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晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

どうするタイヤ? 3/8

2015-03-08 | 日記・エッセイ・コラム

2015.3.8(日)曇り

 そろそろ夏タイヤに切り替え時期かと思うのだが、問題はラジアルタイヤが2分山で替え時ということだ。7年乗車の6、5万の走行距離だとやむを得ないと思うが、予算のこともあるので頭が痛い。新車の時は黙って付いているので考える輿地は無いが、買い換えとなると選択肢が広がるので辛いものがある。
 自転車に乗っているときショップの竹中さんが、「自転車の部品で一番大切なものはなんですか?」という問いを出した。みんなクランクだとかハンドルだとかホイールだとか応えていたが、さすがにスピードを追求するチームだっただけにブレーキというのは無かった。正解はタイヤだった。
 先日下鴨神社にマンション建設というニュースが流れて、ぼーっと見ていたら、その竹中さんがインタビューに現れた。マンションはともかく、竹中さんは元気そうで良かった。
 確かにロードレーサーの場合あの細いタイヤの極一部が路面と接地して、抵抗を少なくグリップ力を大きくという何とも矛盾した性能を求めるのだからいたしかたない。給料が十数万の時代に、試合用は1万円、練習用は8千円ぐらいのタイヤをはめていた。それを2本はくのだからたまらない。ガラスの破片でもパンクするんだから、レースたって運試しみたいなもんだ。

タイヤのチラシ満載
 そんなことを考えれば自動車のタイヤって安いもんだなと感じるのだが、かといって予算が増えるわけじゃない。3月は決算期のせいかタイヤ店のチラシも多い。チラシでは値段ばかりを前面に出しているが、性能については書いていない。わたしの要求は、安全性、低燃費性能、安価程度かな。過酷な運転も長距離運転もしない。こういうものをチョイス出来るようなCMだといいのだけど、そうはなっていない。ネットで情報を調べても、評価は千差万別で判断のしようがない。行きつけの整備工場に相談すると、量販店で買われる方が安いですよ、と親切に?アドバイスしてくれる。ちょっと販売店まわりしてみるかな。
 タイヤだけでなく、冷蔵庫は時々勝手に解凍しているし、トースターは調理ボタンがめちゃくちゃだし、FAXは使用不能、電話は押せないダイヤルボタンがあるし、洗濯機は先日水漏れしたし、なんとも物入りな季節である。そうでなくてもアナログ放送が終わってテレビ買ったし、電気ストーブがうなり声挙げて慌てて買い換えたし大変なのだ。

【今日のじょん】テレビでエチオピアウルフの番組やってたら、じょんがじっと見ている。とくに鼠獲っているとことか、子供達が出てるとことか、、、。普段テレビを見ることはそうないのだけど、「ゆきちゃんに似てるで」なんて言ったからかしらん。

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あなしら上林-6 3/7

2015-03-07 | あなしら上林

2015.3.7(土)雨  続・草壁川沿いの岩石の正体は?

 その前に13年3月3日に鳥垣の坂尾呂神社下で見つけた、鉱滓かもしれない灰色の妙な石を鑑定していただく。これは薪をいただいている際に偶然見つけたものだが、清水の鋳物師による鋳物滓が存在する以外の流域で見つけた初めての鉱滓かもしれないという期待感がある代物である。磁性があるので火山性の岩石かも知れない、それならば誰かが火山のある観光地にでも出かけて、めずらしい形なので拾ってきたという可能性もある。何しろごろごろあるわけでなく、ただひとつ転がっていただけであるし、場所も住宅の裏庭のようなところだからだ。それにしても奇妙な形をしている。

