晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 「鉄、千年のいのち」 3/2

2015-03-02 | 雨読

2015.3.2(月)曇り

 薬師寺の和釘を打ったある鍛冶師の自伝である。テレビのドキュメンタリーで見たような気がしてこの本を探していたのだが、高価なので手が出なかった。古本のサイトを気長に待って、やっと400円で出ていたのですかさず購入、納得の一冊であった。(値段でなく、内容的に、、)
 友人のfe工房鍛冶師村上君がかつて和釘を打って納品したという話を聞いていたので、本書をもっていなかったらプレゼントしようと思っていたのだが、さすがに既に読んだと言うことだった。彼のつくったというのは寺院などの建物用でなく、国宝阿修羅像の複製の芯に使われる和釘で飛鳥釘だということだ。
 「鉄、千年のいのち」白鷹好伯(しらたかゆきのり) 草思社 1997年初刷 古書

 職人というのはなぜこんなに心惹かれ、憧れるのだろう。それはサラリーマンで永年過ごし、ものづくりということと無縁の世界に生きてきたものにとっては異次元の素晴らしい世界のように思えるからだろう。サラリーマンには絶対に解らない苦労や苦しみを慮ることなく、その技術や心意気に憧れるのである。
  特に木と鉄は日本人のものづくりの基本であり、宮大工と鍛冶師というのはわたしにとっても憧憬の的なのである。鍛冶の白鷹氏は西岡常一棟梁と出会い千年の和釘をつくることとなる。西岡棟梁は技術者の人間国宝第一号の方で法隆寺や薬師寺の修理再建を手がけておられる。西岡氏に関する書物は読んだことが無いのだけど、二人目の人間国宝となられた松浦昭次氏の「宮大工千年の知恵」(祥伝社刊)は手元にある。どちらも千年がキーワードになっているのだが、千年以上もつ建物を造るには千年以上もつ釘が必要だということだろうか。

 白鷹氏は鍛冶屋の生まれだが、鍛冶屋に奉公して修行されたわけではない。木屋という刃物会社で仕入れや販売を担当されていたようだ。木屋というのを憶えていたのは、わたしの学生時代に使っていたステンレス包丁に木屋の刻印があったからだ。といっても特段上等なものではなく、台所用具といえばそれだけだったから憶えていたのだろう。
 木屋を辞めて故郷松山に戻り鍛冶職を継がれるわけだが、いきなり和釘をつくられたわけではない。本人も野鍛冶と言っておられるように、鍬や鎌、包丁などを造り、さいがけもされていた。さいがけとは古くなって摩耗した鍬に鉄や鋼を足して打ち直すのである。
 三和町の郷土資料館で村の鍛冶屋展というのがあって、わたしの子ども時分にはトンテンカントンテンカンと常に槌音のしていた中馬さんらの道具やフイゴが展示されていた。その時の資料にさいかけや鍬などの作製が詳しく載っており、驚いたのは使用する農家の利き手や土質、畑の傾斜などによって鍬の角度や鋼の具合を調整するという。また、力の弱いお年寄りに特別な鍬をつくったりとか言う話があり、これぞ野鍛冶の神髄である。
 とにかくそうして千年の釘が出来上がるのだが、久々に半日で読み終えてしまったことを考えれば、実に興味深い本であったかが解る。

【今日のじょん】先日の鹿の遺体がないものかと西の方の山道を探索する。結局見つからなかった。

 
 

 

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