hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

6月の旅②〜白糸の滝の涼風を楽しむ

2024-06-25 05:00:00 | 旅行
6月の旅②。旧軽井沢を諦めた私どもはやむなく白糸の滝ハイランドウェイという有料道路を走る羽目になる。というのは中軽井沢からそのまま国道146号を走れば通行料はいらないのだが、回り道も面倒なのでそのまま。この有料道路は1962年に開通、バスを運行する草軽交通が保有したものでダートの時から金を取っていた。今は流石に舗装はされているが、路盤はガタガタのところもある。

名前の通り『白糸の滝』を通るのだが、逆に言うと白糸の滝にはこの道路を通らないと行けないシステム。500円は入場料と思って走る。三笠、小瀬温泉など草軽交通の前進である草軽電鉄の駅があった所を結んでいる。

20分ほど走ると白糸の滝に到着。無料駐車場に車を止めて歩く。とはいえ歩いて5分ほどで目的地には着く。



ただ、ここまでわざわざ来る人が少ないのか、駐車場はガラガラである。道を右に曲がると湯川の支流が流れていて涼しくなる。大きな木が倒れていたり、お化けのように大きなシダが群勢していたりと自然たっぷり。



壁際にはびっしりとスギゴケが生えていてその中にカタツムリを発見。

もう少し登ると滝が見えてくる。那智の滝や華厳の滝のように太い流れが一本というより周囲に滝のカーテンをかけたように約70mの幅で岩の間から水が染み出して糸のように流れている。白糸の滝のネーミングのうまさに感心。



説明板によると浅間山に降り注いだ雨水が滝に流れ落ちるまで6年もかかるとのこと。水温は11.8℃と地熱の影響もあり、やや高めである。



再度、車に乗り、峰の茶屋まで走る。ここまでが有料道路、四差路を右に曲がり、国道146号を走る。このあたりから見る浅間山が美しい。

そう言えば亡くなった父親が浅間山の見える別荘が欲しいと買ったのだが、少し経つと周辺の樹が繁り、浅間山が見えなくなって残念がったことをなぜか思い出した。(以下、次回)


6月の1泊旅行①〜まずは軽井沢に片づけに行く

2024-06-21 05:00:00 | 旅行
私の人生の中で6月に旅行に行く機会は殆どなかった。しかし、遺産相続関連で別荘にある書籍の整理にどうしてもないかざるを得なくなり、6月14日AM6に家を出発、車を運転していくことにした。長距離の運転も昨年8月の夏旅行以来しておらず、やや心配ではあるが、高速道路も100km/h以下とゆっくり走って行くことにした。

金曜日の環八は意外とスイスイと進む。何しろ信号待ちを1回以上したのは谷原交差点が最初、さらになぜか道路工事もあまりない。関越自動車道は使いにくいと私の頭には刷り込まれているが、この日は事情が異なる。高坂SA、横川SAに寄って一休み、基本的にゆっくり走ったが、碓氷軽井沢ICに到着したのは0940である。ランチは久しぶりに峠の釜めしを横川SAにて購入しておく。今も『峠の釜飯』はあるが、『横川〜軽井沢の鉄路』はすでになく、今では正月の駅弁大会や高速道路のSAで買う物になっている。



別荘のことをとやかく書く気もしないのだが、我ながらよく溜め込んだ時刻表と鉄道雑誌の数々。ダンボールを5箱用意したが、ダンボールが足りなくなり、一部は諦めた。(それでも時刻表100冊)もちろん持って帰れる訳もなく、引き取ってくれる業者に郵便局から直送した。
驚いたのは無くなる訳ないと思っていた千ヶ滝郵便局も2年前に閉鎖され(郵便局的には御代田の郵便局と合併した形となっている)ていて、目印もなく、さらに中軽井沢郵便局まで行く羽目に。まあ、あれだけ流行っていた西武百貨店軽井沢店が廃墟になるのだから、致し方ないか。