 しげしげと眺めておられた先生、「どうも玄武岩のようですね」。
 そういえば玄武洞の玄武岩も弱い磁性があった。しかし色といい形といい玄武洞のものとは全然違うのだ。
「先生割ってみてもいいですよ」「いいのですか」先生が何でも割ってみられるのを知っているからそう言ったのだが、鉱滓でなければわたしにとって何の価値も無いわけである。火山性の石なら多分柔らかい凝灰岩だろうと思っていたのですぐに粉々になると思っていたが、意外と硬いようだ。割れた断面をルーペで観察されていた先生、「やはり玄武岩でしょうね、きらきらしているのが長石ですよ」なるほど風化によっては玄武岩もこうなるんだ。

割られた玄武岩とマグマの固まった石。
 次に本命の岸上さん持ち込みの石である。割って砕いてもいいですよと言われていたが、割る必要も無かった。「溶岩が固まったものですね。この方向に流れてきて、固まったものでしょう。細かい穴は気泡です。」
「これは草壁川支流のモリ谷の上流で見つかったもので、どこかから持ち込まれたという可能性はありません。付近に火山があったと言うことですか」

正面のV字状の谷がモリ谷ということだ。(庄から)
「どこから来たかということは解りませんが、地質図を見ると上流域に輝緑凝灰岩の層があります。火山活動があった可能性はあるかもしれません」
いやあ驚きである、そういえば鳥垣渓谷の米岩(こめいわ)は角礫凝灰岩(かくれきぎょうかいがん)だそうで、これも火山の痕跡と言えるのだろう。それはそれでロマンなんだけど、上林川の鉱滓探しはまたしても振り出しに戻った。
 小滝先生にはすっかりお世話になり、他にもいっぱい判明した事柄もあるのだけれど、それらはまた他のところで公表したい。

【今日のじょん】先日も言ってたのだが、とみに自己主張がきつくなってきた。今朝も近所の家の周囲に行きたくて頑として動かない。あまりそのとおりにしていると良くないようだが、一カ所ぐらいは行かせてやろうとすると、他所の家の裏庭まで入ってしまう。冒険心があるのだろうか。

帰らんといって踏ん張るチータ。


 

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あなしら上林-5 3/6

2015-03-06 | あなしら上林

2015.3.6(金)晴れ 草壁川沿いの岩石の正体は?

 あなしら上林でつたない文を書いていたら、ある方から電話があり、「あなしら上林を読んで、是非見て欲しいものがある」ということだった。いやあ、あなしら上林を読んでいただいているとは有り難いことだと思う。
 「生守山ーその三」に上林川で拾った鉄滓のことを書いていたので、その記事を読んでこられたようだ。その方は庄の岸上さんで、20年ほど前になるが、草壁川左岸の谷で拾ったという奇妙な石を持ってこられた。それは15cmほどの黒い岩石で、無数の穴があいており、磁性はなく、そこそこ重い。「鋳滓(いかす)ではないやろか」と言われるのだが、あまりにも色や気泡の並びが均一な感じで鉱滓では無さそうな気がする。ところが次の話で驚いた、草壁川周辺には、奈良の大仏造営時に銅を掘りだして供出したという伝説があるというのをききづてに聞いたというのだ。金属に関連する地域があるとすれば、草壁川周辺、上林川上流域、畑口川周辺と思っていたところである。特に草壁川周辺は日下部氏に由来する可能性もあり、大唐内の大蜘蛛退治伝説の高野聖は草ヶ部村の住と丹波志にはある。

右下に見えるのが問題の石
 ところがわたしは銅滓というのは見たことが無い。鉱滓で持っているのは清水鋳物師の鋳物滓とマキノ製鉄遺跡の鉄滓のみで、博物館などで見たことがあるのも鉄滓ばかりである。銅鉱滓というものが、同じようなものなのかどうなのか実は解らないのである。山野口鉱山(福知山鉱山)の付近に銅滓が出るとか聞いた事があるのだが未だ調査にも行けていない。以前に鳥垣で拾った鉱滓らしき妙な岩石のこともあるし、この際小滝先生に見てもらおうとアポイントを取る。これ以外にいっぱい聞きたいこともあるからだ。
 お忙しい先生がやってこられた、先生とは2012年5月サンドラ岩に向かいながらも雷にたたられて逃げ帰って以来3年近くお目にかかっていない。
 「筋力は落ちましたねえ」なんていわれているが、風貌も体格も3年前と変わらない。何でも昨年の福知山マラソンも完走されておられるとか、いやはや脱帽である。
 早速、例の石を見てもらう。他にもいろいろ聞きたいことがあるので事前にノートに書き留めておいた。
 さてこの黒い石の正体は?  つづく

