今回は坂巡りも兼ねて谷保天満宮にお参りに行く。ところでよく『あいつは野暮天だなあ』とか『俺野暮用で失礼するわ』などと使うが、これは『世情に疎く、垢抜けない』という表現。元は江戸時代に遊郭で事情に通じない奴、転じて田舎者と疎んじる表現である。
この『野暮』が『谷保』に通じたのは狂歌師太田南畝が『神ならば出雲国に行くべきに 目白で開帳 やぼのてんじん』と詠んだことに由来する。
ただ、谷保天満宮ははるかに歴史は古く、903年に菅原道真の3男菅原道武がこの地に配流し、父親の菩提を弔うために廟を建てたのが由来とされている。つまり、本当は野暮と谷保は関係ないのに面白がって江戸時代の狂歌にあった洒落が広まったのだろう。
JR南武線で立川駅から3つ目の谷保駅で下車。因みに駅名は『やほ』であり、車内アナウンスも特に『やほ』を強調しているように聞こえるのは『野暮』じゃないことを示したいのかもしれない。
谷保駅の寂しい方の出口から出て200mほど甲州街道に向かうと鳥居が見えてくる。東日本最古の天満宮であり、湯島・亀戸とともに関東三大天神といわれているが、比較するとやや寂しい。
鳥居をくぐると鬱蒼とした森の中に参道があり、坂を降りていく。これは甲州街道が元は神社の南側を通っていたのだが、北側に経路変更をしたためにこのような形となった。さらに鳥居をくぐると階段、そして左右に開ける。
(神楽殿)
古めかしい本殿が右側に、また左側には神楽殿が現れる。本殿入口には角がすり減ったなで牛が横たわる。
(本殿)
本殿に参拝し、孫の勉学をお祈りする。まだ、4歳ではあるが。社務所で御朱印を頂くが、やはり奉納されていたお酒は澤乃井であった。ひとつ残念なことは社務所のお隣の宝物館がコロナ禍のため、閉館中であったことである。
本殿に参拝し、孫の勉学をお祈りする。まだ、4歳ではあるが。社務所で御朱印を頂くが、やはり奉納されていたお酒は澤乃井であった。ひとつ残念なことは社務所のお隣の宝物館がコロナ禍のため、閉館中であったことである。
少し境内で休んでいるとどこからか羽の色の美しいニワトリが現れて、声をあげていた。古いながら凛としたものを感じさせ、全く野暮でない神社である。