hokutoのきまぐれ散歩

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東京23区を考える(1)

2016-11-21 05:00:56 | 日記

祝70周年『東京23区を考える』その1。東京も23区の特別区が設置されたのが、1947年つまり来年3月には70周年を迎える。これを機にまずは今の組織にどのように変わり、その間に人口の変遷したのか、また、その間何が起きたのかを調べると中々面白い。

最近は大阪都構想などがとりだたされるが、実は東京もかつては大阪同様、東京府と東京市の時代が明治以降長く続き、1932年に元からあった15区に加え、周辺の5郡82町を東京市に編入させて、東京都にしてその下に35区を置くという行政組織になった。その後1947年3月に戦後復興の中で区の大きさを揃えるという考えのもと35区が22区に整理統合された。

現在の23区に最後に仲間入りしたのが、練馬区。最初は板橋区に含まれていた練馬区があまりに区役所まで遠いという区民からの陳情を受けて、練馬区は独立して最後に区となったのである。
それまでの35区は確かに面積も人口もまちまちだったが、それでも今とはずいぶん人口分布が異なる。多少東京35区時代とはエリアの違いはあるが、それぞれの代表的な人口推移をしらべてみると次のようになる。

今の千代田区にあたる麹町区+神田区の人口は大正9年217千人→昭和15年186千人になっている。同じく中央区(京橋区+日本橋区)は大正9年280千人→昭和15年244千人、台東区(下谷区+浅草区)は大正9年440千人→昭和15年460千人である。これが世田谷区をみると大正9年40千人→昭和15年281千人、杉並区は大正9年18千人→昭和15年は245千人といかに戦前といえども人口は郊外に移っているかがわかる。因みに現在は千代田区58千人、中央区142千人、台東区192千人、世田谷区883千人、杉並区553千人とその変貌ぶりに驚かされる。(平成28年1月1日住民基本台帳ベース)

こんな23区の名前を中心に、なぜこの名前の起源などを35区時代からその変遷も含めて今後何回かに分けて色々と調べて見たい。