【作業日誌 3/6】芝生広場苔対策 イタドリ、スギナ、スジキリヨトウ、タンポポと毎年課題を設けて取り組んできたが、勝利したのはイタドリとヨトウぐらいだ。今年の課題は苔とする。当初は気にならなかった苔も今春はかなり勢力を拡げてきた。とりあえず掻きだして燃やそうかと思っている。その後一部は洋芝を混植、一部は張り替えで苔の根絶を目指す。

苔やっつけるぞ、じょんも手伝えよなあ
 

 

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続・ポストのない日本の風景 3/5

2015-03-05 | 日記・エッセイ・コラム

2015.3.5(木)曇り

 行きつけの喫茶店に入り、ちょっとコーヒーブレイクしようかという時、「ごめんなさい、今コーヒー豆仕入れるお金がなくて、来月なったら出来ますからね」と言われたらドウスル?
 予算がないのでポストが立てられないというのは同じことではないだろうか。昨秋、日本郵便の父前島密記念ポストが設置されたというニュースがあった。日本最初のポストは明治4年の郵便創業の年に粗末な木の箱でつくられたそうだ。翌年には黒い角柱のものとなり、郵便箱を垂便箱と勘違いしオシッコかけられたなんて話も残っているそうだ。とにかく郵便制度開始と同時にポストもつくられたわけだ。だからこそ前島密の胸像もポストの上に鎮座しているわけだ。もっともポストは御影石の何ともセンスの悪いもので残念だが、ポストが郵便事業のシンボルであることがうかがえる。ポストは郵便事業が地域に向けている顔なのである。
 一時郵便事業への民間参入が騒がれたことがある。その時ポストを全国津々浦々に何万本だかを立てることが条件になって、結局どの企業も参入できず信書送達の独占は守られた。何とも姑息な方法であったが、それに対抗したクロネコのメール便も撤退するというニュースが最近あった。ポストのおかげで郵便事業の独占が守られたわけだ。
 さて、株式会社となった日本郵便は経営理念として次のように挙げている。

ポストのない日本の風景 
「日本郵便は、全国津々浦々の郵便局と配達網等、その機能と資源を最大限に活用して、地域のニーズにあったサービスを安全、確実、迅速に提供し、人々の生活を生涯にわたって支援することで、触れ合いあふれる豊かな暮らしの実現に貢献します。」
 下線を引いた配達網等の末端にあるのが郵便ポストではないのか。それを「予算が無いので設置できません」はないだろう。前島密が泣いてるで。
 わたしたち利用者は郵便局に気に入らないことがあっても、他の会社に替えることはできないのである。一般の企業なら「顧客は黙って去って行く」ということになるのだが、他の会社のポストは無い。だからこそ仕事はきちっとしなければいけないのだ。予算がなければ、取ってくる、上記三つの筋を通せば予算は取れる。億の金取ってこいと言うのではないわけだ、それも出来ないような会社なら未来はないぞ。

 中原中也にも「郵便局」という詩があるのだが、わたしは萩原朔太郎の「郵便局」が好きだ。
 
 郵便局

 郵便局といふものは、港や停車場やと同じく、人生の遠い旅情を思はすところの、悲しいのすたるぢやの存在である。局員はあわただしげにスタンプを捺し、人人は窓口に群がつてゐる。わけても貧しい女工の群(むれ)が、日給の貯金通帳を手にしながら、窓口に列をつくつて押し合ってゐる。或る人人は為替(かわせ)を組み入れ、或る人人は遠国への、かなしい電報を打たうとしてゐる。

