2015.3.3(火)雨
「日本の聖と賤」中世篇(2015.2.2参照)の次に近世篇を読み始めたのだが、古代の身分制、賤身分の由来、宗教思想との関連、古代の賤身分は中世に引き継がれたのか、などを解明してから近世篇を読んだ方が歴史の流れを理解しやすいと思い本書を選んだ。本来は「日本の聖と賤」の三部作の一つである「アジアの聖と賤」を読むべきなんだが、違った著者のものを読むことによって、多方面からの理解が出来るものと考えた。
「卑賤感の系譜」神野清一著 吉川弘文館1997年2月1日第一刷発行 古書
かなり専門的な書物で、一度読んだぐらいでは理解できない。ここぞと思うところに付箋紙を貼るのだが、その枚数が増えるだけで頭の中では少しも整理が出来ない。古代の賤身分の主なものは(ぬひ)であり、として、官、家人、、とあるわけだが、は養老令以降(718年)につくられた賤身分である。基本的に罪人がこれらにおとされたとされている。西欧の奴隷制ほどは発達していないとされているが、モノとして扱われた。姓(かばね)についてみれば、部(べ)人(ひと)族(ぞく)などの姓は一般庶民に与えられたものだが、天皇とのみは姓を持たない。それは天皇とが身分制の両極端にいて、天皇は姓の賜与貶奪者(しよへんだつしゃ)であり、身分秩序の超越したところにあるものとされる。現在の天皇にも姓がないのはまさにこのことを引きずっているのだろう。
古代の身分制で知りたかったことは、品部(ともべ)のことである。良賤制の良の中に臣と民があるのだが、民の中に百姓、品部、雑戸(ざっこ)とあるのだが、部民はウジの隷属民であり、ウジに属するが「氏人(うじびと)」ではなく、ウジ名やカバネとは無縁であった。品部や雑戸の多くは朝鮮半島から渡来した技能民と考えられるのだが、良とされながらも7世紀半ばまで無姓であり、賤視されていたと考えられる。例えば品部には舟守戸、鷹養戸、狛人、革張、藍染、鵜飼、薬戸、氷戸、伎楽、奈良笛吹、漆部など多くの職に携わるものがある。ところがこれらは675年の部曲(かきのたみ)廃止を経て690年の造籍で姓が与えられた。従ってこれら部民が中世以降の被差別民等とは系譜的にもつながらず、ましてや近代の被差別民の源流ではあり得ない、と解いている。
次にとされているの問題である。ではない陵守がと用語が変えられた養老令で始めてとされたのだ。なぜが賤身分におとされたのかという問題で、だれもが死穢に対する風潮を理由に挙げるだろうが、神野氏は幾多の根拠を挙げてこれを否定している。イザナギ、イザナミ黄泉の国神話に出てくる死穢観はあくまで神話的表現としている。8世紀には触穢とのかかわりで山陵を忌む風潮はまだ無く、守陵民が山陵と関わるという理由からとくに卑賤視されたとは考え難い、としている。を賤身分としたのは中国のあり方にならったものという説も有力だ。結局への卑賤視は律令国家がこれを賤身分に組み入れたことによって生まれたと結論づけている。
この部民との問題は、わたしが探究している、弓削部、日置部などの部民と葬送に関わる三昧聖などに対する卑賤観と関連するものではないかということであって、本書の主題では無い。
あとがきのなかに、本書は、古代の身分制を通して、差別の根源と差別感情の背後にある卑賤観の内実を明らかにしようとしたものである。と書かれている。
古代、中世、近世、近代と制度は廃止されたり変更されたりしてきたが、卑賤観というものは民衆の中に根強く引き継がれ、時の権力者によって都合良く利用されたのではないかという思いである。
【今日のじょん】
福知山の図書館にいくでっていったら「いるまんさんに行って、カボジャーとかんそー野菜買ってきて」と言われ、いそいそと出かける。例の柴犬見ようと思っていたら、カウンターにかわいいワンコがいる。あれ~こんなコいたかなあと言ったら、「ハナちゃんですよ」だって。いつもぐたーと寝てるから、こんなかわいいって解らなかったのだ。それにしても11だか12だかと言われて、随分若く見えるよネ。
家帰って、「柴犬は?」「・・・・」