時刻表と奮闘したので11時半近くなったため、買って来た峠の釜めしを食べる。釜めしには益子焼の焼き物を使い、たっぷりの味のついたご飯がぎっちり。具材は鶏肉、牛蒡、椎茸、うずら卵、筍、栗、生姜と色とりどり、忘れてはいけないのが杏である。私はこの弁当をかれこれ半世紀に渡って食べているが、シウマイ弁当(横浜駅)にも峠の釜めしにも杏が入っていることが理解し難い。ただ、わが相方のように楽しみにしている人がいることは申し添えたい。釜飯1個で腹が痛くなるほど満腹となる。

峠の釜めしで楽しみなのは『香の物』、別のプラスチックケースにヤマゴボウ、ナス、きゅうり、小梅、ワサビ漬けなどが詰めてある。色々な駅弁を食べたがこれほど充実した香の物の付いた弁当にはお目にかかったことがない。

(現駅舎)

(旧駅舎)
中軽井沢郵便局に行く途中で中軽井沢駅を見たのだが、駅舎が驚くほど立派になっていた。かつては金沢行白山号や夜行急行の越前・福井行などの優等列車、上野行の特急そよかぜの始発駅と君臨していたころは小さな駅舎だったのに、今はほぼ各駅停車しか止まらない駅の方が立派となっていて理不尽さを感じてしまう。

中軽井沢郵便局で5箱のダンボールを送って今回の旅行の目的は達した。滅多に来ないから旧軽井沢にも寄りたいと相方に言われ、何回通ったかもわからないほど走った道を走る。しかし、旧軽井沢ロータリーが近づくとなぜか駐車場は満車ばかり、と言うのは町営駐車場は現在建て直し中。もしこの夏に行かれる方がいたら気をつけた方がいい。町営駐車場に止められないことで旧軽井沢を諦めて私の車は草津温泉方面に向かわざるを得なくなった。(以下、次回)

なお、最初の写メは今も発行されている鉄道ファンの創刊号と2号です。

洞爺湖と羊ヶ丘展望台〜夏旅2023⑫終

2023-08-28 05:00:00 | 旅行
夏旅2023⑫終、一夜明け、カーテンを開けると一面の霧、真っ白くなっていて湖どころかすぐ前が見えなくなっている。朝風呂に入るが、これは露天風呂も同じ。殆どが視界が効かず、残念である。



ザ・ウィンザーホテル洞爺湖は1993年にカブトデコムの子会社エイペックスにより会員制ホテルとして開業。その後、北海道拓殖銀行子会社に譲渡されたが、1998年に拓銀が破綻。その後経営権は何度か変更され、今の形での開業は2002年のことである。当時は650億円が投下されたとも言われる立派な造りで多少古くはなっているが、壮大な吹き抜けやフロント横の巨大な窓から見る洞爺湖の見事な眺めなど、素晴らしい建物である。



朝の散歩も兼ねて歩き回るが、霧のため、よく見えない。それでもサミットの時に首脳達が並んで記念撮影をしたバルコニーには立ち位置がちゃんと残されていた。



反対側に回ると霧がほとんどなく、勇姿を写メに収めることができた。惚れ惚れするほど立派な建物である。目の前にはパークホテル、すぐ横にはゲレンデなどが広がり、緑豊かである。



朝食は洋食、和食、バイキングから選択できるが、我々は和食を選択。朝から近海で獲れたソイ、タコとマグロの刺身、いくらの醤油漬・明太子・茄子の煮物・海苔の佃煮、鮭の焼き浸し。



別皿には豚肉の煮物、ズッキーニのお浸しなど沢山のおかずと美味い米、味噌汁と大満足。一流ホテルの和定食は最高である。



チェックアウトをして洞爺湖畔まで行くが洞爺湖は広大で遊覧船で回るにしても1時間かかるとのこと。天気も良くないので少し歩き、帰途に。それにしても土産物屋の1軒すら湖畔にないのは寂しい。

