2010.10.20(水)曇
青銅の神の足跡 谷川健一著 集英社1979年発行 定価1,200円 購入価1,000円
この本のほとんどを私は病院の待合室で読んだ。診察を待つ時間というのは読書には最高の環境と思われるのだが、実は少しも頭に入らないという欠点がある。そういう意味でこの本はもう一度改めて読む必要があるのだがそれがいつになるかは解らない。
神々に対する著述は実は複雑怪奇で理解するのが困難な感がするのだが、「古代の鉄と神々」(真弓常忠著)以来数多くの古代金属関連の書を読んだおかげで、少しは理解できるようになった。本書の主題は、考古学の範疇でしかなかった銅鐸の意味を地名や伝承、氏族や神社という民俗学的な分野から考察していることでは無かろうか。現在ある意味で当然と思われていることが実は過去においてはとんでもない異端であったということが読み取ることができる。例えば片目の神というのがタタラに関連する職業的なものだということは常識として知っているが、過去には様々な試論が交わされて、それを最初に提唱したのは若尾氏であるというのも記されている。また、あとがきにあるように農耕文化を主体とする柳田民俗学に対する金属文化の主張が存在している。私自身は当然と考えていることだが、史学の現場では実はこれらは無視されていることなのかもしれない。そのことを端的に表しているのが終章にある一文である。
古代の世界は黙示にみちている。それが文字として記録されようと、伝承として民間に保持されようと、物として地中に残ろうと、これらのものの意味は、現代人が日常的な慣習として理解するものではない。したがってその意味を解読するには独特の方法が必要とされる。実証主義的な学問はおそらくこのことを理解しなかった。云々。
今日のじょん:熊目撃情報が連日のように出されている。朝七時の上林は霧に包まれていて実に心細い。いつどこから熊が飛び出してもおかしくない。特に散歩に出るまではノーリードでおしっこ、うんPさせているので恐怖である。事前に家の周りを点検しては放しているのだが、、、、。
熊が現れてもおかしくない。