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『東京の坂、日本の坂』その139。とうかん坂を降りて大蔵通りを左に行くと静嘉堂文庫が現れる。
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現在は美術館は臨時休館中だが、中に入ると道がまっすぐ続く。緩い坂になってその頂上あたりに岩崎弥之助・小弥太が収集した美術品を納める静嘉堂美術館が現れる。大正13年に作られたイギリス風の瀟洒な建物である。昨年9月に中にも入ったが眺めもいい。
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(前回往訪時の写メ)
しかし、この秋には都心に移転してしまうため、もう中には入ることも難しくなってしまうようである。
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入口まで戻り、目の前の坂道を上る。この坂が『馬坂』で同じ名前の坂をつい先日府中市でも歩いた。中央で折れる坂であるが、折れたところに石の標識がある。
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名前の由来は元々あった坂道が急勾配で人は歩けたが、馬は通れなかったため、傾斜の緩やかな坂を新たに作り、馬でも通れる坂道となったことから名前が馬坂となったらしい。
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馬坂を降りて大蔵通りを歩く。しばらくして『やのはし』というバス停があるのでこれを右に入ると右側に崖があらわれる。この崖に沿って歩くと右に登っていく急坂が現れるが、これが『無名坂』である。
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この坂は最初の上り始めの部分は平均斜度6度と右側が階段になっているほどきつい。しかし、その先は緩やかとなり、住宅地となる。坂道の頂上、左側に仲代達矢氏の主宰する無名塾があるが、これが『無名坂』の由来となった。入口にまだ季節前のひまわりの花が咲いているのが印象的である。
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この建物には『若きもの、名もなきものがただひたすらに駆け上る。ここに青春ありき、人呼んで無名坂』という仲代達矢氏の自筆のレリーフが収められているのである。
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この辺りの国分寺崖線に沿った坂道はいずれも急坂であり、私のような老人には厳しい。