晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 続々・暦の語る日本の歴史 10/7

2013-10-07 | 雨読

2013.10.7(月)

 明治のはじめまで日本では太陰太陽暦であったことから、暦の歴史は改暦とそれに翻弄される為政者そして学者達の歴史なのだろう。暦の作製販売で金儲けを企む連中や能力も無いのに天文方の役人として出世を企む連中が悲喜劇を演ずる中、自然科学の探究に心血を注いだ一人の学者のことを知る。

 麻田剛立(あさだごうりゅう)、亨保19年2月6日(1734年3月6日)生まれの江戸時代の天文学者。生まれは豊後国杵築藩、儒学者綾部安正の四男として生まれる。幼い頃より天文に興味を持ち、独学で天文学、医学を学ぶ。藩侯の侍医(じい)として仕えるが、天文の研究に専念したく、辞職を申し出る。何度申し出ても受理されず、遂に脱藩し、大坂で医業の傍ら研究に専念する。このときに追っ手に覚られないためにか祖先の出た村の名麻田を名乗ったという。それまでは綾部姓だったのだ。綾部家の元々の先祖こそ現在の綾部市であったそうだ。綾部の市史にも見当たらないようで、天文館パオでも把握されていないようである。
 鎖国の時代に西洋の天文学を研究するということは相当の困難があったと思うが、剛立はそれを成し遂げ、理論を実測、観測を基盤に作り上げ、反射望遠鏡による月面観測の記録は日本最古のものである。月面クレーター、アサダは彼の名を取ったものと言われる。
 弟子の高橋至時、間重富らが日本初の西洋天文学にもとずく暦、寛政暦を作り上げた。
 ちなみに大分麦焼酎ゴーリュウが某酒造会社から売り出されている。宇宙に夢を馳せながら月を眺めて?めばさぞかしうまいことだろう。
 また、麻田の天体観測技術は伊能忠敬にも大きな影響を与えたという。直接の交流は至時のようだが、忠敬は暦学についても高度な知識を持っていたのだが20才ちかく若い至時に弟子入りしている。天体観測と測量というのは同一の基盤にあるものかも知れない。おわり
P1040701P1040711




伊能図、舞鶴の図書館で展示されていたもの。

【今日のじょん】ドッグランどにお客様が来るようになって困ったことが出てきた。みんな同じところでおしっこすることだ。柱や石はどうってことないのだが、花や木はちと具合が悪い。見ていると、まずじょんがしているところに誰かがして、その後またじょんがするという悪循環をしているようだ。
 じょんは障害物があるとしないので、とりあえず柵をつけることにする。
P1010431P1010432



この辺の木が危ないのよね、そんなのカンケーねえぴっぴー。

 
 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする