2010.10.21(木)曇、雨
「じょんのび村に帰りたい」
病人のような顔をしてあんたはつぶやいた。
しっかり病人なんだけど、もう涙は出尽くしたようだ。
じょんのび村は親から貰ったわけで無し、天から降ってきたわけで無し、二人の財産と二人の力で築いてきた。
あんたが帰りたいと願うのは、帰るところがそこしかないというのじゃなくて、自分自身の幸せがそこにあるからだろうか。
別に死にゆくわけではないのだが、「あめゆじゅとてちてけんじゃ」とつぶやいたとし子が想い浮かんで病室を出た。
戦争を知らないあんたが、「まるで野戦病院みたいやったんやで」というその病院はすっかり明るく、きれいになって入院患者の明るい笑い声が聞こえてくる。
しかしわたしは知っている、どんなに病室が明るくなろうと、どんなに優れたドクターがいようと、とんなに優れた薬や機器が揃おうと、そしてどれほどあなた方を思いやる人びとが居ようとも、結局だれもが一人で闘わねばならないことを。
カーテンに囲まれたベッドに一人になったとき、明るい会話とは裏腹に、不安と痛みに呻吟するのだろう。
「元気になって帰るんやで、また二人で頑張るんやで」という月並みな言葉は遂に口にすることは無かった。
建物も設備もずいぶんと変わった。
留守の間のじょんのび村は、「まかしとけ」と言ってはみたが、どうにもならないことがひとつある。
あんたが育てた木や花が、一日一日衰えるのだ。
言われたとおりに水をやり、気遣いをするのだが、主の居ないガーデンは勢いが無くなって、一本一本の植物があんたのことを知っているみたいだ。
それは夏から秋の季節の移りなのかもしれないが、主とは関係のない草たちが日に日に威張って「ざまあみろ」と言ってるようでやるせない。
ガーデニングなんて自然を愛しているようで実はとんでもない人工だ。
本来その地では咲くことのない花を人の愛と努力ではぐくむものだ。
あんたが居なくなったなら、じょんのびガーデンも存在しない。
じょんのび村はすっかり秋。
そんなあんたが帰ってきた。それは決して凱旋なんてものじゃなく、勝っても負けても傷つき疲れ果てている兵士のようだ。
随分おぼつかないけれど、とりあえず二本の足で歩いて帰ってきた。
あれほど夢見たじょんのび村は、花は枯れ草は茂り、しかも雨の中でどんなふうに映ったのだろう。
しかし生きているものは勿論、建物や畑や石や道具たちまでがあんたの帰りを待っていたらどうだろう。
「じょんのび村に帰りたい」ベッドの上の泣きそうな映像を脳裏のスクリーンから消去することが出来る。
あんたが帰ってきたら驚かすために作ろうとしたガーデンシェッドは土台しかできなかった。
「なんで材木が転がってんのん」
「・・・・・・・」
※帰じょん記念の10月21日は4年前わたしが花巻を発った日でもある。
今日のじょん:おかーといくみちゃんと3人で帰ってきたのだが、まずおかーが一人で家に入るということにする。じょんが久しぶりでどのような態度をするか見てみたいそうだ。続いていくみちゃんが入る、最後におとーが入るが、やっぱりいくみちゃんへの反応が一番凄かったようだ。
この尻尾の振りが気になるようだ。