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『古刹を巡る』その46。今回は日蓮聖人が入滅した寺としても有名な日蓮宗池上本門寺を訪ねた。
寺の縁起によると日蓮聖人は1582年9月に静岡県身延市にある身延山から病気療養のため、茨城県にある常陸の湯に向かう途中、10月13日に武蔵国池上の郷主池上宗仲の館で亡くなった。そのため、池上氏は7万坪の寺領を寄進、現在の本門寺の基礎となっている。
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現在改修中の総門をくぐると右手には近代的な朗子会館、目の前には石段が見えてくる。
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この石段は1606年に加藤清正が実母7回忌の追善供養のために寄進したもので『坂巡り』にも載せるが此経難持坂と呼ばれている。結構、きついが500年の間丁寧に維持されてきていて登りやすい石段である。
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ようやく石段を登ると目の前には仁王門、左右に茶色の仁王様が寺を守る。残念ながら徳川秀忠が寄進した旧門は1945年4月の空襲で焼け落ち、現在のものは1954年に再建されたものである。
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仁王門をくぐると大堂が見えてくる。ここには第2世日朗聖人、第3世日輪聖人像が安置されていてお参りの人が絶えない。ただ、このお堂も1945年4月の空襲で焼け、1964年にようやく再興されたものである。
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すぐ横には江戸時代中期に作られた経蔵、右手に行くと関東では最も古い五重塔が立つ。特に五重塔は2代将軍秀忠が幼少の頃病気となり、乳人の岡部の局が病気平癒を祈願、快癒したこともありら1607年に建立、その後大地震で傾いたが、1701年に5代将軍綱吉が現在の地に移したものである。
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大堂まで戻り、先に行くと門があり、その先に本殿が出てくる。これは空襲で灰燼と化した釈迦堂を再建したもので1969年に完成。仏像がいくつも並び荘厳な雰囲気を醸し出している。
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さらに奥には日蓮聖人のご廟所や多宝塔などもあるが、あまりに広く今回は行かなかった。寺号の前に山号がつくが、この寺は東京にありながら山にあり、坂も厳しく、広いため、かなり力を入れないと中々全部は回れない。階段でおじいさんがフラフラしていたのを何人も見た。次回は松濤園までゆっくりと回りたいものである。