事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

さらばカリスマ PART2

2016-12-03 | 社会・経済

PART1はこちら

鈴木氏がセブンイレブンにおいてやってきたのは、まさに“絶対に無理”と言われていたことの連続。

コンビニという業態自体が日本に合うはずがないと思われていたし、きわだっていたのはセブン銀行だ。当初は既存の銀行との連携を(当然)模索したわけだが、紆余曲折があって(時代もセブン銀行に追い風となっていた)自前の銀行を立ち上げることになった。コンビニの顧客拡大にどれだけ貢献したか。

他にも、有名なのが役員試食というやつで、鈴木会長はいっさい妥協しなかった。冷やし中華は11回キャンセルされたというし、チャーハンも1年8か月のあいだ店頭から消えたこともあったとか。

そんな鈴木会長が後継者として指名したのが井阪隆一氏。その井阪氏の社長在任の7年間、セブンイレブンは拡大を続け、利益も最高益を更新し続けた。しかし、鈴木会長は井阪氏に「退け」と命ずる。驚くようなイノベーションを実現できなかったではないかと。納得できなかった井阪氏は……

取締役会で決をとった結果、鈴木氏の人事案は否決され、彼はさっさと辞任を決める。日経の考察は

・イトーヨーカ堂創業家が代替わりし、鈴木会長との関係が微妙になっていた。

・鈴木会長の息子が(実績もないのに)取締役となっていたことで、世襲をねらっているとまわりが感じた。あるいは、そう指摘してセブン&アイの経営に介入したいアメリカのヘッジファンド、サードポイントを煽った人物がいた。

・鈴木氏が強力に推し進めるオムニチャネル(いま、ばりばりPRしてます)に、まわりが懐疑的だった

……いけいけどんどんの時代には、鈴木氏のようなカリスマは確かに必要だったかもしれない。しかしその成功体験が企業を次第に苦しめていく。部下も、カリスマの顔をうかがうことに懸命になる。

ダイエーがそうだったし、後継者を見限って自ら現役復帰した衣料品関係のあの経営者も油断はできない。IT関連なんかそんなのばっかりですもんね。引き際……誰にとっても、いちばん難しいところなのかも。

わたし?石にかじりついてでも働きつづけますよー(若手の「えーっ!」という声が聞こえる)。さて、イノベートはしなかったかもしれないが人柄はいいという井阪氏率いるセブン&アイの将来は?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「さらばカリスマ セブン&アイ 鈴木王国の終焉」 日本経済新聞社

2016-12-02 | 社会・経済

春の転勤で、職場から自宅までに存在するスーパーはなくなった。おつまみを買うのにえらく苦労する。あるのはコンビニが一軒だけ。まあ、ないよりははるかに助かる。だってそのコンビニはセブンイレブンだから。なぜひいきにしているかというと

・労働金庫とセブン銀行が提携しているので、手数料ゼロで給与が引き出せる。

・わらび餅やおでんなど、他のコンビニよりも上質な商品が提供されている。

・700円ごとのくじがやたらに当たる(チャリ通のときに綾鷹の2リットルが当たったときは泣いた)。

・おにぎりに山形県産の「はえぬき」が使用してあるので美味しい(地元愛)。

・ひとり、やたらに綺麗な店員がいる。

……ということで、ご存知のようにコンビニ業界はファミマ、ローソン、セブンイレブンの三強時代。なかでも一店舗あたりの売り上げはセブンがダントツ。文句なく業界のトップ。

アメリカで生まれたセブンイレブンを、日本で展開し、本家が危なくなったのでなんとセブンイレブンジャパンが買収して救済。コンビニという存在を事実上定着させたのは、セブン&アイ・ホールディングスの前社長、鈴木敏文氏だったのだ。

彼はイトーヨーカ堂に入社し、たちまち頭角をあらわす。そして、まわりの反対を押し切ってアメリカの氷屋が経営していたセブンイレブンのライセンスを取得。日本の実態にアレンジしてどんどん規模を拡大していった。