飛行機には間があるので我々が足を踏み入れたことのない『羊ヶ丘展望台』に立ち寄ることにする。山周り(定山渓)にするか、道央自動車道で行くか悩んだが、面倒のない道央自動車道周りに決定。



途中有珠山SAで休む。ただ、距離があり、風景も面白くない。
ようやく北広島ICで下車、羊ヶ丘道路をひたすらまっすぐ行くのだが、田舎ばかり走ったためか、車が多くて初めは怖さを感じてしまう。



ようやく羊ヶ丘展望台に到着。駐車場も広く、先には札幌ドームがよく見える。列があるので何かと思えばクラーク像。以前は北大内にあったがあまり観光客が多いのでこちらに移転した逸話も残る。



しばらくすると羊も出てきてくれ、ゆっくりと草を食む姿に癒された。クラーク氏の歴史などが説明されているクラークチャペル、さっぽろ雪まつりが全てわかる資料館などを見て新千歳空港へ急いだ。



新千歳空港は来るたびに大きさに圧倒されるが、それは今回も同じ。食べそびれた昼飯がわりの蕎麦をたべ、機上の人となった。



羽田空港に近づくと夕焼けの中にぽっかりと富士山、唱歌富士山を思い出した。4泊5日よくこれだけ詰め込んだ忙しい旅行も最後。
天気予報は雨ばかり、しかし結局のところ傘を使うことは遂にない楽しい旅路であった。(終)

ザ・ウィンザーホテル洞爺湖のディナー〜夏旅2023⑪

2023-08-27 05:00:00 | 旅行
夏旅2023⑪、4泊5日の旅も最後の宿泊となった。宿泊するのは2008年洞爺湖サミットの会場にもなったザ・ウィンザーホテル洞爺湖リゾートである。他のホテルが洞爺湖畔洞爺湖温泉に立地しているのに対してかなり山を登ったところにある。

湖畔道路から曲がりくねった道に入るがかなり細い道、どうもカーナビは細い道を示すようでしばらく走ると無事広い道に合流した。ただ、まだ5合目と出ていて山を回りながら登り詰めるまであと10分程度かかった。エントランスで荷物を下ろすと地下駐車場に車を停め、2フロア上のフロントにようやく辿り着く。

フロントの前は大きなガラス窓となっていて洞爺湖がややモヤの中に見える。特に真ん中にある中島がよく見え、景観的に素晴らしい。フロントで受付を待つ間にパイナップルとライチのジュースを飲みながら優雅に待つ。

部屋は9階だったが、ここからも洞爺湖が見える。部屋も広々としていて実に快適だが、温泉までが遠いのが玉に瑕。もちろんタオルなど何も持たずに入浴ができ、広過ぎないが温泉もゆったりしていた。

お楽しみは夕食、このためにちゃんとポロシャツとスラックスは持参、2階のメインダイニング『ギリガンスアイランド』へ行く。家族連れが多いが子供たちもちゃんとおめかししている。


コースは決まっていてまずはスパークリングワインで乾杯。アミューズにはトリフクリーム入りプチシュー、竹墨を加えた黒っぽいシューの中から香り高いトリフ。いいですね。



オードブルは『帆立貝のポワレ、季節の野菜添え』、ソースは赤いビーツとオレンジ。半生に火が入り、帆立貝が甘い。

魚料理は『内浦湾のヒラメのクルート焼』、トリフ風味のバターソース。白ワインとの相性が抜群、特に皮目を少し焦がし気味に調理されている。バターソースには色々な野菜が入っていてパンに付けて食べるが、これが美味いのである。

肉料理は『黒毛和牛サーロインのロティ』、北海道産レフォールが香るフォンドボーソース。王道の料理、とても美味い。火入れが最高である。手前の黄色いソースは道内産かぼちゃのソース。



デザートは『ホワイトラムに漬けたフルーツ、その上にマンゴーソルベ、その上にココナッツのエスプーマ、ココナッツの焼き菓子』が登場。私の好きなココナッツの香り豊かでラムに漬けたフルーツとも最高のマッチング、デザートワインの貴腐ワインにもよくあっていた。