 いつも急がしく、あわただしく、群衆によつてもまれてゐる、不思議な物悲しい郵便局よ。私はそこに来て手紙を書き、そこに来て人生の郷愁を見るのが好きだ。田舎の粗野な老婦が居て、側の人にたのみ、手紙の代筆を懇願してゐる。彼女の貧しい村の郷里で、孤独に暮してゐる娘の許(もと)へ、秋の袷(あわせ)や襦袢(じゆばん)やを、小包で送つたといふ通知である。

 郵便局! 私はその郷愁を見るのが好きだ。生活のさまざまな悲哀を抱きながら、そこの薄暗い壁の隅で、故郷への手紙を書いてゐる若い女よ! 鉛筆の心も折れ、文字も涙によごれて乱れてゐる。何をこの人生から、若い娘たちが苦しむだらう。我我もまた君等と同じく、絶望のすり切れた靴をはいて、生活(ライフ)の港港を漂泊してゐる。永遠に、永遠に、我我の家なき魂は凍えてゐるのだ。

 郵便局といふものは、港や停車場と同じやうに、人生の遠い旅情を思はすところの、魂の永遠ののすたるぢやだ。

 【今日のじょん】
 最近自己主張が激しくなってきた。散歩嫌ったら動かないし、こっち行くとなったら頑として聞かない。それでもこちとらは主導権もってなきゃいかんので、無理に引っ張ったりするとある行動をする。左足を挙げて痛そうにするのだ。これには弱くてじょんの言うとおりにする。なんかアヤシイナと思っていたら、かみさんが同じ事言うからドキリとする。そんな高等な戦術使うのかなあ、とりあえず要観察とする。

引っ張ってもダメ

 

 

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ポストのない日本の風景 3/4

2015-03-04 | 日記・エッセイ・コラム

2015.3.4(水)曇り 

 BS日テレ月曜の21:54~「ポストのある日本の風景」という番組がJPの提供であるそうだ。「想いをつなぐポストが見つめる 日本の情景 ”わたしに会いにきてください・・・”」というおしゃれなうたい文句で、牧歌的な風景を毎週放送されている。
 ところで先日お知らせしたとおり(2015.2.26)わが村の念道にあるポストは1月5日に撤去されたまま未だに設置されない。原因は支柱が腐食して、倒れかかっていたと言うもので、そこまで放って置いたことにも驚くが、2ヶ月たっても設置されないことに疑問を感じた。
 「別のお近くのポストをご利用下さい」と書いてあるのだが、近くにポストなんかありゃしない、上下どちらに行っても2Kmはかかるのだ。
 出す郵便物たって月に2,3通だけどたいがいかみさんがじょんと一緒に歩いて投函している。最初にポストが無くなったのも投函に行って気付いたのだ。それから2,3度、もって行っては持ち帰るということを繰り返していた。

ポストの代わりに貼り紙があった。
 2月の初めだろうか、このまま廃止になると困るので八津合の郵便局へ問い合わせた。取り替えということなのでしばらくお持ち下さい、と言う返事だった。しばらく、一時なんてのはうまくできたことばで、いつになったらできるのか少しも解らない。
 2ヶ月たってもなにもされないので、担当している綾部郵便局に問い合わせる。電話に出た女性職員が「準備をしておりますが、遅れております。申し訳ございません」と回答、わたしはそんなことを聞いているのでは無い、具体的な進捗状況を聞きたいわけだ。責任ある方に替わって下さいと頼むと、「会議中です、折り返し連絡しますのでお電話番号を」とのこと。これは親切な対応に聞こえるが実は失格、だれもがいつでも電話に応えられるような状況では無い事を知るべきだ。「こちらからかけ直しますから、、」といってもしつこく「お電話番号を、、」と言っている。この場合は「そうですか、〇〇頃には会議が終わりますのでお掛け直し願えますか」というのが正解。
 さて数時間後、責任ある?某課長に連絡する。
「あれは撤去ではなく、一時撤去ですよ」
「それは解っています、貼り紙にそう書いてありますから、、。2ヶ月も放っておいて一時ですか」
「申し訳ありません。今年度の予算が無いものですから、故障した1月には既に無いということでして、、、」
「すると出来るのは4月以降ということですか。」「そうなります。」
「それがわかってるんやったら、あの書き方はあかんやろ、ちゃんと4月以降になると書き直せよ」と頭にくる。
「わかりました、書き直します」
「しかし郵便局にはポストを修理するお金も無いのですか」「そうです」
「そんな馬鹿な話はないでしょう」
「他にも沢山立て替えがありまして、順番という事もありますし、、、」

