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『大正・昭和の建築物を尋ねて』その1。私がよく行動する範囲には大正〜昭和にかけて作られた建物が残っている。最初は足元の人形町から。人形町には古い建物が残されている、というのも昭和20年3月9〜10日の東京大空襲で人形町も半分くらいは焼けてしまったのだが、特に1丁目(旧芳町、人形町など)付近は奇跡的に焼け残ったのである。こうした懐かしい建物は関東大震災や太平洋戦争にも関わらず頑張っているしろ物なのだ。
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最初に行ったのが『日山』というすき焼きの名店。大正時代に創業した精肉店が昭和2年にすき焼き屋を開業、一般的には『人形町 今半』が有名であるが、地元ではこちらが格上で通っている。大正の建物で威風堂々、人形町通り沿いにあるが、1階が精肉店、2階が料理屋となっている。ただ、料理屋の方は臨時休業である。
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精肉店で肉の切り落としの販売がある時は外にまでお客さんが並ぶほど人気がある。
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人形町通りを反対側に渡ると『来福亭』という洋食店、明治37年の創業で『西洋料理』とある。
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よく見ると向かって左サイドにも小手細工で西洋の文字が見えるから建物ができた当時はこちらからもよく見えたのだろうか。
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次の道を左に折れると看板造りの家が現れる。看板建築とは関東大震災以降盛んに用いられた工法で鉄筋コンクリートを建てる資力のない商店が日本家屋に変わる洋風の外観を持った店舗併用の都市型住居で建物の前面に衝立状の外壁(看板を兼ねたケースもあり)を打ち、その壁面に漆喰を貼り、アール・デコ調など自由な造形を作った。さらに耐火性を高めるため、銅板を貼ったものもある。この家はまさに看板建築で横から見ると通常の屋根が横からみえる。また、昭和初期に貼った銅がいい具合に青く錆ていて雰囲気を醸し出す。
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次の道を右手に行くとまた銅板を貼った店が出てくるが、これが高柳豆腐店。正面から見ると3階建位の高さまで銅板が貼られ、鱗のような模様など細部まで凝った装飾が見ることができる。中央区のHPによると昭和2年に作られたものである。
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さらに近くには魚の味噌漬けで有名な『魚久』の水天宮に近い店舗。今は店としては使われていない。角地に作られたモルタル塗りの看板建築である。こちらは多少新しく昭和10年代の建築とのことである。(以下、次回)
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