コーヒーを頂き、ごちそうさま。サービスも素晴らしく、旅行最後の夜を十分に満喫できた。(以下、次回)





北小金貝塚と入江高砂貝塚〜夏旅2023⑩

2023-08-26 05:00:00 | 旅行
夏旅2023⑩、ウポポイを1時半に出て再び道央自動車道に乗り、再び室蘭ICで降りた。次は世界遺産にも指定された北小金貝塚を往訪する。

北海道・北東北の縄文遺跡群は2021年7月に世界文化遺産に登録、北海道6ヶ所、青森県を中心とする東北3県で11ヶ所、計17ヶ所が指定され、伊達市北小金町にある貝塚を中心とした遺跡はそのうちの1ヶ所。



だんだん細くなる山道を走り、噴火湾沿いにある遺跡まで約10分。公園内には北小金貝塚情報センターが作られ、まずはそこから見学。北小金貝塚は縄文前期(6000年〜5000年前)の遺跡であり、海岸から10〜20m登った丘の上に立地する。貝塚と低地の水場遺構を中心とした集落遺構。



(発掘された土偶)

貝塚からは牡蠣を中心にハマグリ、帆立貝などの貝殻やマグロ、ヒラメなどの魚の骨、さらにクジラやオットセイなどの海獣の骨も出土した。竪穴式住居跡や貝塚と一体となった墓域もかあり、木の実をすり潰した擦り石や石皿も発掘されていた。



竪穴式住居は3基が再興され、丘の上に貝塚が配置されていて場所を示す為に帆立の貝殻が一面に置かれていた。貝塚は2つあったのだが、いずれもその規模は大きく、驚く。また、場所は海から崖を登ったところで眺めもいい。

それにしても冬あれほど雪が降り、寒いこの地域に遺跡があるのは不自然な気になる。



(再現されている貝塚)

旧石器時代は今より気温が7、8度低かったが、この遺跡のできた6000年前頃から徐々に気温が上がり、当時は今よりかなり高い時期が続いた。このため、緯度の高い北海道でも生活することができたと考えられている。



続いて洞爺湖町にある入江・高砂貝塚館を訪れる。ここはすぐ近くに入江・高砂貝塚があり、その発掘品などを展示する施設。高砂貝塚は北小金貝塚より新しく3500年〜800年前頃の集落遺跡と考えられている。



また、高砂貝塚もほぼ同時期で貝塚には帆立貝、アサリなどの貝のほか、ニシン、カレイなどの魚骨、エゾシカ、イルカなどの哺乳類の骨が出土。土杭墓には土器や石器の副葬品を伴い、赤色の染料ベンガラが散布されている。

(この遺跡でも土偶が出土)

土器の欠片や黒曜石でできた鏃などの実物を触れるコーナー、解説ビデオを見ることができるコーナーもあり、思っていたより長居したため、実際の貝塚には回る時間がなくなってしまった。ただ、世界遺産登録された遺跡や出土品をじっくり見ることができて満足した。



(昭和新山)

次の旅では青森にある遮光器土偶が発掘された亀ヶ岡遺跡やさらにバージョンアップした三内丸山遺跡などにも行ってみたい。(以下、次回)

ウポポイを堪能する〜夏旅2023⑨

2023-08-24 05:00:00 | 旅行
夏旅2023⑨、登別温泉を堪能した後、再び道央自動車道に乗り、白老ICに向かう。今回の旅の目玉の一つ、ウポポイを目指す。場所はJR室蘭本線白老駅からも徒歩圏内にある。



2020年に完成したアイヌ民族との共生を目指す施設で中央の国立アイヌ民族博物館を中心に数多くの施設が点在する。施設に入ってまず驚いたのがその規模の大きさ。

博物館までもかなり遠い。その前に池の前の広場でオリエンテーションが行われていたが、最後のムックリの演奏のみを聞く。

かなり以前、阿寒湖でアイヌの人から買ったことがある。リードのように竹をくり抜き、紐を付けて引っ張り音を出すのだが、これが難しい。博物館で私も買って練習したが、音がまるで違うのである。