 「予算がありませんので」というのは公務員の断りの常套手段で、綾部市でも中丹土木事務所でも何度も聞かされた。予算がないという理由でやらなければならないことをやらないというのは実にずるい態度だと思う。住民は諦めるしかないのだから。
 ところでここでおやっと思う。郵便局はもう公務員じゃないんだ。公務員の伝家の宝刀使こたらあかんやろ。
 しかしこのポスト事件は某課長も気付いてない大きな問題を含んでいる。つづく

ポストのない日本の風景

【今日のじょん】サリーちゃん一家が遊びに来る。すっかり田舎犬になりよった。まいちゃんも人なつっこいねエ。


 

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雨読 「卑賤観の系譜」 3/3

2015-03-03 | 雨読

2015.3.3(火)雨

 「日本の聖と賤」中世篇(2015.2.2参照)の次に近世篇を読み始めたのだが、古代の身分制、賤身分の由来、宗教思想との関連、古代の賤身分は中世に引き継がれたのか、などを解明してから近世篇を読んだ方が歴史の流れを理解しやすいと思い本書を選んだ。本来は「日本の聖と賤」の三部作の一つである「アジアの聖と賤」を読むべきなんだが、違った著者のものを読むことによって、多方面からの理解が出来るものと考えた。
 「卑賤感の系譜」神野清一著 吉川弘文館1997年2月1日第一刷発行 古書
 
 かなり専門的な書物で、一度読んだぐらいでは理解できない。ここぞと思うところに付箋紙を貼るのだが、その枚数が増えるだけで頭の中では少しも整理が出来ない。古代の賤身分の主なものは(ぬひ)であり、として、官、家人、、とあるわけだが、は養老令以降(718年)につくられた賤身分である。基本的に罪人がこれらにおとされたとされている。西欧の奴隷制ほどは発達していないとされているが、モノとして扱われた。姓(かばね)についてみれば、部(べ)人(ひと)族(ぞく)などの姓は一般庶民に与えられたものだが、天皇とのみは姓を持たない。それは天皇とが身分制の両極端にいて、天皇は姓の賜与貶奪者(しよへんだつしゃ)であり、身分秩序の超越したところにあるものとされる。現在の天皇にも姓がないのはまさにこのことを引きずっているのだろう。
 古代の身分制で知りたかったことは、品部(ともべ)のことである。良賤制の良の中に臣と民があるのだが、民の中に百姓、品部、雑戸(ざっこ)とあるのだが、部民はウジの隷属民であり、ウジに属するが「氏人(うじびと)」ではなく、ウジ名やカバネとは無縁であった。品部や雑戸の多くは朝鮮半島から渡来した技能民と考えられるのだが、良とされながらも7世紀半ばまで無姓であり、賤視されていたと考えられる。例えば品部には舟守戸、鷹養戸、狛人、革張、藍染、鵜飼、薬戸、氷戸、伎楽、奈良笛吹、漆部など多くの職に携わるものがある。ところがこれらは675年の部曲(かきのたみ)廃止を経て690年の造籍で姓が与えられた。従ってこれら部民が中世以降の被差別民等とは系譜的にもつながらず、ましてや近代の被差別民の源流ではあり得ない、と解いている。

