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『江戸の坂・東京の坂』その11。今回は九段の坂を巡るが、前回の音羽以上に見所が多く、2回に分けてレポートする。市ヶ谷駅で降りて靖国通りに沿って九段方向に。
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最初の坂は九段に向かい右手、三菱UFJ銀行の脇を上がる緩い坂。『帯坂』というが、これは番町皿屋敷の旗本青山播磨の腰元お菊が髪を振り乱し、帯を引きずって逃げたという伝説による。坂を登ると右手に日本棋院がある。
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靖国通りに戻り、九段を目指すと2つ目の信号が一口坂とある。この読み方だが、信号の下のローマ字は『ひとくちざか』だが、正しくは『いもあらいざか』と読む。
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これは江戸時代に流行った『疱瘡』を『いもがさ』『へも』などと呼び、これを洗う=治すという意味で近くに霊験あらたかな社があったと考えられる。同名ねか神田駿河台の一口坂は坂の上に一口稲荷(いもあらいいなり)があるが、こちらはその神社は分かっていない。なお、この坂は交通量が多く、この日も上から坂の下まで繋がっていた。
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一口坂を降りて三輪田学園を右に曲がると法政大学の背の高い校舎と靖国神社の間の道に出る。虚子の歌碑があり、さらに少しまっすぐ行くと『富士見坂』、これは駿河台の富士見坂同様に江戸時代は富士がよく見えたものと思われるが、今は全く面影もない。この辺りは富士見という地名になっているが、これも同様の起源と思われる。
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更にまっすぐ歩き、右に曲がると靖国神社の裏門に到着、この辺りは妙に警備の警察官が多い。現在、中の遊就館では『大東亜戦争70周年記念展覧会』を開催中。それにしても中は広い。(以下、次号)
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