようである。そういう意味で古い地名ほど使われている漢字に惑わされてはいけない。新しい地名はそうでもない、城山や殿、馬場などはそのままである。地名の発祥は地形、地質から来ているものが圧倒的である。地図や書き物が無い時分にその地がどのような地であるかを示すには地形を示すのがもっとも分かりやすいからだ。古和木や栃が木の名前から来ているとしたら、特色のある産物や植生から命名することもあるようだ。
 念道というのはなかなか手強い。府道一号線福井県境までたどってみると、行道前、大道という地名がある。あまり参考にならない。地形はというとこれがなかなか特徴のある地形だ。ほぼ真っ直ぐに流れてきた上林川が南に大きく屈曲し、忠、佃、武吉三町をめぐり再び府道一号線に合する、その屈曲点に当たる地形だ。道は河牟奈備神社から府道を分かれ建田三町を巡って十倉の交差点で再び合流しているが、古い道は念道橋を渡り小尾根の峠を越して忠町に至っている。徒歩の時代にはこの道が圧倒的に近くて合理的である。念道橋が昭和32年の完成と書かれているので、28年の洪水で流されたものだろうか。古い橋桁跡があるのでそれ以前もしっかりした橋があったようだが、もっと以前には流れ橋、それ以前は徒渉をしていたに違いない。つまり念道は重要な徒渉の位置であったのだろう。
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上林川を挟んで念道の家並み



  道は渡を表しているのではないだろうか。土合(どあい)、土樽(どったる)、沢渡(さわんど)などの地名は川の徒渉地点にある地名である。もし道が渡であったとして念は何だろう。寝、年、燃、撚、根、音、子などいろんな意味がある。うーむ参った、なんだか特定できない。気になるのは音と子と根である。音は川の出す音である。甌穴の中に石が入りゴロゴロと音がすることがある。これはゴーロ(地名では強羅など)の語源だそうで、川原の石がゴロゴロしているところをさす。念道は川原の渡しという意味となる。
 子は時間と方角を表し、時間は深夜であるから余り関係なさそうだが、方角は北をさす。念道橋付近が北となるところは忠に抜ける峠のあたりである。ここには江戸時代に見張り番のような陣屋があったそうだ。忠方面と念道方面を一望できる場所であり、交通の要所でもあったのだろう。陣屋から見た場合、念道は北の渡しとなる。Img_2443 
 
                          
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 左:奥に見えるのが峠に向かう古い道
 右:念道橋から上流、渡るには結構な水量だ。昔は狭くて深くて曲がりくねっていたのではないか。


 根は水の中の見えないものなどをさすそうだ。釣り用語では暗礁のことをいう。つまり川が底の見えない危険な状態であったら、念道は底の見えない危険な渡しとなるわけだ。
いずれにしてもこの峠道は現在は念道橋に通じているが、かつてはどこを渡っていたかは今のところ分からない。又川の状態もかつてとはかなり違うだろう。
念道の地名考証は多分に無理があり、本当の語源を知っておられる方にはくすくす笑われるかも知れないが、地名考証というのはこんなものであるという話にしておいていただければありがたい。

【作業日誌 7/9】
赤紫蘇、青紫蘇植え替え
赤紫蘇収穫

今日のじょん:暑さのせいか全然元気がない。朝だってサークルから出てこないのだ。普通散歩に行くときは大喜びなんだが、、、、。なだめすかして散歩を済まし、毛をといてハウスすると飯も食わずにぐたっと寝ている。去年も暑いときこんなことあったなあと気楽に考えているのだが、かみさんは大変、どっか悪いんちゃうやろかと大騒ぎ、ビオフェルミンやったりしている。

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ぐちゃっと寝ている、枕だけは自分でしっかりしているのが面白い。 
 
 

コメント
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