 次にとされているの問題である。ではない陵守がと用語が変えられた養老令で始めてとされたのだ。なぜが賤身分におとされたのかという問題で、だれもが死穢に対する風潮を理由に挙げるだろうが、神野氏は幾多の根拠を挙げてこれを否定している。イザナギ、イザナミ黄泉の国神話に出てくる死穢観はあくまで神話的表現としている。8世紀には触穢とのかかわりで山陵を忌む風潮はまだ無く、守陵民が山陵と関わるという理由からとくに卑賤視されたとは考え難い、としている。を賤身分としたのは中国のあり方にならったものという説も有力だ。結局への卑賤視は律令国家がこれを賤身分に組み入れたことによって生まれたと結論づけている。
 この部民との問題は、わたしが探究している、弓削部、日置部などの部民と葬送に関わる三昧聖などに対する卑賤観と関連するものではないかということであって、本書の主題では無い。
 あとがきのなかに、本書は、古代の身分制を通して、差別の根源と差別感情の背後にある卑賤観の内実を明らかにしようとしたものである。と書かれている。
 古代、中世、近世、近代と制度は廃止されたり変更されたりしてきたが、卑賤観というものは民衆の中に根強く引き継がれ、時の権力者によって都合良く利用されたのではないかという思いである。

【今日のじょん】
 
 福知山の図書館にいくでっていったら「いるまんさんに行って、カボジャーとかんそー野菜買ってきて」と言われ、いそいそと出かける。例の柴犬見ようと思っていたら、カウンターにかわいいワンコがいる。あれ~こんなコいたかなあと言ったら、「ハナちゃんですよ」だって。いつもぐたーと寝てるから、こんなかわいいって解らなかったのだ。それにしても11だか12だかと言われて、随分若く見えるよネ。

家帰って、「柴犬は?」「・・・・」
 

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雨読 「鉄、千年のいのち」 3/2

2015-03-02 | 雨読

2015.3.2(月)曇り

 薬師寺の和釘を打ったある鍛冶師の自伝である。テレビのドキュメンタリーで見たような気がしてこの本を探していたのだが、高価なので手が出なかった。古本のサイトを気長に待って、やっと400円で出ていたのですかさず購入、納得の一冊であった。(値段でなく、内容的に、、)
 友人のfe工房鍛冶師村上君がかつて和釘を打って納品したという話を聞いていたので、本書をもっていなかったらプレゼントしようと思っていたのだが、さすがに既に読んだと言うことだった。彼のつくったというのは寺院などの建物用でなく、国宝阿修羅像の複製の芯に使われる和釘で飛鳥釘だということだ。
 「鉄、千年のいのち」白鷹好伯(しらたかゆきのり) 草思社 1997年初刷 古書

 職人というのはなぜこんなに心惹かれ、憧れるのだろう。それはサラリーマンで永年過ごし、ものづくりということと無縁の世界に生きてきたものにとっては異次元の素晴らしい世界のように思えるからだろう。サラリーマンには絶対に解らない苦労や苦しみを慮ることなく、その技術や心意気に憧れるのである。
  特に木と鉄は日本人のものづくりの基本であり、宮大工と鍛冶師というのはわたしにとっても憧憬の的なのである。鍛冶の白鷹氏は西岡常一棟梁と出会い千年の和釘をつくることとなる。西岡棟梁は技術者の人間国宝第一号の方で法隆寺や薬師寺の修理再建を手がけておられる。西岡氏に関する書物は読んだことが無いのだけど、二人目の人間国宝となられた松浦昭次氏の「宮大工千年の知恵」(祥伝社刊)は手元にある。どちらも千年がキーワードになっているのだが、千年以上もつ建物を造るには千年以上もつ釘が必要だということだろうか。

