事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

サッカーくじの裏側に 4枚目

2008-12-27 | 情宣「さかた」裏版

Montedioflag PART3はこちら

‘84年、NECの同好会から発したサッカークラブは、これが意外なほど強かった。べにばな国体のどさくさまぎれの(あの頃はなんでもありだった)強化と相まって、東北社会人リーグ4年連続優勝。その背景に、コンピュータ業界の発展があったことは間違いない。
 ちょうどその頃、NEC鶴岡で働いていた人間にいろいろときいてみた。

「その頃って、あそこで何作ってたんだよ。」

「半導体。とにかぐ作れば売れる時代でやー。三交代でフル操業だったんや。給料もけっこういいけし。」

日電の業界におけるシェアが揺るぎない頃。ビル・ゲイツがまだまだ低姿勢だったあたりか。

企業内スポーツが、その業界の消長に左右されるのは、プロ野球における横浜ベイスターズや近鉄バッファローズの例を引くまでもない。Jリーグが、何はともあれ発足できたのは、地獄の構造不況が本格化する前の、バブルの名残りがあったからだろう。わたしは一種の奇跡だとすら思う。

 で、モンテディオ。NECが丸抱えできる時代はとうに過ぎ(山形工場はもう閉鎖)、本来であればJ2にいることすらおぼつかないはずの経営状況を、社団法人化、というアクロバットで乗り切ったこのチーム(背に腹はかえられないから機構側も承認せざるをえなかった)は、2年前に“あぶないところで”J1に昇格しそうなぐらい強くなってしまったのである。コンパクトなサッカーをめざした監督柱谷(兄)が、あんな形でチームを去ったのは寂しいかぎりだが……

 Jリーグの隆盛が社会体育の充実、ひいては部活動の社会体育への移行にそのままつながると今は単純に考えているわけではない。ジュニアユースと中体連の関係など、整理しなければならない問題は山積している。しかし、くり返すが現在が「過渡期」であることに疑問の余地はない。その認識をもとに「部活動」を、教職員自身がもう一度考え直す時期にきている。だいたい「本務であるかどうか」が、いまだに論議のネタになっている状況が、健康であるはずがないではないか。

【サッカーくじの裏側に・終了】

状況は今も変わっていない。部活動も、モンテディオも。しかし今回の改名騒ぎには驚かされた。利権だの何だのと言われているが、そんなものが存在しうるレベルにすらないことの方が重要ではないか。がんばれモンテ。

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サッカーくじの裏側に 3枚目

2008-12-27 | 情宣「さかた」裏版

Morishimanakata PART2はこちら

そのJリーグの理念だが、要約すると、目的としてドイツのように天然芝のグラウンドが全国各地にあり、地域のスポーツクラブが(サッカーにかぎらず)子どもたちをあつめてそこで指導する状況にもっていく……これなのだ、理想とするところは。どこかで聞いたことのあるような話ではないか。そう、いま県教委や文部科学省が推進している総合型地域スポーツクラブである。

多忙多忙とうめいている教職員が、あっさりサッカーくじを否定していいものかと思った理由がこれ。
この構想のどこが無視できないかというと、

1.明治以来、日本のスポーツがあまりに『学校体育』に偏重してきた悪弊を是正できる。

2.科学的トレーニングを取り入れることで、すべて『道』にしてしまう日本的精神主義から脱却する可能性がある。

3.甲子園に代表されるトーナメント方式の「1回負けたらハイおしまい」が生む勝利至上主義から逃れうる。

4.同時に、未完成な体のうちに、強引に技術を叩きこんで完成させようとする指導を否定できる。

ま、あくまで理想ですが。これらを実現するほとんど唯一の機会がこのJリーグ、ひいてはワールドカップ日本開催ではないかと当時考えたのだ。現実に招致してみたら、一番喜んだのがゼネコン(そして利益誘導できた政治家)だったのはさーすが土建屋国家だが。

 で、サッカー。わたしの新採の学校は、ほとんど地区ぐるみスポーツ少年団から何からサッカー熱の高いところで、若くて元気そう、という理由だけで事務職員まで副スポンサーに任命された。主スポンサーは、別にサッカーを熟知しているわけではなく、ひたすら熱心に部活動に付き合っているタイプ。夜の9時半まで、車のヘッドライトを点灯して指導していたのだ。

 技術的側面は、地元の銀行員や教材屋が、仕事が暇なときに指導に来ていた。地域型ですな。そのコーチに、どうしてもわからないことがあったので、素直にきいてみた。

「あのぅ、俺わからないんですけど」
「うん?」
「あのオフサイドってやつ、何であんなしちめんどくさいものがあるんですか?」
「(笑)あのねー堀さん、もしオフサイドが存在しなかったら、サッカーもバスケットみたいに、ゴール前に背の高いフォワードを貼り付けとけばどんどんヘディングで点がとれるようになるわけですよ。ちっちゃいプレーヤーがサッカーを楽しむためには、絶対に必要なルールなんです。」

そーかあ。サッカーって、結構いいスポーツなんだなあ、と初めて気づいた。
そしてその頃、その学校から5㎞ほど離れた場所にあったNECに、サッカークラブが結成された。後の、モンテディオ山形である。 

【まだ続く!】

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サッカーくじの裏側に 2枚目

2008-12-27 | 情宣「さかた」裏版

Toto01_2  PART1はこちら

もちろん、サッカーくじがどれだけ愚劣な代物かはよーく理解しているつもり。

・他の省庁にはギャンブルを糧にした利権があるのに(旧運輸省の競艇、旧通産省の競輪、農水省の競馬……)、自分のところには何にもないことに切歯扼腕していた旧文部省が、やみくもに導入しようとした強欲の産物であること。

・利権と同時に天下りのポスト増を狙ったことが見え見え。事実、日本体育学校健康センター(現在の独立行政法人日本スポーツ振興センター)に請け負わせることでこの目的は達成された。

・25%もの上前をはねることでJRAは悪評ふんぷんだというのに、テラ銭のほぼ50%も掠め取ろうとはたいした胴元である。

19才未満には(このハンパな区切り方がいやらしい)販売しないといいながら、コンビニでの販売に執着したあたり、それでも教育をつかさどる官庁か。

……要するに、一見ギャンブルに見えるサッカーくじも、そんなに若者がのめり込むようなものじゃありませんから見逃してください、とお伺いを立てて導入を図ったわけだ(そのために現在売り上げが落ち込んでいるのは皮肉)。

しかしこの強引な理屈、笑ってしまうがある意味正しい。あらゆるギャンブルは「親をとる」ことで黒字にもっていく可能性が無くもないのだが、その機会が存在しない公営ギャンブルでは「子が勝ち続ける」ことは絶対にできないようになっている。競馬で家を建てた人がいない道理である。誤解する人がいると困るのだけれど、現在の日本で、自分が“親”になろうとすると、その時点であなたの手は後ろに回りますからそのつもりで。

 それはともかく、サッカーくじがまことに度し難い存在であることに変わりはない。だが、その命名totoが、動機は薄汚いにしろ、結果としてJリーグの理念を現実化する手段として不可欠なものであるなら、『ガッコのセンセー』らしく教育者臭をまき散らしてあっさり反対するという類のものではなかろうと思ったのだ。そのJリーグの理念とは…… 
    
PARTⅢにつづく

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サッカーくじの裏側に 1枚目

2008-12-27 | 情宣「さかた」裏版

Montedio モンテディオ山形J1昇格記念に情宣さかた裏版から……

今号から、青年部の課題としてもっとも大きくとりあげられた「部活動」を特集します。今年度の交渉でも、

・はたして部活動は教職員の本務なのか

・勤務時間外に行われる活動はどんな位置づけなのか

・社会教育への移行のみちすじは?

など、多忙化の中心として部活動は論議されています。行政との認識の差はともかく、それでは教職員自身がどうとらえているのか、そのことも含めて考えていきましょう。

もう十年近く前になるだろうか。わたしは山形県教職員組合の定期大会に酒田地区支部の代議員として出席していた。議案検討もひとしきり終わったところで、ある地区支部の若手から特別動議が提出された。

「サッカーくじの導入に断固反対する」提案。射幸心をあおり、青少年に多大な悪影響を与える、というわけ。まことにもってそのとおり。あらゆるギャンブルは射幸心をあおることで成立するのであり、その麻薬性は確実に青少年を堕落へいざなう。

「この提案には支部として賛成するぞ。」

酒田地区の書記長から指令がとんでくる。そんななか、支部の代議員である立場もわきまえず「おれ、手挙げないからね。」と言い張る馬鹿がいる。

……ご想像のとおりわたしである。

「え?……まあ、いいけどさあ(笑)」一人ぐらい反対に回ろうが可決は確実だったので書記長は笑って許してくれる。もちろん、結果は絶対多数で可決されたのだが、私はほとんど「あんたら本気でサッカーくじに反対するつもりか?」とキレそうになっていた。

以下次号

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地雷、踏んだ?

2008-12-27 | 情宣「さかた」裏版

Yamaguchitomoko “みずから地雷を踏みに行くような”という表現は、わたしの知るかぎり西原理恵子(「まあじゃんほうろうき」「ぼくんち」などの鬼畜系漫画家)が初めて使ったと認識している。そのあとに北川悦吏子がキムタクのドラマで一気にメジャーにしたわけ。

 どう考えても相手の逆鱗にふれることがわかっていながら地雷級の発言をしてしまう自爆傾向は、きっと誰の心の中にもあるんだと思う。わたしはこれを、先日長井で行われた教育研究山形県集会(県教研)でやってしまった。

 参加した分科会は「民主的職場づくりとPTA」。今回の高校再編をめぐる問題を語り合っているときだった。まわりがほぼ高校の職員という状況下、彼らの言う義務制(=小中学校はこう呼ばれている)の人間であるわたしは、前から疑問に思っていたことを無邪気にぶつけてみた。

「ちょっと確認しときたいんですけど、われわれ小中学校の職員の場合は義務教育費国庫負担制度があるから、まあ給与の県の持ち出しは半分ってことですよね?」

「ええ。」高教組の執行委員でもある司会者はうなずく。今は2/3だけど。

「(この再編計画が実施されると高校職員の定数は将来的に減少するわけだから)高校の場合は、交付税措置以外のリストラ回避的性格の国庫補助って、ないんですか?」

 なぜか場が凍る。あれ?まずいこと言っちゃったのかな。

「あのね、ホリさん。ものすごく正直に言いますけど、われわれ高校の職員の給与は完璧に県単(けんたん……枠としての国庫補助なし)なわけですよ。だから、義務制でさんさんプランが始まったときはね、うれしくはあったけれど、うーんこっちにしわ寄せが来るのかなあ、と……」

 う、なるほど。彼らは少し苦い思いでもいたのか。こんな話、あらゆる校種、あらゆる職種の人たちが集まる教育研究集会でしか聞けない。高校再編に違った色彩も見えてくる。ある意味、聞いといてよかったか。ついでに

「あのー、じゃあ私学との関わりのことなんですけど……」

もっと場は凍った。どうやらメガトン級の地雷を踏んだみたいだオレは。

2004年1月16日付「情宣さかた・裏版」より。

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