2013.10.24(木)雨
人間が生活する限り太陽に関する関心は強いものがあったと思う。狩猟採取の縄文時代であっても季節の変化は重要な要素であるし、太陽の位置や高さ、その強さなどが季節の変化に関連があることは気づいていただろうし、太陽の恵みにも気づいていただろう。そして見つめることができない眩しい太陽に畏敬の念を抱いていたことも間違いないだろう。
農耕が本格的に始まった弥生時代になると、光合成のことを知らなくても、太陽が作物の成長に影響することは認識していただろうし、季節の変化をつかむことが収量を上げることであることにも気づいていただろう。集団の中で太陽を観測する専門的な分野が芽生えていたかも知れない。そしてそれは宗教的な日神祭祀と結びついていることだろう。
弓矢は海人族が日神を象る祭具であるというのは多くの説がある。高浜町日置神社の摂社にある飾り物は弓矢ではないだろうか。(2013.8.23)
そして古墳時代となりやがて国家の成立という時代になると、太陽の観測は国家が直接に行う事業となった。
「出雲国風土記」にある次の文から国家の事業として日置部が各地に派遣されたことがわかる。
日置の里(ひおきのさと)
郡家(こおりのみやけ)の正東(まひがし)四里なり。志紀嶋(しきしま)の宮にあめのしたしろしめしし天皇の御世、日置の伴部(ともべ)ら、遣(つかわ)され来て、宿停(とど)まりて、政(まつりごと)なせし所なり。故(かれ)、日置という。
ー「知られざる古代」(水谷慶一著)から抜粋ー
ここで言う政(まつりごと)の内容が何かということはわからないのだが、柳田国男、折口信夫説の「太陽神を祀り、暦・卜占に関すること」というのがもっとも妥当だと考えている。
ところで現在両氏の説を実際には読んでいないことを白状する。もっか何処に書かれているか調査中で、わかり次第読んでみようと思うのだが、読むことができたらまたご紹介したい。
両氏の説を読んで自説が出てきたのでは無くて、自分の考えが今回述べてきたとおりなので、両氏の説を支持するという結果である。つづく
【作業日誌 10/24】
薪割り2時間
【今日のじょん】
昨日パオパオさんが来じょん、キクちゃんをドッグランどで走らせたいという事だったのだが、あいにくの雨で思うようにならなかった。車の中のキクちゃん見に行ったら、いつものように怒らない。久々のドライブに疲れているとのことだったが、静かにしているとかわいいワンちゃんだ。なんでもパワーウィンドウを自分で開けられるんだって、凄いなあ。