三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

サラ・オレイン バースデーコンサート

2018年10月09日 | 映画・舞台・コンサート

 東京国際フォーラムにサラ・オレインのバースデーコンサートに行ってきた。
 とにかく歌がうまい。声がブレないし、伸びがあって1/fの揺らぎもある。聞いていて癒されるというあれだ。
 バイオリンはオーケストラ級だし、ピアノもギターも達者で喋りもうまい。しかも美人でスタイルもいい。そしてシドニー大学から東大出身だ。
 よく「悩みはありますか?」と聞かれるそうで、悩みのない人間なんている?と疑問に思ってしまうと言っていた。完璧主義者の自分は、どこまでいっても満足しない悩みがあるとのこと。ああそうですか。
 全体に満足のいくコンサートではあったが、ペンライトを持っている人が一階に陣取っていて、途中、立つことを強制される時間もあったりしたので、これっきりにする。あとはメディアを購入して聞けばいいかな。


映画「Foxtrot」(邦題「運命は踊る」)

2018年10月09日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「Foxtrot」(邦題「運命は踊る」)を観た。
 http://www.bitters.co.jp/foxtrot/

 いまこの瞬間に、世界のどこで戦争が起きているだろうか。どれくらいの戦場があって、いくつの戦闘が繰り広げられているだろうか。
 本作品はある家族のことを描いているように見えるが、実は立派な反戦映画である。戦場がコミカルに描写され、将校たちは見るからに愚かしいのがその証拠である。

 日本国憲法の前文の一節に「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」とある。つまり政治家は戦争が起きないようにするのが仕事なのである。軍備を増強し、日本を再び戦争のできる国にしようとしている現政権は、トチ狂っているとしか思えない。そして本作品にも見られるように、他の国の政治家も、トチ狂っていて、意味なく若者を戦場に送る。

 世の中では、親の愛情は人の命の大切さとともに、無条件に肯定される。しかし必ずしもすべての親に子供への愛情があるとは限らない。そして子供は 必ずしも親を尊敬しているとは限らない。というより、子供は意外に親を客観的に見ているものだ。
 邦題の「運命は踊る」の意味がよくわからない。原題の「Foxtrot」は踊りの一種で、スロー、スロー、クイック、クイックのステップはあまりにも有名だ。父と息子でこのステップを共有しているところが、この父子の関係性を暗示している。運命というよりも、戦争に翻弄された被害者としての体験を共有しているといった方がいい。戦争体験の闇を抱えながら、父は悲しみのステップを踏むのだ。