『東京の坂、日本の坂』その120。銀杏坂から外苑東通りに戻り、柳町方向に歩く。曙橋から女子医大通りまでは片道2車線の道路だが、この先は片道1車線となる。両側を買収し始めてはいるが、開通はいつの事だろうか。
大久保通りとの交差点が牛込柳町、かつて喘息被害などで有名になったが、交差点がすり鉢の底のような地形で特に大久保通りは両側かなりの傾斜の坂となる。
私はそのまままっすぐ行くと左側に階段坂が現れるが、これが『宝竜寺坂』、別名幽霊坂である。名前の由来は『昔は七軒寺町と呼ばれ、坂の上に宝竜寺という寺があった』ためである。今は両側にマンションがあるが、明治時代は寺の樹木が繁り、淋しい坂であったため、幽霊坂と呼ばれたのであろう。
坂を降りて柳町交差点に戻る手前を左に曲がる緩い坂、これが大久保通りにつながり少し勾配のきつい坂となるが、この坂が『焼餅坂』。
名前の通りこの辺りに焼き餅を売る店があったためついた。別名は赤根坂ともいう。
焼餅坂を登って行き、しばらく大久保通りを歩く。相変わらず小さな町が続き、『牛込柳町』『山伏町』『北山伏町』『簞笥町』と続いて牛込北町の交差点に到着する。
さらに行くと大久保通りが緩やかに上りとなるが、この坂が『弁天坂』、由来は坂下の南蔵院境内に弁天が祀られていたことからである。
さらに公衆トイレの先、左側に上る狭い階段坂が『袖擦坂』、左側が黒塀になっていて余計狭い感じがする。袖擦坂は番町にもあるが、同じように狭く、お互いの袖を擦り合わせるためについた名前である。
その先はもう都営地下鉄大江戸線牛込神楽坂駅、小さな町と坂道の宝庫『牛込』である。