民族博物館はアイヌ民族を理解できるような展示が多数あり、自然と共生し、全ての物に宿るカムイに話しかけ、獲物を捕らえ、火を起こし、布を作り、人が一生を過ごす。輪廻とも言える考え方を大切にし、祈りを捧げる。また、祈りと共に色々な踊りを皆で踊る。



バッタの踊り、モテる男の踊り、鯨の踊り、これらを全て実際の映像で見ることができる。他にもアイヌ民族の日本人による侵略やこれに対抗したアイヌの英雄などの歴史や地理など丁寧に見始めるといくら時間があっても終わらない。



アイヌ語の基礎知識。①主語と動詞の並び方は日本語に似ている、②しかし、否定辞や禁止辞は動詞の前に付けるなどをクイズ形式で学べるコーナーもあり、興味深い。 



ただ、残念ながら学んだがすぐに忘れてしまう。唯一、『イランカラッペ』が『こんにちは』の意味だけ覚えた。



隣の工房を訪ねると木の皮から繊維を取り、これを紡いで布を織る人、木を削って彫刻を作る人が実演をしていた。



特にオヒョウやシナの表皮の内側にある柔らかい部分を洗い、干して糸にするのだが、その手間のかかるのには驚いた。
アイヌの住居が並んだパビリオンに向かう。



建物は3つ並んでいて、その先では弓矢を撃つイベントも開催中。私も撃っては見たがどおしても右に曲がってしまい、的には当たらなかった。



別の家屋ではアイヌの衣装を着て写真を撮ってくれるイベント、これにはもちろん参加した。お隣の1番大きな家屋では囲炉裏の周りに座り、アイヌの話を聞くイベントにも参加。天井の高さが高いことには驚かされる。よく見ると囲炉裏では炭が起こされ、真夏の室内ということもあり、結構熱い。話は面白かったが汗が背中を伝うのは辛かった。

ここで一旦外に出てランチ、行者ニンニクで味付けしたザンギいりのカレーを食べる。相方は行者ニンニクそば、いずれも味はニンニクと変わらず、かなりパンチが効いている。

午後は体験ホールでアイヌの短編アニメを2つ鑑賞、弱い男の子が強く育っていく過程の話と太陽をきつねが盗もうとする話、大人が見ても面白かった。本当はまだまだゆっくりしたかったが、朝0930から午後0130まで4時間にわたり展示をじっくりみてウポポイを後にした。(以下、次回)

登別くま牧場へ〜夏旅2023⑧

2023-08-22 05:00:00 | 旅行
夏旅2023⑧、白鳥大橋をとおり、室蘭ICから登別を目指す。

北海道には何回も来ているが登別温泉に行くのは初めてである。登別ICを降りると左右に桜が植えられた立派な道を通過して上り坂を走ると温泉街に到着、これを右に曲がると『登別くま牧場』の駐車場になる。

その先からロープウェイが出ていて入場券を購入。JAFの会員証を提示すると1人400円も割り引いてくれる。ロープウェイのゴンドラはグループ毎に乗る形式でよく見ると駕籠のようなゴンドラに熊のオブジェが乗ったもの、私が乗ったゴンドラは大きな熊のぬいぐるみが真ん中に鎮座していた。

ロープウェイに7、8分乗り、到着すると目の前の展示室に入る。エスカレーターを降りる左側に俱多楽湖(クッタラ)の青い湖面が見えてくる。望遠鏡で見ると湖で遊ぶ人が見える。

降りるとヒグマの剥製だらけ。その中でもオスのヒグマが3mを超す高さに立ち上がっている剥製は迫力満点。小熊や母熊の冬眠するところなど多くの展示を見て歩くが動かないので飽きてくる。



