今年も元旦から能登地震、先月は南海トラフ地震の前兆かと言われた宮崎県の地震、台風被害の連続など引き続き災害の多い日が続いている。地震、台風、線状降水帯、計画運休といった言葉を聞かない日がなかった8月。その翌日が防災の日なのだが、その9月1日よりが東京・日本橋のUNPEL GALLERYで『明治の災害とMEDIA』と題した企画展が行われている。
UNPEL GALLERYは大手損保のあいおい ニッセイ同和損保が創業10周年の記念事業として2020年に開設したギャラリーで毎年この時期に保有している『災害資料コレクション』の中からテーマを決めて展示・開催している。昨年は関東大震災100周年のため、大震災による『火災旋風』を描いた錦絵・写真などが出されていた。
今年は江戸時代から明治期に移り、災害の有様を木版刷りから石板や銅板に代わり、さらに写真入りのものがマスコミに登場する過程を展示している。
中身は1891年の濃尾地震の状況が報道によりその重大さを国民が知ることになり、それまではあくまで天災である地震はなすすべがないとしていた地震対策が必要と感じ、震災予防調査会といった機関の設置が始まった。
また、1896年の明治三陸地震津波を日清戦争に従軍した報道画家が被害状況のみならず、現場の悲惨さ、美談などまで絵にし、国民が強く関心を持ったことがわかる。
私は明治三陸地震津波のことはあまり知らなかったが、三陸沖でM8.2の地震が起こったが、各地の震度は2〜3程度であったが、長期にわたる振動のため、不意打ちを食らったような大津波の被害が発生、三陸沿岸を中心に2万人以上が亡くなった。例えば、教師が御影(天皇の肖像画)を津波から守るためにその身を掛けた、を美談として描いている。
他にも1910年8月に発生した東京水害(梅雨前線と台風が重なり死者1357人、家屋全壊2765戸、流失家屋3832戸となった)の両国国技館での避難所の風景などもある。力士が手伝いをしている様子なども描かれていた。
また、12月1日、2日に行われていた防火デーのポスターでも標語に『火の用心のビラは壁より胸に貼れ』などいかにもという文句や懐かしいポスターのデザインも面白かった。
写真が一般的でなかった時代に慘状をいかにうまく伝えようとしたのか、興味深い。
特に細密な鳥瞰図は状況を模写するに留まらず、ついつい丁寧にみたくなるような作品で面白かった。この展示は入館無料、29日まで開催されている。