 白鷹氏は鍛冶屋の生まれだが、鍛冶屋に奉公して修行されたわけではない。木屋という刃物会社で仕入れや販売を担当されていたようだ。木屋というのを憶えていたのは、わたしの学生時代に使っていたステンレス包丁に木屋の刻印があったからだ。といっても特段上等なものではなく、台所用具といえばそれだけだったから憶えていたのだろう。
 木屋を辞めて故郷松山に戻り鍛冶職を継がれるわけだが、いきなり和釘をつくられたわけではない。本人も野鍛冶と言っておられるように、鍬や鎌、包丁などを造り、さいがけもされていた。さいがけとは古くなって摩耗した鍬に鉄や鋼を足して打ち直すのである。
 三和町の郷土資料館で村の鍛冶屋展というのがあって、わたしの子ども時分にはトンテンカントンテンカンと常に槌音のしていた中馬さんらの道具やフイゴが展示されていた。その時の資料にさいかけや鍬などの作製が詳しく載っており、驚いたのは使用する農家の利き手や土質、畑の傾斜などによって鍬の角度や鋼の具合を調整するという。また、力の弱いお年寄りに特別な鍬をつくったりとか言う話があり、これぞ野鍛冶の神髄である。
 とにかくそうして千年の釘が出来上がるのだが、久々に半日で読み終えてしまったことを考えれば、実に興味深い本であったかが解る。

【今日のじょん】先日の鹿の遺体がないものかと西の方の山道を探索する。結局見つからなかった。

 
 

 

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大唐内のこと(94) 大唐内地名考-9 3/1

2015-03-01 | 大唐内のこと

2015.3.1(日)雨 大唐内のこと(93)は2015.2.27

 カイチのことを書き始めてそのままになっているので続けてみたい。
 河内はカワチ、カウチ、カイチ、カッチ、コチ、コーチ、ゴーチなどと転訛し川内、河地、高内、甲地、好地、谷内など様々に表記される。地図で拾ってみても山間部の川沿いに開けた平地が圧倒的に多い。(南丹市園部町大河内や京丹波町西河内など)
 垣内はカキツ、カイト、ガイト、カイド、カイツ、ガイチ、カイチなどと呼ばれ、海津、貝津、垣戸、垣外、替地、海道、谷戸などこれまた様々に書かれる。これは地図で拾って見ると平地の方が多いように思えるが、一定の集落を表すようで、これがいわゆるカイチのことのようだ。綾部市だと山家周辺に多くの垣内地名がある。岡皆地(橋上町)、大皆地(鷹栖町)上ノ替地(下原町)後替地(上原町)下替地町などおそらくその意味だろう。読みは下替地町はしたのかちちょうなのでカチやカイチと呼ぶのだろう。
 上地カイチのある三和町上川合について、ヘヤガ市、猫ヶ市、寺ヶ市、岩ヶ市といくつもの市地名がある。山深い地に多くの市が立つとは思えないし、これは垣内地名と考えると納得がいく。ただ前述のように上川合には上地、日向、日代、稻葉などのカイチが存在するので、〇〇ヶ市というのが如何なる場所にあるかによって、河内地名なのかもしれない。
 いずれにしても、河内と垣内は発生を異にする地名用語なのだが、読みの同じものがあるので大変紛らわしい。現実に河内が一つの垣内になっている場合もあるので余計複雑となっている。
 峡戸、谷戸もカイトと呼び、山間の平地を表す。垣内からの転も考えられるというので(地名の語源)これまた複雑だ。上記の例で表した地名についても、本当はどちらに属するのか解らないものもある。
 話がややこしくなったが、大唐内については河内説(オガワチ)、唐内説(オガラチ)、涸地説(オカラチ)を並記し、地形について最も説得力のある河内説を主にしたい。

雪の残っている谷も幾つかあるだろうが、山が白いのには驚いた。この朝はどこも雨だったのだ。
【今日のじょん】雨の日はなぜ一日中寝るのか?

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