外苑のイチョウ並木を見るだけで40分近くかかり、ようやく外周道路まで出た。かなり絵画館も大きく見えるようになり、これを右に曲がる。ふと右側を見ると京都芸術大学大学院校舎、久しぶりに歩くと新しい建物が増えていた。
絵画館前駐車場は満車、学生時代には1日停め放題で500円とリーズナブルな駐車場だったのだが、今は1600円、まあ40年以上経てば当たり前だろう。今も1日停め放題は変わらないようだ。
その先、茂みの切れ目を右に曲がるとかつて長崎料理吉宗が入っていた建物。歩道橋を上がるが、権田原方向を望むとイチョウ並木が美しい。
信濃町駅も新しくなってから久しいが、2階にはヤクルトスワローズのファンなら足を運ぶ『つば九郎神社』に参拝。孫たちが応援しているからである。鳥居の向こうにつば九郎人形、これだけ見れば可愛らしい。
ただ、毒を吐くところも面白いキャラである。当日はヤクルトスワローズのファン感謝デーでユニフォーム姿の人がたくさん来ていた。
駅の建物を抜けて外苑東通りを四谷三丁目方向に歩く。以前は小さな商店が立ち並んでいたが、今は創価学会の建物ばかりが立ち並んでいる。
信号2つばかり先を右に曲がり、次の細い道を左に行くと暗くなりかけた道沿いに赤い提灯が見えてくる。これが於岩稲荷陽運寺である。日蓮宗の寺院で境内のタイサンボクの下にお岩さまの祠があったと伝えられる。ただ、戦災で全焼し、栃木県沼和田の薬師堂を移築した本堂である。
境内には井戸もあり、今もちゃんと水を汲むことができる。
陽運寺を出て、右に曲がると古い建物。これが田宮稲荷神社跡で於岩稲荷神社の旧地にあたる。江戸時代後期の作家・鶴屋南北が書いた『東海道四谷怪談』で有名な民谷伊右衛門の妻であるお岩を祀ったもの。
1825年に江戸浅草の中村座で上演し大当たり。ただ、これはあくまで物語であり、御家人・田宮又左衛門の娘・お岩は養子伊左衛門の貞淑な妻で、代々家に伝わる稲荷を信仰していた。このお岩にあやかろうとお岩稲荷神社の信仰は盛んになったと言われている。帰りはそのまま四谷三丁目駅まで歩いた。