三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「Moonlight」

2017年04月11日 | 映画・舞台・コンサート

映画「Moonlight」を観た。
http://moonlight-movie.jp/sp/

 言わずと知れたアカデミー賞作品賞受賞作である。落ち着いたストーリー展開といい、月や波の美しい映像といい、心を騒めかせることなく鑑賞できる作品である。同級生に虐められる子供が貧しい田舎道を逃げていく、なかなかの出だしだ。
 しかし途中から、ひとりの登場人物の最期がどうしても気になりはじめ、いつそれが明かされるのかと思いながら観ることになった。多分多くの人が同じ思いをするのではなかろうか。その人物の最期が作品に大きな影響を与えたのではないかと思えるだけに、肝心の最期のシーンがなかったことが大変残念である。
「黒人は世界中のどこにでもいる」という台詞は、とても含蓄のある言葉だ。世界中で差別がある、世界中に仲間がいる、お前はひとりじゃない、しかし世界中で仲間から虐められている黒人がいる、世界中にヤク中の黒人がいる・・・・希望的な言葉でもあり、厭世的な、絶望的な言葉でもある。
 この台詞が本当のところどういう意味なのか、語られず仕舞いで当の台詞の主がスクリーンから消えてしまうのである。観客にとっては消化不良のまま、映画が終わってしまう。映画としては、恵まれない環境で成長する黒人男性の幼年期から青年期までのありようをリアルに描いているいい作品なのだが、依然として心残りがある。
 実はそれ以外にも、端折られているのではないかと思えるシーンがいくつかある。こうなると興味は、肝心のシーンが本当は撮影したのに編集で意図的に省いたのか、それとも最初からそのシーンを撮るつもりがなかったのかということになる。
 いまだにKKK(クー・クラックス・クラン)が大手を振って明るい場所でも堂々と活動する国の映画だけに、何があっても不思議ではない。穿った見方をすれば、そういった状況も踏まえてのアカデミー賞作品賞だったのかもしれない。