『関東の城址巡り』その5。今回は土浦城を巡ってみたい。茨城県南部に位置する土浦は城下町であり、駅から2キロほどのところに亀城公園という城址公園がある。
公園にも付いているとおり、通称『亀城』の名前で親しまれているが、堀の中に浮かぶ姿が亀のように見えることからついた名前である。
普通に城というと堀と石垣に囲まれ、門の中に天守を持つイメージを考えてしまうが、土浦城は天守が元々ない。
土浦城の歴史は平安時代に平将門が砦を作ったのが最初とも言われてはいるが、確かな証拠はない。文献が残されているのは1430年頃に地元豪族小田家の若泉三郎が築いたとされ、これを1516年小田家の武将・菅谷勝貞が滅ぼし、その後は3代に渡り、菅谷氏が統治した。
その後、佐竹氏の勢力拡大により小田城を追われた小田守治が城主となったが、土浦が結城秀康(徳川家康の次男)の領地となると小田氏は家臣となり、秀康が越前に転じると多賀谷氏、さらに松平信吉、その後西尾氏などたびたび城主は変わったが、江戸時代に入り、長く土屋氏が治めた。
亀城公園を入ると小さな太鼓橋があり、すぐに霞門がある。小さな門ではあるが、この門と太鼓櫓門は江戸時代よりそのままの形で残されている。
(東櫓)
入るとすぐ左側にあるのが『東櫓』、立派な櫓ではあるが、実は1884年に一旦撤去されたが、その後1998年に復元したものである。
(太鼓櫓)
東櫓の前は大きな広場のようになっていて左側に『太鼓櫓』、前方に『西櫓』が残されているが、『本丸御殿』は1884年に焼失している。
太鼓櫓から外に出ると二の丸となっている。ただ、ここにあった建物も既に失われていて顕彰碑などがあるばかり。小さな動物園には猿が飼育され、その前には小さな池があり、地元の人から大切に守られている。
ただ、かつてのことを知っているのは片隅に植えられている樹齢500年を超えるシイだけである。(以下、次回)