『宿場町を歩く』その20。千住宿①。日光道中も日本橋〜千住〜草加〜越谷〜粕壁〜杉戸〜幸手〜栗橋〜古河と9宿目まで歩いたが、実は千住と草加はちゃんと訪問していない。(正確には歩いたことはあるが、ご宿場印ももらっていない。)
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そこで今回はまず千住宿を訪ねることにした。降り立ったのが東京メトロ日比谷線南千住駅。駅前広場を歩くと『松尾芭蕉像』がある。そう、奥の細道筆立ての場所なのである。
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芭蕉像の横から線路に沿って行くと三葉葵の紋の付いたお寺が前に現れる。これが回向院である。
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入口横には『吉展地蔵尊』、これは昭和38年に発生した吉展ちゃん誘拐事件の被害者を悼み作られたもので、遺体が発見された円通寺にも同じようにお地蔵様がある。
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(橋本左内 墓所)
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(頼三樹三郎 墓)
回向院といえば小塚原、江戸時代に刑場があった場所。ここで刑死した訳ではない(橋本左内、頼三樹三郎は小伝馬町の牢獄にて刑死、吉田松陰は切腹)が安政の大獄で亡くなった橋本左内、頼三樹三郎、吉田松陰のほか、毒婦高橋お伝、鼠小僧次郎吉などの墓がある。
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もう一つ、杉田玄白・前野良沢が腑分け(解剖)を行い、解体新書を著したのも回向院であり、こちらも石碑が残されている。
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寺を出てガードをくぐり、右側にある延命寺は鉄道敷設の際に分断されたもので小塚原刑場跡のため、刑死者の菩提を弔う首切地蔵と呼ばれる地蔵菩薩像がある。
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寺を出て左に曲がる。このまま国道4号線までしばらく歩く。通り沿いには『玉うどん(うどん玉)』を売る製麺所や町工場などかなり古い建物も残されている。
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国道4号線を渡ると目の前には『素戔嗚神社』、お天王様とも呼ばれている。由緒によると795年役小角(えんのおづの)の弟子である黒珍が『吾は素戔嗚大神・飛鳥大神なり。吾を祀れば疫病を祓い福をまし、永くこの郷土に栄えしめん』と御託宣を授け、祭神の牛頭天王・飛鳥権現の二柱の神が降臨した奇岩を祀ったとある。
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境内には1864年に浅間信仰にあやかった浅間神社を祀り、富士塚とした。松尾芭蕉の旅への出発地点として知られている。
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ちょうど七五三参りの人も多く、美しく黄色に色づいたイチョウの周りで写真を撮る人をみかけた。(以下、次回)