建物を出て右手に歩くと小熊ばかりがいるスペース、この春生まれた小熊たちが戯れあっていて可愛らしい。



熊のおやつを自販機で買った後、オス熊の檻の方に行く。大きな熊がこちらを睨みつける。地下道を通り、人の檻というスペースでは直接オス熊に餌をやれるのだが、金属製の筒の先におやつを1ついれ、後ろから突くとおやつが熊の口の中に入る仕組み。向こうもよく知っていて筒の先端の方に顔を近づける。こちらも可愛そうなのでついついおやつをあげるのだが、貰っていない熊は不満そう。ボス熊の顔があまりの迫力でたじろいでしまった。



次はメス熊のスペース。彼女たちはこちらを向いて人間が座るように前足を手のように振る。うまくおやつを投げると口でナイスキャッチ。勾配になっていてうまく取れないとおやつが転げてしまう。1番下には水場があり、ここに陣取っておこぼれを待つ熊もいる。人間模様を見るようで始めは面白かったがだんだん虚しく感じてしまった。

他にもアヒルのレースやリスの檻もあるが、やはりヒグマがメイン、最後はステージで熊が宝探しをするショーを見てロープウェイに向かった。



宿泊は温泉街の巨大ホテル。サービスはまあまあだが、鉄泉・硫黄泉・ナトリウム泉と色々な泉質を楽しむことができる。さすがドリフが歌った『いい湯だな』の歌詞に出てくるだけのことはある。(以下、次回)

地球岬と旧室蘭駅舎〜夏旅2023⑧

2023-08-20 05:00:00 | 旅行
夏旅2023⑦、2日目は新冠のホテルに泊まる。夕日が美しい宿というキャッチフレーズであったが、夕食の際に見える海に沈む夕陽は確かに美しかった。


3日目は日高道に乗ろうと走る。日高厚賀ICの手前に牧場に馬が3頭遊んでいて思わず写メを撮る。



日高道は苫小牧東ICまでの60kmが開通済、これも無料である。70km/h規制で1車線ではあるが、やはり快適。その先、道央自動車道に入り、天候を見ながら室蘭を目指す。学生時代に地球岬を訪れたことがあったが、40年ぶりに行くことにした。登別室蘭ICで降り、自動車専用道路を経て15分ほど、街中からわずかに走っただけだが、見事な海岸線と270度の展望が開ける。



地球岬の由来はアイヌ語の『ポロ・チケプ(親である・断崖)』であり、これが訛ったもの。しかし、丸い水平線を見ていると地球の形を実感できることからなかなかのネーミングと思う。もちろんここでも灯台カードはゲット。



室蘭は製鉄と石炭の街と言われる工業都市だが、天然の良港と地球岬や測量山、絵柄岬など複雑な地形が素晴らしい。

白鳥大橋の袂にある道の駅『みたら室蘭』でランチ。園地と港の前にある眺望のよいくじら食堂で蕎麦と名物の焼き鳥を頂く。



室蘭の焼き鳥は肉は豚肉、玉ねぎを挟み、豚丼のタレのような味付け、博多のバラによく似ていた。



次に旧室蘭駅まで足を伸ばす。漆黒の重厚な駅舎と静態保存されているD51型機関車。旧駅舎は明治45年に建てられた北海道で最も古い木造建築物。中には観光案内所があり、ベンチは昔の客車のボックスシート。古い鉄製の駅名表示板は迫力があった。



また、D51は昭和15年の苗穂工場製、昭和49年まで廃車となるまで、函館・長万部・岩見沢・名寄などに配置され、道内を270万キロ走り続けた猛者である。



今は綺麗に塗装し直され、静かに余生を暮らしていた。(以下、次回)




日高本線廃駅を巡る〜夏旅2023⑥

2023-08-18 05:00:00 | 旅行
夏旅2023⑥、襟裳岬を離れて再び海岸沿いの道を走る。帯広駅から来た時に使った帯広広尾道も苫小牧方面向かう際に使う日高道もかつての国鉄広尾線と日高本線に並行して走る。鉄道を廃止してせっせと自動車専用道を作るのは鉄道ファンとしては複雑な気分である。



