2013.10.2(水)曇り
その方は土砂崩れの上手の家の方で、当日の様子を語ってくれた。当日、16日はは朝の内猛烈な雨が降っていたが、お昼頃にはあがり陽もさしていた。午後になって雨も上がったので畑の草引きでもしようかなと思った矢先に停電し、雷のような音がしたという。そういえば我が家でも午後に停電し、雨風も治まっているのにどうしてかなと思っていた。
外の様子が気になって表に出てびっくり、家の前まで土砂が崩れれて流れ、身内のトラックは押し流されて埋没、畑もすっかり埋まってしまったということだ。家の前を水路が流れており、水量もかなりのものがあったので、みるみる溜まっていき、その水による被害も心配したということだ。ポンプによる排水で水の被害は避けられたようだが、排水は現在も行われている。
水路があって、水はポンプで汲み出されている。個人的な財産としてはこのトラックが最大の被害か。
警察や消防が到着すると、大規模な土砂崩れなので土砂の中に人や車が埋もれていないか相当気にしておられたようだ。土砂が崩れる直前で車を止めた方にお話を聞いたが、危機一髪とはこのことである。幸い土砂の中には誰も埋まっていないそうだが、民家の方もはじめ人的な危害が無かったことが幸いである。
目の前にトラックが埋まっている、農作業に使っていたという。畑や作物などの直接被害もあるが、復旧が長引けば経済的な被害も拡大するだろう。
聞けば斜面上部に亀裂が残っているという。道路の脇に地盤の変化を測定する機器が設置されている。
路上の土砂を撤去するだけなら数日で終わるだろうけど、山側からの土砂を安定させるとか、擁壁を造って安全を図ってからの開通となると相当の期間がかかりそうだ。
写真の左手にセンサーが設置されていた。
路上の土砂を撤去するだけなら数日で可能だろうけど。
さて帰ろうかと思ったとき、土砂崩れ現場からすぐ上手に、地区の災害避難所なる建物があるのに気づく。川からは随分高いこの地域で水害はまず考えられないのだが、一体どのような災害を想定されているのだろう。もし村中の人が避難していて、土砂崩れでも起きたら全滅の可能性だってあり得る。この避難所が土砂崩れにやられるということは想定されていないのだろうが、今となっては現実的な事となっている。おわり
【作業日誌 10/2】
ドッグランど芝張り
【今日のじょん】モモねーさんが来じょん、怒られながら遊んでおりやした。
2013.10.1(火)曇り
じょんのびへは府道1号線(小浜綾部線)山家経由をご利用ください。
18号台風(9月16日)の福知山市戸田の爪痕を紹介したが、上林では山家の広域農道の土砂崩れに困っている。
台風直後には広域農道(旭町)、綾部小浜線(おおい町)、菅坂峠西舞鶴方面などが通行止めになっていたがおおい町川上の部分はその後開通した。菅坂峠西舞鶴方面は利用頻度がそれほどでもないのだが、広域農道は上林にとって最も利用頻度の高い道路なので影響が大きい。綾部、福知山方面への通勤、買い物などほとんどがこの道路を使用している。
すぐに開通するだろうと高をくくっていたのだが、相当長くかかりそうと言う噂なので現地を見に行く。天文館パオにも行ってみたかったので、MTBで出かける。これなら脇道など通れそうと思ったからだ。
旭町の広域農道入り口から通行止めとなっているが住まいの方もあるので車は入れるようになっている。
何も車の来ない峠道をふらふらと登ってゆくと重機の音がする。二日ほど前から道路上の土砂を撤去しているそうだ。
峠を少し下ったところが現場で、左の山の斜面から赤土の大量の土砂が道路、畑を越えて民家のすぐ手前まで押し寄せている。道路の上は随分片付けられているが、まだ路面は土砂の下だ。
右手の旧道なら自転車で通れるかと思ったが、そこも土砂で埋まっており、村は完全に分断された状況だ。やむなく本道上の土砂の上を自転車を押してゆく。
土砂の部分を通り過ぎ、広域農道のアスファルトに出ると土砂崩れの全容が見える。赤土の表土が押し流されているようで、中途で段になっているところは少し固い岩盤のようだ。どうも大きな被害を出している全層崩壊では無いようだ。傾斜はさほどのことは無いが、長い斜面を崩れているので多量の土砂が堆積したもののようだ。
天文館パオを訪ね、夕方5時前に現場に帰ってくる。同じように土砂の上を歩いて越えると、近所の方がいらしたので当日のお話などを聞く。つづく
【作業日誌 10/1】
水回り掃除、ゴーヤカーテン片付け
2013.9.30(月)快晴
日置氏が太陽観測の最適地としてピーク419mの北辺りを使用していたとしたら、その地は近世には遊里の村であったが、古代には日置氏の土地であったと考えられる。
その地は小字日置殿町ではなく、湯の上かも知れないが日置氏が観測地に通うのに近くて便利なように出張所的に日置殿町を置いたのかも知れない。
山論争の古文書など見ていると、近世においては遊里(由利)村と日置谷村は完全に別個の村のようであるし、領主も違う村である。しかし古代において上記のようなことがあったとしたら、遊里に日置殿町という地名が残ったと言う理由になりはしないか。
日の出というのはかくも幻想的なものなのか。じょんのび村から。
山論争の古文書の中に西おなる山というのが出てきた。ナルが日を表すことは前述したが、一般的には緩い、なだらかなといった地形を表すのでどちらとも言えないが、太陽観測に関する山名だとしたらと気になるところである。
また、君尾山、頭巾山、弥仙山の目標物の他に、東南30度は志古田の還流丘陵丸山が当たるようだし、西はひょっとしたら以前に歩いた改心の道の元権現跡が当たるのかも知れない。このように想像ばかり膨らむのだが、この仮説を証明するのはかなり困難と思える。
弥仙山前衛の山稜は怪異な曲線を描いている。弥仙山から君尾山に至る改心の道が走る修験道の道である。
まず、遊里日置殿町について、地元や識者にいわれを確認すること。
次にもし観測地があるとしたら、他の日置にもあるはずだから探索すること。実はいくつかの日置について候補地は見つかっている。
観測地はどのような地形か、どのようなところにあるか、伝説や固有の地名が残っていないか調べること、祠や磐座など祭祀関連の遺跡がないか調べること、などなど調査して現地を訪れてみたい。
その前に、日の出日の入り方位板を工夫して作ったのだが、これが果たして実際の日の出日の入りに一致するものか確認する必要が出てきた。つづく
【今日のじょん】ショックなことが起こった。戸締まりをしていたドッグランどにイノシシが侵入していたのだ。しかも侵入の跡が無い。隙間も無ければ破られてもいないのだが、一ヶ所だけビニタイが切れているところがある。そこしか考えられないのだが、荒れた様子もなくミステリーである。
草や土を積んだ下の虫などを物色している。問題の個所は直さないで侵入の有無を確認できるようにしておいた。