夜中の3時ごろ急にお腹が痛くなって目が覚めそれからも痛い痛い
でも憩室でなく冷え腹みたいでトイレに来てしばらく座っていました。
出るものは出たけれどなんか本調子にならず10時前まで寝てました。
憩室炎が治ってからちょっと胃腸が弱っていたのに呑みすぎたのが原因?
美由紀の機嫌も悪くなったけど僕もがっくりです
でも気合を入れて朝食を抜いて昼に少し食べシイタケ狩りに行きました。小さいのを5個ゲット
小さな山ですが下っていって民家があるところに降りてビックリ
公園のように綺麗にした野菜畑発見 タケ囲いでぐるっとまいて約300坪に芝生の部分が3割、野菜部が二割、果樹部が二割、花が二割他にビックリは大きな直径10メートルほどの水車とその回転を利用した「回る家」に頭が下がりました
76歳、大工仕事をやめて6年間毎日ここに来ているというおっさんは「回転物」が好きならしく、他に二つの水で動く装置を作っていました
次回は写真を写してきます。 兎に角愉しくなるアイデア満杯の300坪です。
呑んでいて「ふと気が付くと窓から見える景色が違っている」こんな素晴らしい夢の家を現実にしてしまったおっさんの写真もアップしますね。
文章がうまく書けず恥ずかしいですが書き始めたの最後までアップしますがやはり体調が悪い時の文章はいけません。 ごめんなさい。
13章
打ちひしがれている多恵に対して言い出しにくい事だったが松田は二人を解剖するよう勧めた。
このまま火葬してしまうと何かの証拠があっても消えてしまう。
殺されてから投げ捨てられた可能性もある。
本人の確認から胃の内容物、外傷など細部まで調べて記録しておけば後で役立つかも知れない。
遺書に書かれていた文は短く「浩二さんと死にます」とだけだった。 遺書の字の筆跡を確認したのは多恵と伯父だった。
浩二の遺書は無かった。 多恵は松田の勧めに従うことにした。
多恵自身二人の死が心中とは思っていなかった。
警察は二人の間柄から「道ならぬ恋」の終着と解釈しているようで後日多恵のところに話を聞きに来ることになっているが
全く事件とは考えていないようだった。
ここ南海病院で解剖は出来ない。堂島浜通にある大阪大学医学部付属病院に移すことになる。
折衝があまり得意でない松田は今回も週刊誌記者の山崎に頼もうと電話を入れた。
山崎は店に電話したと言った。 そして岡田の車から松田が発見した薬の包み紙に付着していた成分が整腸薬だったと言った。
その答えに松田は落胆したが、そう思ったような成分が出るとは限らない。 それは一部ながら予期していたことだった。
週刊誌の記者と言うのは色々なところにコネがある。
「週間新話」の威力で事件を前提として二人を解剖してくれることになった。
阪大付属病院で解剖の手続きをするのに松田は付いて行ったが多恵は怯えていた。
もうすぐ22歳になるとは言っても世間知らずの小娘である。
両親と、まだそれほどの期間を過ごしてはいなくても浩二は夫だった。
子供の頃から良く知っていた岡田を含めて四人が立て続けに死んでしまった。いや殺されてしまったのだ。
次は自分か伯父と思わざるをえない。 怨恨かと考えても思い当たらない。 伯父に聞いてみようと思った。
松田と一緒に家に寄って身の回り品を持ち出した。 伯父の家で当分過ごすことになる。
伯父の家は高校一年と二年、それと中学一年の三人の子がいる。女、男、男で家族は五人だった。
小さい時から伯父や伯母、三人の子供も良く知っている。
みんな良い人だと解っているから伯父が家に来るように言ってくれた時からそう決めていた。
とても一人で家にいられる状態でもなかった。
伯父の家は伯母さんが買い物に出る時以外いつも誰かがいる。 日常の買い物は御用聞きで済んでいた。
常に誰かといないと不安だった。
テレビを点けると二人の投身自殺を心中と見て調べていると放送されていて不快だった。
新聞も週刊誌も安藤建設が大阪では知られた会社だし、母と娘婿の心中事件を大きく取り扱うだろうと思い気が重かった。
今頃は家の電話も鳴り続いているだろうと思う。
明後日には解剖の結果も出ることになっていた。
それを聞きに松田と行くことになっている。 それが少し嬉しく感じた。
母や夫が死んだばかりなのに・・・
自分は薄情なと思い浮気性なのかもしれないと思う。
シャツを通して感じる松田の引き締まって頑強そうな体が目に浮かんだ。
結婚して二ヶ月、浩二との間に気持ちのつながりは出来なかった。
毎日一度か二度の交わりはあったが快感を覚えることも無かった。浩二の求めに従うだけだった。
一緒にいることが嫌でもなかったが、結婚する前のほうが良かったと思う。
どこかにすっきりしない何かを感じてそれが消えなかったのだ。
葬儀の準備も母がいない今、多恵には全く何もできないし、何をすれば良いのかも解らない。
伯父がなんとかしてくれるだろうとそちらの方は成り行きに任せるしかなかった。
伯父は忙しく話す機会がないまま一日が過ぎた。
でも憩室でなく冷え腹みたいでトイレに来てしばらく座っていました。
出るものは出たけれどなんか本調子にならず10時前まで寝てました。
憩室炎が治ってからちょっと胃腸が弱っていたのに呑みすぎたのが原因?
