関東三十六不動巡り②。2番目に伺ったのは第21番札所の『薬研堀不動院』である。正式には大本山川崎大師平間寺東京別院薬研堀不動院、つまり川崎大師の東京別院ということになる。
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由緒は1585年豊臣秀吉の兵火にあった際に根来寺の大印僧都が尊像を守護して籠に入れ東国に下った。やがて隅田川そばに1591年堂宇を建てたものである。ご本尊は秘仏で1137年真言宗の中興の祖と言われる覚鑁上人が43歳の厄年を無事に済まされたお礼に紀州根来寺に安置されたものである。
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今の川崎大師別院となったのは1892年のことで今は東京三大不動として目黒不動、目白不動と共に信仰を集めていて江戸名所図会にも載っている。
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場所は都営浅草線東日本橋駅から歩いてすぐのところにある。細かい場所がわからなくても沢山の幟と参道を示す石柱があるのですぐに到着する。
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不動院の前に到着するとニ階建てとなっている本堂に上がるのだが、階段が結構急である。実は関東大震災で旧本堂が倒壊してしまい、街の再開発も相まって今の本堂は狭い敷地に二階建てにせざるを得なかったのである。
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本堂に入るとご本尊と脇侍(大日、阿弥陀如来)が脇をかためている。ここで参拝するが、納経所は閉まっていて下に降りる。
隣の建物の一階に確かにあるが、ブザーを押してもなかなか人が来ない。一緒にいた人がインターホンを押し、ようやく御朱印を授かることができた。
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納経所のお隣には遍路大師像、これは弘法大師1500年御遠忌記念に1979年に作られたもの。
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また、講談発祥の地や順天堂発祥の地などの石碑が並んでいる。
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ところで『やげんぼり』というとやはり唐辛子を思い出すが、その発祥の地もこの近くにある。現在、有名になった『やげん堀』も元々この辺りにあったのだが、今は浅草に場所を移している。
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浅草は『七味唐辛子』、この近くにある大木唐辛子店は『七色唐辛子』と違うものらしい。