襟裳岬付近の公共交通機関はJRバス(道南バスと共同運行)日勝線で広尾〜襟裳岬〜様似は3往復、ちなみに広尾〜様似を120分で結ぶ。バス停は白い教会のような造りで山本コータローが歌った『岬めぐり』のバスは今もちゃんと走っている。

また、様似〜浦河〜三石〜静内の鉄道代替バスも5往復あり、様似〜静内を120分で結んでいる。



まずは日高本線旧様似駅を目指す。日高本線は2015年1月に厚賀〜大狩部で路盤が高波により流出、この復旧に多額の資金が必要となるため、2019年に廃止が決まり、2021年4月1日に鵡川〜様似間116kmは廃止された。



様似駅は日高本線の終点であり、今も駅舎はそのまま残され、バス停も前に設けられている。また、駅舎に面したあたりの線路は残されていて再びディーゼルカーがやって来そうであった。



旧浦河駅はまだ取り壊されてはいないが、跨線橋も今にも壊れるかと思われるほど損壊、中心駅だった面影はない。



静内駅は対照的で、綺麗なまま保たれ、バス営業所も併設。駅舎内にはお土産物屋やサクラユタカオーの原寸パネルも置かれ、地元の人に多数会った。ディーゼルカーは来ずとも街の中心である。

ただ、これ以上廃駅を巡るのは相方に難を示され、今夜の宿泊地新冠を目指す。新冠の道の駅『サラブレッドロード新冠』にはレコード館も併設、また、ハイセイコーの銅像や新冠産の名馬のプレートなどが飾られている。



競馬の知識がほぼない私でも知っているキズナ、ナリタブライアン、ビワハヤヒデなども新冠産馬であった。(以下、次回)






襟裳岬逍遥〜夏旅2023⑤

2023-08-16 05:00:00 | 旅行
夏旅2023⑤、襟裳岬の風の館で岬の風景を見たのち帰ろうとすると『えりも風体験』で風力体験ができると呼び止められ、早速会場へ。



ここは前方から風が送られて来て10分間体験できる。1番前に行くと風速25m、後ろに行くと徐々に弱くなり、1番後列は風速10mとなっている。初めは15mあたりにいたが、これでも鉄のバーに身体を寄せないと後ろに行くほど。25mになると前にいる男性の帽子やパンフが飛んでいくほど。



外に出て、まずは灯台に向かう。この灯台は高さは13.7mとそれほど高くはないが、場所が絶壁の上にあるため、海面からはかなりの高さがある。付近は霧の名所ということもあり、海上安全のために1889年に作られた。今は完全に無人だが、QRコードから灯台カードも取得できる。

灯台を回ると襟裳岬の歌碑、1つは吉田拓郎・岡本まさみ作で森進一がヒットさせたものだが、島倉千代子も別の襟裳岬を歌っていたので2つ並んでいる。



さらに下に降りるように岬の先端に向かう遊歩道を歩いて行くとかなり先まで行くことができる。但し、その先も岩礁が2km、海中まで含めると6km先まで繋がっているらしい。



先端まで歩き、再び戻ってくる。崖の上には先程訪れた風の館がよく見える。足元にはエゾカワラナデシコやツリガネニンジンなどが咲き乱れる。




ちょうど昼となったので岬の土産物屋兼食堂に入る。この店が今では絶滅系の懐かしさ、おじさんとおばさん、おばあさんなどが経営。昔見た『幸せの黄色いハンカチ』で高倉健が入ったような(山田洋次監督)映画に出て来そうである。



メニューも寿司カウンターもあり、高いものはウニ丼や握り寿司、安い物はカレーやうどんなど麺類まで揃っている。私はいつもの通りカツカレーを注文、相方はラーメンにした。するとまずラーメン、タラバガニの爪まで入った豪華版。私のカツカレーもちゃんとカツは揚げたて、美味かった。土産物屋には活きた蟹や貝、海老などを販売、日高昆布もピンからきりまで並んでいた。(以下、次回)