『創業の地を歩く』その3。築地駅近くの旧外人居留地付近を歩く。東京メトロ日比谷線築地駅3番出口を出て聖ルカ通りを歩く。
この辺りは歩道も整備されていて歩きやすい。すぐに日刊スポーツ本社、朝日新聞系列ではあるが、子会社ではない。創刊は1946年、アダルト面を最初にやめた真面目なスポーツ紙である。
その先は築地川を埋立てた公園(築地川公園)であり、この辺りには暁(あかつき)橋がかかっていた。その親柱のレリーフと当時の写真が飾られている。
すぐに聖路加国際大学の敷地に入る。左側には1つ目の石碑『浅野内匠頭邸跡』が現れる。
私はつい最近に新橋にある浅野内匠頭終焉の地を訪れたばかりであり、不思議な縁を感じる。しかし、この辺りにあるはずの『芥川龍之介生誕の地』の碑を探すが見つからない。
聖路加国際大学のキャンパスを少し歩くとあの有名な大学本部、さらにその隣に大学の創設者であるトレイスラー医師のレリーフ、さらに三角屋根が可愛らしい記念館がある。
また、隣には『旧アメリカ公使館跡』の石碑も作られている。アメリカ初代公使ハリスは開国後1859年麻布善福寺に公使館を開設したことは有名であるが、これを1875年に築地居留地に移転させた。1890年現在の赤坂に移転するまでこの地にあったのである。
築地居留地は1869年に他の開港場(横浜、箱館、神戸、長崎)同様に外国人居留地が鉄砲洲(現在の明石町)に設置された。ただ、外国商社は横浜から動かず、主にキリスト教宣教師の教会や学校が設けられた。このため、ミッション系の学校の発祥地が多い。ただ、治外法権は1899年に撤廃され、さらに洋館も関東大震災で全て失われた。今もこの地にあるのは聖路加国際大学のみである。
大学の入口まで戻り、再び歩くと『女子学院発祥の地』の石碑が出てくる。1870年ジュリア・カローザスにより女子学院の元となった『A6番女学校』が創立された。実際の設立場所は少し離れた外人居留地6番地である。ただ、その場所には石碑が建てられないため、聖路加国際大学の土地に記念碑を建てた旨の説明がある。(以下、次回)