1号店はいま話題の豊洲に開店。1974年のことだった。まもなくわたしが学生時代に住んでいた狛江にも出店。わずか5、6年で全国に1000店舗も展開していたのだ。

このころの狛江店は、店名通り午前7時から午後11時までの営業。それでも画期的な業態ではあった。めちゃめちゃな生活を送っていた貧乏学生にとってはまさしく「あいててよかった!」な存在。以下次号

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御松茸騒動」 朝井まかて著 徳間書店

2016-12-02 | 本と雑誌


頭が切れ、出世欲のかたまりの青年が主人公。もちろんこの高慢ちきな小僧がどう変貌していくかの成長物語。だからおそろしく気持ちがいい。

尾張藩の名物が松茸だったとは知らなかった。前藩主の浪費によって財政が傾いた尾張は、本来御三家筆頭のはずなのに八代将軍の座を紀州の吉宗にうばわれるなど……おお、この前藩主とは清水義範が「尾張春風伝」で描いた徳川宗春ではないですか!とくれば彼が散財したのは浪費ではない。領民から今もなお慕われる彼と主人公のからみもいい。

もっといいのは、どう考えても結ばれるに決まっているヒロインに、主人公がその気持ちを最終章まで見せないあたりですかね。男ツンデレ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今月の名言 2016年11月号PART3 大人のたしなみ

2016-12-01 | 社会・経済

PART2「田舎のプロレス」はこちら

「おいしい生活。」の決裁者は、当時の西武百貨店社長の堤清二さんという人だったんですが、このことばに決まった場合、それこそ女性問題とかが出たとき、週刊誌とかに『堤清二のおいしい生活』って書かれますよ。それでもいいですか?といったことは確認しています。そこは覚悟しておいてもらう必要があるから。そのとき堤さんからは、「それはもう結構ですよ」と言ってもらったんですけど。

……ほぼ日刊イトイ新聞から。あの名コピーの誕生裏話。ネットで調べたら、それどころかCMの出演を断ったウディ・アレンの映画を、セゾン系の映画館で公開するという条件まで出して承諾させたらしい。

2013年に亡くなった堤清二氏の、経営者としての才能には論議があるところだろう。でも父親との相克、弟との反目を経て(西友に就職した同級生は、清二には康次郎はデパートしか残さなかったと吐き捨ててました)、80年代の西武文化を花開かせた事実だけは確実に残る。

学生のころ、渋谷はすでに西武の街になっていて、西武のA館B館、そしてパルコはあまりにおしゃれで田舎者には敷居が高かったなあ。

堤清二は晩年、グローバリズムへの懸念を常に語っていたという。センスと経験が、そう言わせていたのかもしれない。

「どんなに高い壁を作って侵入者を避けようが、厳しく部外者を排除しようが、自分たちに都合のいいように歴史を書き直そうが、私たちを傷つけることになるだろう」

アンデルセン文学賞贈呈式での村上春樹のスピーチ。移民排除、歴史修正主義への警鐘だろう。イギリスのEU離脱、米大統領選におけるトランプの勝利、テロの頻発、極右的指向むき出しの日本の政治……2016年はとてつもなく暗いなかで暮れようとしている。

でも、ニヒらないでいきましょう。少しずつでも世の中のことにコミットして、若い世代のために、少なくとも今よりも悪くならないようにするのが大人のたしなみというものではないか。わたくししみじみそう考えております。

本日の一冊は「恩讐の鎮魂曲」 中山七里著 講談社
え、まさか続編が出るとは……だって前作で主人公があんなことになってしまうのに。まあ、そんなことで驚いていては、少年時代に快楽殺人を犯した弁護士なんてとんでもない設定を用意した中山七里をなめてることになるだろうか。

なにしろ主人公に感情移入するのがむずかしいので(わたしは好きですけど)、その分、展開は浪花節になってしまうのは仕方がない。ここまで来たらどこまでシリーズを続けられるのか、最後までつきあってみようと決心。

2016年12月号「真珠湾経由靖国」につづく

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする