映画「ビブリア古書堂の事件手帖」を観た。
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三つ子の魂百までという諺がある。幼い頃の性格は年をとってもそれほど変わらないという意味だ。誰もが胸に手を当てればたしかにそうだと思い至る、理解されやすい諺である。
大学の時に講義を受けた心理学では、人の性格は気質と気性に大別され、気質は遺伝的なもの、気性は3歳ころまでに形作られる後天的なものという話だった。気質は分裂質、癲癇質、躁鬱質の3つに分類され、気性は強気、中気、弱気の3つに分類されるから、人間の性格は9つのマトリックスで分類されることになる。
年齢を経て考え方や生活態度が変わることがあっても、性格がそう変わることはない。性格は変わらないからこそ、その人の運命を左右し、悲劇の原因ともなる。だからシェイクスピアの性格悲劇がいまでも演じられ、人々に感銘を与えられる。
勿論フリをするということはある。しかしフリをすることと性格が変わることは本質的に違う。映画でも演劇でも、物語の間に登場人物の性格が変わることはない。物語が成立しなくなるからだ。
二重人格や人格の入れ替わりなどの仕掛けがある場合は逆に性格の違いを際立たせる演出がされる。しかし本作品は、二重人格も人格の入れ替わりもない。にもかかわらず、性格がブレてしまう登場人物がいた。
同じタイトルで数年前に放送されたドラマに比べればかなりマシな出来栄えであり、剛力彩芽よりも黒木華のほうがずっとよかった。しかし本作品のストーリーは途中で真相が大体予想できる作り方で、観客全員が気づいているのに登場人物が気づいていないという変な展開もあり、もしかしたら尺を伸ばすためなのかと疑うほど、全体に冗長な感じがした。加えて性格のブレである。ストーリーを成立させるために性格がブレてしまった部分と、場面を成立させるためにストーリーが変に長くなってしまった部分の両方があったと思う。
脚本のせいなのか演出のせいなのかはわからないが、観終わると違和感だけが残り、何の感動もなかった。黒木華も東出昌大もいい演技をしていただけに、物凄く残念である。