hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

南砂緑道公園に城東電車の面影を探して

2020-02-23 05:00:00 | 日記


旧葛西橋から葛西橋と巡り、階段を降りてしばらく葛西橋通りを日本橋方向に歩くことにする。最近できたみたいだが、葛西橋の高架の下の部分は都バスの転回場となっていた。


散歩にはもってこいの平らな道を歩くと右手には大きな団地の建物が並んでいるのが見えてくる。これだけ同じような団地が並ぶと間違えそうなほどである。イオンショッピングセンター、丸八通りを通過して明治通りの南砂4丁目交差点を左折。




都電38系統は錦糸町〜日本橋を走った路線で水神森〜洲崎は城東電車を都電が買収したもの。旧路線はこの道を走っていて、次の信号を右折し路線専用軌道に入っていた。今は南砂緑道公園として整備されている。


公園に入るとトンネルのようになっていて、すぐに高架線の下を通るが上には先日亀戸から路線に沿って歩いた越中島線(貨物線)が通っている。少し上って覗くと踏切が見えて、現役であることを実感。




ガードをよく見ると『城東電軌こ線ガード』と書かれている。城東電車は1938年と80年以上前に無くなっているにも関わらず、今もしっかりと名前が残されているのには驚く。




その先、左側に電車の動輪が2つ、オブジェのように展示されている。城東電車のものでそばの掲示板には昭和47年まで走っていたことが書かれている。


緑道には梅の木もあるが、殆どがソメイヨシノで満開になるとさぞ素晴らしいだろう。緩やかに左に弧を描きながら遊歩道を行く。




左側に小さな大砲の模型。1854年に長州藩が幕府の承諾を得て佐久間象山の指導の元、屋敷内に作った鋳造場で作った大砲(模型)である。ここに鋳造場があったなど今では想像もつかない。




その先で永代通りにぶつかる。かつてここに南砂四丁目電停があり、路線も右に曲がっていた。その先には地下鉄東西線東陽町駅があるがら都電洲崎電停はさらに先にあった。


少し離れてはいるが、プロ野球創成期に使われた洲崎球場や歓楽地の洲崎パラダイスなどあり、栄えた場所である。