美由紀の機嫌も悪くなったけど僕もがっくりです
でも気合を入れて朝食を抜いて昼に少し食べシイタケ狩りに行きました。小さいのを5個ゲット
小さな山ですが下っていって民家があるところに降りてビックリ
公園のように綺麗にした野菜畑発見 タケ囲いでぐるっとまいて約300坪に芝生の部分が3割、野菜部が二割、果樹部が二割、花が二割他にビックリは大きな直径10メートルほどの水車とその回転を利用した「回る家」に頭が下がりました
76歳、大工仕事をやめて6年間毎日ここに来ているというおっさんは「回転物」が好きならしく、他に二つの水で動く装置を作っていました
次回は写真を写してきます。 兎に角愉しくなるアイデア満杯の300坪です。
呑んでいて「ふと気が付くと窓から見える景色が違っている」こんな素晴らしい夢の家を現実にしてしまったおっさんの写真もアップしますね。
文章がうまく書けず恥ずかしいですが書き始めたの最後までアップしますがやはり体調が悪い時の文章はいけません。 ごめんなさい。
13章
打ちひしがれている多恵に対して言い出しにくい事だったが松田は二人を解剖するよう勧めた。
このまま火葬してしまうと何かの証拠があっても消えてしまう。
殺されてから投げ捨てられた可能性もある。
本人の確認から胃の内容物、外傷など細部まで調べて記録しておけば後で役立つかも知れない。
遺書に書かれていた文は短く「浩二さんと死にます」とだけだった。 遺書の字の筆跡を確認したのは多恵と伯父だった。
浩二の遺書は無かった。 多恵は松田の勧めに従うことにした。
多恵自身二人の死が心中とは思っていなかった。
警察は二人の間柄から「道ならぬ恋」の終着と解釈しているようで後日多恵のところに話を聞きに来ることになっているが
全く事件とは考えていないようだった。
ここ南海病院で解剖は出来ない。堂島浜通にある大阪大学医学部付属病院に移すことになる。
折衝があまり得意でない松田は今回も週刊誌記者の山崎に頼もうと電話を入れた。
山崎は店に電話したと言った。 そして岡田の車から松田が発見した薬の包み紙に付着していた成分が整腸薬だったと言った。
その答えに松田は落胆したが、そう思ったような成分が出るとは限らない。 それは一部ながら予期していたことだった。
週刊誌の記者と言うのは色々なところにコネがある。
「週間新話」の威力で事件を前提として二人を解剖してくれることになった。
阪大付属病院で解剖の手続きをするのに松田は付いて行ったが多恵は怯えていた。
もうすぐ22歳になるとは言っても世間知らずの小娘である。
両親と、まだそれほどの期間を過ごしてはいなくても浩二は夫だった。
子供の頃から良く知っていた岡田を含めて四人が立て続けに死んでしまった。いや殺されてしまったのだ。
次は自分か伯父と思わざるをえない。 怨恨かと考えても思い当たらない。 伯父に聞いてみようと思った。
松田と一緒に家に寄って身の回り品を持ち出した。 伯父の家で当分過ごすことになる。
伯父の家は高校一年と二年、それと中学一年の三人の子がいる。女、男、男で家族は五人だった。
小さい時から伯父や伯母、三人の子供も良く知っている。
みんな良い人だと解っているから伯父が家に来るように言ってくれた時からそう決めていた。
とても一人で家にいられる状態でもなかった。
伯父の家は伯母さんが買い物に出る時以外いつも誰かがいる。 日常の買い物は御用聞きで済んでいた。
常に誰かといないと不安だった。
テレビを点けると二人の投身自殺を心中と見て調べていると放送されていて不快だった。
新聞も週刊誌も安藤建設が大阪では知られた会社だし、母と娘婿の心中事件を大きく取り扱うだろうと思い気が重かった。
今頃は家の電話も鳴り続いているだろうと思う。
明後日には解剖の結果も出ることになっていた。
それを聞きに松田と行くことになっている。 それが少し嬉しく感じた。
母や夫が死んだばかりなのに・・・
自分は薄情なと思い浮気性なのかもしれないと思う。
シャツを通して感じる松田の引き締まって頑強そうな体が目に浮かんだ。
結婚して二ヶ月、浩二との間に気持ちのつながりは出来なかった。
毎日一度か二度の交わりはあったが快感を覚えることも無かった。浩二の求めに従うだけだった。
一緒にいることが嫌でもなかったが、結婚する前のほうが良かったと思う。
どこかにすっきりしない何かを感じてそれが消えなかったのだ。
葬儀の準備も母がいない今、多恵には全く何もできないし、何をすれば良いのかも解らない。
伯父がなんとかしてくれるだろうとそちらの方は成り行きに任せるしかなかった。
伯父は忙しく話す機会がないまま一日が過ぎた。