『宿場町を歩く』その3、粕壁宿③。ミセ蔵の反対に渡ったあたりが問屋場があったあたり。粕壁宿の案内板がかる。
その先も商家蔵が続く。永嶋庄兵衛商店は今も米穀商を続けていて慶長年間に創業、400年の社歴を誇る。現在13代目永嶋幸男氏が御当主であり、今も無洗米の工場として使われている。
倉庫は明治初期に建設されたものであり、注目すべきは中央部に鍾馗様の像が置かれている。鍾馗様は道教の神で疱瘡除けや学業成就のご利益があるとされ、また、魔除けとして屋根に乗せているものと考えられる。
お隣は浜島家住宅土蔵。国登録文化財に指定されていて戦前までは佐渡屋の商号で米穀商を営んでいた浜島家所有。この辺りに幕府からの触書を掲示する高札場があった。
右に曲がると新町橋、川の中央から眺めると大落古利根川と古隅田川の分岐がよくわかる。船着場跡の石積みがあるらしいのだが、私にはよくわからなかった。
ここから駅方向に向かう。先程の交差点を超えるとおかやすという食品・青果店があるが、そのお隣に立つ蔵は大谷石で作られたものである。立派な土蔵でじっくりと見学する。
公園橋通りに向かって歩くがこの辺りは区画整理中の様子で広い道路が突然切れて、空き地となっていることが多い。神明神社を越えると春日部駅東口に到着した。
街歩きをして宿場町の構造は町外れに神社や寺院を配置し、真ん中に本陣、さらに脇本陣があり、さらに商家と土蔵が並ぶ。
川に沿って街は形成され、江戸時代は旅籠と呼ばれる旅人の泊まる宿もあり、蔵からは川の船着場が近いという構造だったのではないか、ということがよく分かった。