2013.10.16(水)雨 日置のこと(40)は2013.10.13
日置部について語っている間に、頭書否定していた戸数を数える役人説が肯定的になっていることに気づく。それは律令国家において徴税が必要となったときに、検地的な測量、調査は必ずあるはずで、それを担うのは測量に長けていた日置部が任に当たると考えたものである。それは長い歴史の一場面であって、決して間違いではないかも知れないが、それが日置部のすべてではないような気がするのだ。
各説の主宰者に共通することは、日置部の租は渡来系であり、天体観測や測量に長けた技術を持っていただろうという思いである。
また上林や夜久野の日置が、戸数を数えた地方の役所とはとうてい思えない。地方というのは郡の事と考えられるが、郡衙、郡家の近くにあってしかるべきと思う。あえて戸数の把握しにくい地に置いた等という説はこじつけとしか思えない。
律令制前後にはその技量から、検地を担う役人の側面があったとしても、それ以前の社会ではどのような役目を果たしていたのだろうか。
このことはわたしの想像の中でしか言えないことで、絶対に証拠を残し得ない、表に出ないことなので将来にわたっても証明されることはない。
「日置部、太陽観測者論」、あえて大仰な名を付けて、古代の太陽観測をした部民について語ってみたい。と言ってもこれはいつものとおり仮説どころか、想像でしかない。単なる想像を堂々と、根拠も証拠もなく語れるのはアマチュアの特権かも知れないが、単に絵空事を吹聴するだけでなく、少しでも真実に近づこう、証拠を探そうと努力していることを認めていただきたい。
上林川が忠町に入るころ弥仙山前衛の山並みが見え始める。元権現跡~大タワ峠~遊里に向かう尾根(改心の道)が望める。右に飛び出たピークが419mの三角点ではないか。この山こそ日置部観測の地とにらんでいる。
【今日のじょん】台風26号が大きな被害をもたらしている。我が家でも昨晩は大風が吹き荒れたが、用心していたのでたいした被害はなかった。風の嫌いなじょんは寝ていないようだ。
イスが飛んだだけで、植木も鉢も大丈夫。