関東三十六不動尊巡り⑩、第28番札所川越大師喜多院の参道は第27番札所のすぐ裏手から始まっている。
参道をとことこ歩いて行くと時代がかった蕎麦屋さんがある。そのまま喜多院の境内となるが、花見の時期であったため、たくさんの露店が所狭しと出ている。
喜多院の歴史は古く、仙芳仙人の故事によると奈良時代とも言われ、平安時代に淳和天皇の勅により830年慈覚大師円仁により創建された勅願所があり、本尊阿弥陀如来を始め、不動明王、毘沙門天を祀り、無量寿寺と名付けられた。1205年に兵火により焼失するも1296年に再興、江戸時代となり天海僧正の時に徳川家が帰依することにより発展したものである。
境内は広く、すぐのところに多宝塔。これは1639年に元々山門と日枝神社の間の古墳の上に建造、今の位置には1910年に移築され、その後一回解体修理が行われている。高さが13mあり、江戸時代初期の多宝塔の特徴を残す。
そのまま真っ直ぐ行くと少し高いところにあるのが慈眼大師天海を祀る慈眼堂である。天海僧正は1643年に入寂、家光の命により、1645年にこのお堂が創られた。
中には木造天海僧正坐像が置かれている。像の天海僧正は亡くなる2ヶ月前の姿である。
正面の本堂が慈恵堂と呼ばれていて比叡山延暦寺18代座主の慈恵大師良源を祀る堂宇である、
桁行9間、梁間6間の入母屋造り、1639年に焼失したものが再建されている。中央には慈恵大師、左右に不動明王を配し、毎日不動護摩供を行なっている。
右手には客殿や書院、庫裡などの江戸城から移築された重要文化財があるが、この日は拝観することが出来なかった。ただ、納経所は空いていて無事に御朱印はもらう。
ソメイヨシノを見ながら奥にある五百羅漢を見に行く。五百羅漢は川越の志誠(しじょう)という人が供養のために1728年から作り始めたもので志誠死後も僧侶や近隣の人々が遺志を継ぎ1825年に完成したもの。いざ入って行くと色々な表情や姿勢で仏具や日用品を持ったり、動物と一緒だったりと様々羅漢さんたちを見ることができる。
とにかく立派なお寺で徳川家の権力の強さを垣間見ることのできることができた。